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写真についての初考。
写真とは
写真。カメラで撮影した一瞬。なにも考えず写真という二文字を深く掘ることもなく生涯を終える人生がオーソドックスだろう。
ネガな思考を悩みと名付け、日々悩み続ける我ら現代人も、「写真とはどんな存在なのか?」なんて疑問が、脳内に浮かんだ者は少ない。
しかし、私は写真と生きる生業を選んだことで、失礼なく向き合う為に、思考をし、悩むことは最早義務に近いと思うYouTube
写真とは何なのか?
私の人生において、どんな立ち位置だろうか。
一瞬を残すという行為
冒頭でも書いたが、写真はカメラで撮影した一瞬。それ以上でもなければ、それ以下でもない。
その『一瞬』の価値を、最近はよく考える。相変わらず哲学的に生と死について絶えず思考している日々だが、もしかすると、その一瞬の直後に撮影された対象・また撮影した対象が亡くなってしまう可能性も0ではない。
死でなくとも、人的環境や周辺環境によって、同じ瞬間を網膜に焼き付けることが二度とできないかもしれない。
いや、断定する。同じ瞬間は二度と訪れることはない。
デジャブ的は向かってくるかもしれないし、似た状況を再現することは可能だが、『同じ』は存在しません。
同じ瞬間はそうやって、私たちの後悔の種になり、執着の原因になり、淡く儚く時に感動を齎す。
それを、シャッターの音を鳴らしながら未来に残していくのが写真撮影という行為。
写真をはじめて、今の一瞬の価値を知り、大切さを学んだ。
写真を撮る目的
写真を見た時に「何を目的にした写真かを考える」
インスタグラムで回ってきたものでも
「これは思い出用」
「これは被写体の女性を美しく撮る為のもの」
「これは広告として宣伝効果をもたらすもの」
「これは自分の思考の表現」
と分析する。それが正しいかは重要ではなく、冒頭でも書いたように写真という二文字を深ぼっている側の人間の作品を読み取りたい。そして理解したい。表現者としていて生きることを選んだ以上、その意図を無視するわけにはいかないので。
未だに吸収段階だが、写真を何の為に使って、どのように共存していくかを考えている。
その上で、金銭的な金額の兼ね合い、依頼にどう対応していくか?
最終的に写真を使った表現の対価として、自らが何を求めているのか?
自分が死んだ後に何を残したいのか?
などを定めていく必要がある。
客観的に分析するのは、写真と共存している人間の向き合い方や想い、目的を受け取るためでもある。
このSNS時代で、ほぼ無限にある母数。時間がある限り漁り続けるのも悪くないな。
写真と生きる
以下は、私の写真について書いてあるメモの一文。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/103178027/picture_pc_ab18ac30dddbd9caf2c009c2c88bc5fa.png?width=800)
過去の僕が書いたこの文章から、暫く時が経ちましたが、私の中でも写真に対する考えは変わっていない。
写真は希望。
山口大空として、希望を写したい。
単なる技術の上達や興味は、クリエイターMARO(別名義の活動)としての活動で取り掛かろうと思う。
自身、山口大空としての活動は希望を写し、残すものとして写真を捉えていく。日常の希望を残す為に私は写真と生きる。
山口大空
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