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ばいばい、インスタ。

中学時代、2015年から束縛され、支配され、活用し使い続けたInstagram。

そんなSNSをスマホから消した。今後もPCからの作品投稿や、作品の視聴はしていくつもりだが、日常から離れた存在になった。

「自分の作品を投稿しよう」「誰かの作品を視聴しよう」「メッセージを送ろう」この用途と時に意図を持って開くツールと化すだろう。

少しずつ離れていった

今までInstagram離れする理由は数多にあったの足元から根が張っていたので、一つ一つ毟り取っていった。

縦動画への考えを改め、自身の人生に必要か?を問い、TIKTOKやYouTubeショートから離れる決意ができた。

ストーリーは専門学生の時に、仕事仲間やアーティストのアカウントの市長に限定し、かつての友人はミュートにした。

誤解を招く魔もしれないが、SNS上よりリアルの繋がりに重きを置いたのが動機だ。何をしているのか?の疑問は、ストーリーではなく直接会った時だ。

Instagramはシステム上、視聴側(Audience側)が心理的に損をする。心が不安定な自分にはその視聴は悪影響だった。誰かの幸福に左右されていいほど、私は強くない。

そのように縦動画とストーリーから離れ、参考として作品を調べるために使っていた。

Instagramでの作品視聴について

ただ、2つの浮ぶ疑問。

❶ 作品視聴よりも、縦動画を無心で見ている虚無時間が長くないか?
❷ 作品の視聴は、気になったら随時調べれば良くないか?

Instagramのミュート機能を使って、フォローしている作家やアーティスト、クリエイターの投稿だけのTLを作成しても、求めているものが下から出てくる可能性は低い。

「グラフィックデザインを学びたい」という欲望を持ってInstagramを見て、写真家が回って来てもグラフィックデザインは伸びない。

「作品視聴はインスタじゃなくていいじゃないか」

作家の作品は、HPやポートフォリオサイトを見ればいい。傾向でまとめたいならPintarestで十分だ。作品がInstagramベースの方は、調べているうちに行きつく。

ここで依存ではなく、一つの収集ツールとして捉えることができた。
支配から利用に変わった。

最後の根と決意

それでもまだスマホから消せない理由。最後に残った根は、友人への活動報告。

最もリアルでの人間関係が多いこのアプリだ。ただ、自らの生き様とその表現をインスタに頼っている自分が嫌でダサくて変えたかった。

脚本を書こう。映像を撮ろう。映画を見よう。人に会おう。旅に出よう。そうやって、誇れる自分の時間を増やしていこう。そう決意した。インスタ以外の媒体で、自己発信以外で、届けたい。

人生を応援してもらうために、作品を届けるために、より多くの人に会い、とにかく素晴らしい作品たちを作っていく必要がある。会社でも映画でも目に映る活躍ぶりをし続ける必要がある。

ばいばいインスタ、作品投稿する日まで。

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