三つの歴史観

 頭の中で三つの歴史観が混沌としていて整理できていなかったので、書いてみることにした。かなり粗があるし、まちがっているかもしれないが、形にしないと始まらないので書くことにする。
 
A.十七世紀あたりから、ガリレオ、ニュートンらによる研究によって地動説、古典力学が成立した。これらは観察、実験により再現性のある方法を確立して自説を立証するという新しい手法を採用することで成功した。その後もこの手法によって、光学、熱力学、原子説、有機化学など物理と化学の様々な基礎が生まれた。また、フックによる細胞の発見や、リンネの形態分類を経て、ダーウィンは進化論を提唱し、生物学も発展していった。さらに、織機、紡績機の改良により綿糸の大量生産が可能になり、蒸気機関の発明、製鉄技術の改良、鉄道の誕生などによって、社会の姿は変わっていった。これらの科学と産業の発展はすべて西欧で起こったことだが、その他の国も後を追うように成功例だけ取り入れて同様に発展していった。現在も科学と産業の発展は世界中で継続中である。
 
B.十七世紀あたりから生まれた啓蒙思想の影響により、遺伝的特権、国教、絶対君主制、王権神授説、伝統的な保守主義の規範を議会制民主主義と法の支配に置き換えることを目指そうとする流れがあった。これらの目標は英米仏の三大市民革命から始まる運動によって徐々に達成され、その他の国でも自由民主主義が定着していった。当初は選挙に参加できる人間は一部に限られており、初めは一部の成人男性であったが、二十世紀中ごろまでにはほぼ国内の成人男女すべてに与えられた。さらに、二十世紀後半からは移民や同性愛者や社会的弱者の権利の向上、さらなる男女平等を求める動きも強まり現在にまで至っている。国籍、人種、宗教、性による差別をなくし、より自由で平等な社会を目指していくべきだという流れは二十一世紀に入り強くなっている。
 
C.西欧諸国及び露の列強同士の間で行われた覇権争いでは英仏が優位に立ち、世界中の多くの地を植民地として手に入れた。このため、現在でも英語と仏語の国際社会での影響力は絶大である。その後、英仏に米も加わった英米仏は、二度の世界大戦で日独伊を倒し、冷戦では露中に対して圧倒的な勝利を収めた。歴史の細かいところを見れば、英米仏も負けてはいるが重要な局面では勝利をしてきたので、この三国(特に英米)は世界の頂点に君臨している。三国は軍事面、技術面、経済面、文化面で他を圧倒してきたが、近年の英仏は全盛期より弱まってきている。
 
 歴史観Aはほぼ世界中で採用されている。オーストラリア、ニュージーランド、アフリカ、南米あたりではこの歴史観に従わずに原始時代に近い生活をしている人たちもいる。インド洋の小島に生息するセンチネル族は、今でも現代人との接触を拒否しているらしい。だが、そのような人たちは例外であり、自国で科学革命と産業革命を起こせなかったが一定の文明レベルに達していたすべての文化圏では、西欧から科学と技術を受け入れ歴史観Aの流れに従い今日に至っている。科学と技術を取り入れた理由は、自分たちも西欧のように豊かな生活をしたかったからか、技術を磨き軍事力を成長させないと列強にやられてしまうと思ったからか。まあ多分両方だと思う。他にも理由はあるのかもしれない。

 歴史観Bを強く受け入れている国は、西欧、米国、英連邦(カナダ、ニュージーランド、オーストラリア)、日韓台あたりだろう。東欧、南米、東南アジアあたりはまあそれなりに受け入れている感じがある。インドあたりになると微妙で、中国、ロシア、中東諸国、アフリカ諸国は受け入れているとは言いがたい。このあたりは異論もあるだろうが、おおまかな傾向としてはまちがっていないと考えている。中国によるウイグル族への人権弾圧を批判する国と支持する国を色分けした世界地図がネットで検索すると出てくるが、前者が歴史観Bを支持し、後者は支持していないと考えていいと思う(香港の弾圧もほぼ同じ)。日独伊は第二次世界大戦での敗戦により、歴史観Bを受け入れた。

 歴史観Bを受け入れない国々は、おそらく歴史観Cを支持していると思う。ウクライナとロシアの戦争はNATOとEUを拡大する西欧圏とロシアとの戦いと言われている。この戦争は歴史観Bと歴史観Cの争いとも考えられるのではないか。ウクライナ戦争は、再エネ普及にこだわるドイツが天然ガスを欧州に供給しているロシアに足元を見られたために起こったものであり、ドイツの失態ではないかと言われている。ドイツを初め歴史観Bを受け入れる国は、温暖化対策にも熱心であり再エネにこだわり今後自滅していく可能性もある。だが、欧米諸国内でも、原発や化石燃料を見直す流れも若干あるようなので、今後持ち直すかもしれない。

 歴史観Bを受け入れない国も、何も人権思想を真っ向から批判しているわけではない。各国の文化に適応した人権思想、民主主義、自由、性、家庭のあり方があるのだろうが、よくわからない。歴史観Bはリベラリズム、フェミニズムに近く、歴史観Cはナショナリズム、パターナリズムに近い。下部構造となる歴史観Aはほぼ世界中に浸透しているが、上部構造となる歴史観はBやC以外にも種類があるかもしれない。

 近代化により、キリスト圏では聖書の内容が批判され宗教の力は衰退していき、その一方で知識人は現世に救いを求めるようになった。その一つが共産主義である。歴史は直線的であり最後に楽園が訪れるとする唯物史観は、キリストの教義を現実に落とし込もうとするものだったのではないか。共産主義信仰は、ソ連崩壊によって一応幕を閉じたが、その後に歴史の終わりという新たな信仰が生まれ、それが歴史観Bを支えているかもしれない。共産主義も歴史の終わりも、直線的な歴史の流れの最後に楽園がやってくるという考え方は似ている。

 さすがに、今の時代に唯物史観をまともにとり上げる人は少ないだろうが、生態史観は現在でもある程度有効だと自分は考えている。歴史観Bを支持する国は第一地域、歴史観Cを支持する国は第二地域と親和性が高い。また、トッドの家族人類学風に言えば、歴史観Bは核家族、直系家族、歴史観Cは共同体家族と親和性が高いと言えるかもしれない。父権性の強くなかった国は、中華思想やイスラム思想のように絶対化された権威がなく、相対的な思考が許されたために近代化に対応できたところはあるのかもしれない。

 コロナ騒動においても歴史観に対応して区分けできるのではないかと思ったが、そう単純ではなさそうなので、またの機会に考える。

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