見えてるところが全てじゃない

数日前に荒れ果てた心が、まだ正常には戻っていない。子供と二人きりになると無性にイライラしたり不安になる。泣き喚くほど疲れ切っていたんだからしょうがない。けど、周りがそう思ってくれるわけでもない。

大人がもう一人いれば、自分が無理と思えば代わってもらえる。その安心感があるから、普通でいられる。ニコニコ笑って子供と接することもできる。
そうして元気な姿を見ると、普通の大人は「あぁ、元気になったな、普段通りに戻ったんだな」と思ってしまうのだ。でもそんなことない。状況が変わっているからそう見えるだけ。あなたがいるときには平気なだけで、あなたがいなくなったらまた辛くなるんだよ。

夫は、子供と二人きりの時の顔を知らない。知りようもない。
ひとりの人でも、相手が違えば微妙に対応が変わる、人格も微妙に違ってくる。他人が自分に持つ印象はざっくり同じだけど、細部を見れば全員違ったイメージを持っているはずだ。細かい話なんてしないから、誰も意識しないけれど。敵意がある相手には油断しないし、いつも優しくしてくれる人には優しさを返そうと思うし、すぐキレる相手には刺激しないよう言葉を選ぶ。相手の性格に合わせて、自分の性格もまた変わっている。敵意のAさんに向ける優しさと、優しさのBさんに向ける優しさは質が異なる。AさんがBさんと同じ人に会うことは決してないのだ、同じ人と対面していても。
私が今辛いのは子供と対面するときであって、夫と対面するときではない。子供は文句ばかり言って泣き喚くくせに碌に感謝もしない厄介な存在であり、夫はそこから私を離してくれる救世主なのだから。

見えないところにある苦しみはもうひとつ、あんなことがあって、休養もないまま、1日やそこらで心が完全に回復するはずもないのだ。何日も我慢して燃え尽きてしまったのに、それが1日で回復するなんて理屈は通るわけがない。
燃え尽きる期間以上にゆっくり休ませてくれ。無理に治せというならそういう手段もあるのかもしれないが、それは「いつもの1日」で得られる物ではないだろう。考えたらわかりそうなことではあるが、私たちは単純な物で、本人が笑っていれば、なんとなく「ああもう大丈夫だな」と思ってしまうのだ。お飾りの笑顔かなとか、そういう疑問が持てないのだ。

見えるものがすべてじゃないよ。見たいものが見えているからってそれで完璧なわけじゃないよ。


(苦しかったけど、またひとつ人に優しくなれたかもしれない、とポジティブに捉えてみよう)

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