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【暗い話】父がアルコール依存症、母が鬱。1

気が重い…
実家の母から連絡があって、「父のお酒の問題がひどくて、自分は鬱状態」とのこと

正直、「嘘でしょ?」という感じ
日常はこんな急に一変するのか


正直、父がどんどん悪いお酒の飲み方になっていることは勘付いていた

でも子育ての忙しさやコロナで会う機会も減り、大丈夫だろうと思い込んでいた
実家を無下にしてきたツケが回ってきたのかな


とにかく、今後どうするかも踏まえて気持ちと状況の整理をするために今の状況をnoten書きたいです。この先の長い道のりの出発地点として


実家について

私の家族は、両親、子ども2、祖父母の6人家族でした。父は婿養子

祖父が気難しい人で、祖父の機嫌が悪い時は、家の雰囲気は地獄みたいに険悪でした。祖父は大声で相手を罵倒し、その後何日にもわたって嫌味を言ったり無視をしたりする人でした

祖父は内弁慶で、気を許せた人としか打ち解けられない人。孫である私は、祖父の内側の人間なので「祖父の意向に沿う限り」味方をしてくれました

当時は子供で何も分かっていなかったけど、今思うと閉塞的で歪んだ家庭だったのかも

母について

母と祖母は特に祖父の被害者だったと思います

「祖父の機嫌を損ねないこと」が彼女たちの生活の主軸にありました。
母は、祖父に自分の言動が支配されていることに気づいていたけど、その呪縛からは逃げられず、夫や子供たちにも祖父の機嫌を損ねないよう行動するよう強制していました


何か問題があったときに祖父の矢面に立つのはほとんどが母でした。自分が一番祖父の傾向を知っており、対処できると考えていたのかもしれません

娘としての責任感だったのかもしれません。祖父との対決の後、1人部屋で泣いている母親の姿を見るのは子供心に辛かったのを覚えています

母は出産後も働いていました。私がワーママを当たり前だと思っているのは母の影響が強いです。昔は、母のような「お母さんになりたい」と思っていました

子供の目から見た母親は、
仕事では重役を任され、家では家族のために栄養バランスの取れた食事、規則正しい生活、掃除や洗濯も当然、だらけているのなんてみたことない、完璧超人。

当時の私は、母の辛さにも気づかず、呑気に「うちはまあまあな家庭かな」なんて思っていました。

父について

父は我が道を行くタイプです。
人当たりは良く頭の回転も早くいろんなことが得意だった一方で、優生思想で他の人を見下したような物言いをする人でした。頭がいいのに、管理職になれずに仕事を終えたということは、それなりの何かがあったということなんだろうと今では思います。

父は「よく近所の人から、よくあんな⚪︎⚪︎(祖父)と一緒に暮らせるなって同情される」と言っていました。それは事実でもあるでしょうが、父も大概だったと今では思います。

暴力的なことはせず、論理的で、仕事もし、ギャンブルもしない、家族のための時間を大事にする、特に悪いことはない父親でした。でも父の「家族のための行動」はあくまでも「(自分がしたい)家族のための行動」でした。

例えば、父は外で炭火で秋刀魚を焼くのが好きでした。それはいわゆる贅沢な経験なのだろうけど、家の中では「夕飯はまだか」と怒っている祖父がいました。それをヤキモキしている母がいました。そんなことにはお構いないしで、「時間、時間ってうるさいな」とお酒を飲みながら呑気に秋刀魚を焼いている父。
私は子供で、誰が正しいかなんて分からなかったけど、少なくともそんな雰囲気の中食べる秋刀魚は全く味がしなかった。
全然嬉しくなかった。

結果として良かったこともたくさんあるけど、それは私たちのことを思ってではなく、たまたま父のやりたいこと自分のやって欲しかったことが合致しただけだったのかもしれません。

長くなってしまったので、続きます。

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