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インスタをスマホから消したい。

ストーリーに縛られた生活。承認欲求や他人からの比較。
限りある時間を思考、制作、仕事に当てたい。

マーク・ザッカーバーグの掌で踊っている暇があれば、彼を利用してやりたい。


未だにInstagramはスマホから消せていない。FacebookやTIKTOK、Xは入っていないが、これだけは消せなかった。

ストーリーの存在が、私の活動をこれまで出会ってきた人間達に届けてくれる。

そして、久々に会った人が、ストーリーで動きを賞賛してくれる。なので消せない。

あまりにもダサすぎる。映画監督を目指す者として、写真を続けていく者として、ビジネスマンとして、アーティストとして。思考が三流過ぎる。


自己発信の一貫でしか活動を発信できずに、Instagramに束縛されている自身がダサすぎる。

こんな状態では夢は叶わない。

仮に私が映画を制作し、評価され、プロデューサーから依頼され映画を制作する忙しい人間だったらどうだろう?

街や美術館に数ヶ月単位で作品を置き、地方の新聞やウェブメディアに取り上げられる人間だったらどうだろう?

有名な企業のCM、伯のあるブランドのPV、数千万再生のMVを制作したディレクターだったらどうだろう?

その時はInstagramに執着をしていない。
メディアが勝手に活躍を知人に届けるでしょう。

今のように、義務的にストーリーの更新などしない。

きっと上手く利用していると思う。


勘違いする人もいそうなので、説明しておく。

Instagramを辞める話ではない。
スマホから消したいという話題だ。

なので、発信や投稿はPCからして行く。

現に、FacebookやX、Pinterestなどはそのような使い方をしている。

長くなるので端的に言うが、SNSの使い方をAudienceとPlayerで定義している。

スマホでのSNS使用は、システムにおいてAudienceになりやすい。要するに、人の活動を見る側に回りやすい。

TIKTOKの流行と、インターネット上での時間感覚の変化によって、ショート動画社会が到来し、その2つは明確化された。

更に、その2つの立ち位置が生活に与える影響が、良くも悪くも大きくなった。

SNSのAudienceとして生きても、少ないインプットの対価に時間の消費と名前のない劣等感、比較主義を得るだけだと考える。

だからPlayerになってSNSを利用してやりたい。


そのファーストステップとして、スマホでの利用を控えて、視聴がしづらく、投稿は可能なPCに移行しようと計画した。

以前このような記事を書いたが、TIKTOKとXがスマホに不必要である理由を明記した。

その流れで、Instagramを消そうか判断してい中で私は手が止まる。

はじめも書いたよう、ストーリー機能での発信が知人への活動報告になっている。

残念ながらその機能は、PCにはない。

なので、スマホでInstagramを使います。最低限のストーリーや投稿はしよう。

ただ、誘惑に負けショート動画を見たり、関係の薄い人間のストーリーを流し見もする。

その行為は、自分の将来の為に繋がっていないと分かっていても。

だから自らをダサいを軽蔑するのだ。ザッカーバーグに踊らされている自分を。


とにかく現状を変えるには2つしかない。

【1】ストーリーを使わなくても、知り合いが活動を分かるようにする。

【2】これまでの知り合いとの繋がり(SNS上での)を消して、解放される。

細かい他の行動パターンも見ていく。

今まで通り、スマホで周りと同じようにInstagramを使う行為は違う。それでは、自身の目標から遠く離れてしまうから。自身の時間の使い方に対する思考と合わない。

次に、PCでストーリー投稿できるアプデに期待する。これも無い。期待して、実装されるまでどうすればいいのか。いや、そもそもPCでストーリー投稿など不便すぎて誰が使うのか。

次、Instagramで定期的に投稿して、発信する。
これもない。自身のスタイルとして、投稿はブランディング用と記録用があるが、多くの目に触れるのはブランディング側。そのアカウントは、やはり質を落としたくないし、一つ一つにコンセプトを持ちたい。
記録用は、かなりプライベートの動きになるのでフォローする人間も限られていく。

これだと出会ってきた人々への活動報告という目的が達成されない。

更に、日本で最前を走る写真家や映画監督でも、投稿で活動を見せる方々はいるが、それには憧れていません。

真似はせずその時間を制作に生かす。彼らは越さなければならない存在なので。

【2】解放もできない。やはり出会ってきた人達との縁はかけがえのないものだ。

とはいえ、SNSでの縁をかけがえのないと言えてしまう私と現代社会の構造が残念だ。おばあちゃんの厚い電話帳や毎年手書きの年賀状を送りあう風習が好きだった。そちらの方がかけがえのない、という言葉が良く似合う。

ただ、今の社会では機能性重視なので、関係性の橋となってくれているSNSの解放はなかなか難しい。

だから、【1】ストーリーを使わなくても、知り合いが活動を伝えられるようにする、しかない。

映画なのか、展示なのか、ビジネスなのか全てを高水準でこなす将来の私は、何でスマホ発信・視聴から解放されるのか。

それまで、とにかく目の前のことを一つ一つ積み上げるだけ。

楽しみな未来へ。

活動は、本気で作った取り組みで魅せろ。

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