空間と文字と時間

 芸術は空間芸術と時間芸術の二つに分かれるらしい。この辺のことについては前にも何度か言及しているが、今回も引き続き書きたい。空間芸術は絵画、彫刻、建築、工芸などであり、時間軸上に存在するある一点の瞬間を取りだそうとする傾向にある。空間を表現の場とするとも言われており、主に視覚に訴える作用がある。一瞬で鑑賞することはやろうと思えば可能だ。時間芸術は音楽、舞踊、演劇、詩などであり、作品内では時間の流れがあり、空間芸術のように一点の瞬間に対象を絞ったものではない。時間継起の形式をとる芸術と言われており、一瞬で鑑賞することは不可能である。

 空間芸術の作者は物質に手を加えなければならないが、時間芸術の作者は必ずしも物質を必要としない。空間芸術においては、表現者と鑑賞者の間に物質が存在している。物質を通して両者はコミュニケーションをしており、物質がなければ空間芸術は成り立ちようがない。時間芸術においては、理屈の上では自分の肉体のみで表現することが可能である。空間芸術は物質を必要とするが、時間芸術は表現者の身体だけで完結させることができる。

 私が今ここで問題にしたいのは詩である。詩だけでなく小説、散文なども含む言語で表現する文芸作品は時間芸術に分類されるらしい。当たり前だが、どんな文章も読み始めてから読み終わるまで、一定の時間を必要とする。長大な小説であれば何日も必要とするかもしれない。絵画や彫刻のように一瞬で鑑賞するというわけにはいかない。詩も小説も時間の流れに乗っている作品であり、絵画より音楽に近いと言えるのかもしれない。

 そのように時間芸術に分類される詩であるが、話し言葉として朗読する詩と、書き言葉として記す詩でその性質は違ってくるように思われる。朗読する詩であれば、表現者は己の肉体のみで完結しており、先に書いた時間芸術と同じように、表現者と鑑賞者は物質を介在せずにコミュニケーションをすることが可能となる。だが、書き言葉としての詩であれば、表現者は物質に手を加えなければならず、空間芸術に近い形式をとることになる。もちろん話し言葉であろうと書き言葉であろうと、詩を鑑賞するには一定の時間が必要になるので、詩は時間芸術に分類されるだろうが、書き言葉の方が空間性を持つようになるということだ。

 パソコンやスマホが普及した現代社会においては、書き言葉が物質的であることを忘れがちになる。シャーペンやボールペンで書いていた時代は、まだ書く行為における物質性を認識することはできた。手で紙に一定の圧をかけることで、黒鉛なりインクを紙の上に記していたのだから。さらに過去に遡ると粘土板やパピルスになり、書くという行為にも苦労がいるようになり、より物質的になっていく。本来書くことは物質を傷つけることであり、物に手を加えることであった。文章を書くということは、絵を描くことや彫刻を作ることと同じように、物質に働きかける行為だ。話し言葉の詩は音楽のような時間芸術に近いところにいるが、書き言葉の詩は物質を必要とするため、若干であるが空間芸術に近づくことになる。

 書くという行為自体が時間の空間化を伴っているのかもしれない。本来、時間軸上にしか存在していなかった話し言葉としての言語を、書き言葉として空間内に配置させることを可能としたのが、シュメールの文化であった。そして、書き言葉の誕生により歴史時代が始まった。音楽は時間的であり、絵画は空間的なものであるが、言語というものはその中間にあるのだろう。そして、話し言葉の方が時間的であり書き言葉の方が空間的であると言える。さらに、時間は精神と、空間は物質と親和性が高いと言えそうだ。

 文字の発明によって、人間は言葉を空間内に存在させることを可能とした(話し言葉も空間内に存在していると言えるかもしれないが、ここではその考えは採用しない)。文字は読むものであり見るものではない。文字を線の集まりとして見てしまう人間のことを書いたのは中島敦の文字禍という作品であり、これについては以前の文章でも書いた。文字禍は、読みすぎた人が普段読んでいるものを見てしまう話であった。では、見すぎた人が普段見ているものを読んでしまうということがあり得るだろうか。私は絵画についてはまったくわからないが、もしかするとセザンヌやゴッホの絵がそういう類のものではないかと思うことがある。個人的には印象派以降の絵画は苦手で写実的な風景画が好きな人間なので、私はまちがったことを言っているのかもしれない。読むという行為は時間的であり、見るという行為は空間的であるとは言えそうだ。

 空間内の物質を把握するために、人間は視覚(触覚も)に主に頼っている。人間は、視覚によって物を見る。だが、人間が生み出した文字は見るものではなく読むものだ。人間が見渡せる世界の中で、おそらく文字と他人の顔だけは見るのではなく読む。

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