記憶の鍵、音楽。
AimerのDAWNを聞く。
苦しかった専門学校。切迫した日々。徹夜をして学校に行けなくなった。
いつの間にか、日は上がっていた。そんな記憶をBelieve:Be:Leaveが、綺麗なまま包んでくれている。あのイントロが胸を切るほどに痛く、皮肉のように最も成長した日々を回想させる。
以前のMV撮影に、アシスタントで入ってくれたノエトとの会話を思い出した。音楽の視聴で思い出される記憶、共感覚について。
私はどちらかと言うと、かつての聴いていた曲を1つのプレイリストにまとめ、保存した記憶を開封したいタイプ。
父親の車に乗ったら流れたバラード。
小学校時代、柔道の大会の前日に聴いていたロック。
思春期に鑑賞に浸っていたボカロ。
高校の帰り、一人イアホンで聞いたラップ。
いつかの記憶が思い出されるのが堪らなく好きだ。
ただ、ノエトは自分からは聞きに行きたくないと話していた。
彼はどこかで、不意に曲を耳にして、かつてを思い出される偶発的な感覚が好きらしい。
これは、受動的か能動的かで得れる感覚が変わってくる。
そもそも、音楽で記憶がフラッシュバックするあの感覚は何なのだろう。
人間の記憶とは面白いものだが。1つの鍵を開けるとその周辺の記憶も開かれてゆく。
それは、時にトラウマと呼ばれ、時に幸福を与えてくれる。
さて、ここで私の人生における記憶の鍵を幾つか紹介したい。
ハロハワユというボーカロイドの楽曲は、入院をしている頃に出会った。
生について考えていた小学生時代、その曲の歌詞を噛み締めながら病室で一人泣いていた。
西野カナのThinking of You。卒業して離れ離れになって友人たちを思い歌う。それを、転校前の草津の友人に照らし合わせていた。中学で怪我をしてしまった時、やはりあの頃は幸せだったなと、過去の人生にしがみ付こうと必死だった。現実が、残酷すぎて、目を開けたくなかった。目を瞑って西野カナの歌声と共に、過去の鮮やかな記憶に救われていた。
ぼくのりりっくのぼうよみのパッチワーク。
ランニングにハマっていた高校時代。
走っていた時にではなく、帰宅後シャワーを浴びる際に必ず流していた。
歌詞が自身の状況に合致していたわけではないが、彼の世界観とアーティスト像が魅力的で、最も好きな曲だった。他にも挙げたらキリがないほど記憶の鍵を握っている曲たちは存在する。ここ数年オルタナ色強めになってしまったが、ポップミュージックを好んでいた学生時代の記憶の鍵は、多くの同年代と共感できるだろう。
その鍵は、写真や映像と同じく、『記憶の保存媒体だと思っている』今はどれほどその量を増やせるか?という意識を持っている。
未来で音楽を流した瞬間に、開かれる記憶達が楽しみだ。
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