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変わるから、負けないで。

自分の容姿、身長、能力全てが憎かった過去。

鼻の低さ、口の形、エラのハリ、毛深いことも。
顔の大きさも、身長、髪質、足の短さも太さも、地頭の悪さも、何事にもセンスのなさも、無駄に高いプライドも。

書ききれない。振り返るほどに、溢れ出してくる自らへの醜さが。
海のように、覆いつくすように。

人目を気にして生きていた。
学生時代は見知らぬ人に笑われている錯覚があった。

小学生後半と中学の頭は、手の甲を切りつけ、高校は、年中顔にマスクをしていた。専門は、帽子も被って身を覆う時期もあった。

地獄のような時間も少なくなかった。
3年生はいい思い出ばかりだが、中学で受けた言葉は忘れなれない。

先輩や同級生に走り方がおかしいと、ゴキブリみたいだと言われ、それになぞらえたあだ名を付けられた時期もあった。
今でも恨んではいないし、数日で笑ったけれど、悲しかった感情は覚えている。
中二の三月。合宿で先輩に言われた言葉と、中二の体育大会の次の日、同級生の女子に言われた言葉。心臓に刺さったナイフの傷は、未だ刻み込まれて抜けない。そんなモノはたかが一例でしかないけれど。

当時は、自身の精神を守るためにも、『感情を感知できない人間に育ってしまった可哀そうな人』と憐れみの感情を抱いて自衛した。
能力も容姿もいじられた過去。ここに書きたくないことだって山ほどある。未だに隠していることもある。

受けた言動としては私は優しいほうだ。優しい友人はいたし、笑っている時間、素敵な思い出も数えきれないほど存在する。ただ自身にコンプレックスを多く抱えている性分なので、少しの心無い声で深い傷を負ってしまう。
そんな人間も多くいるだろう。


これからのメッセージは、いつか映画にしたい内容で、今悩んでいる人たちに伝えたいこと。

多くの子供は、傷つける言葉を簡単に発してしまう。
被害者になったことがない人は、「どんな言葉が人を傷つけるのか?」といった判断ができないので、自身の快楽や感情で言葉を投げ付ける。

受け身のイメージはしない。
投げているモノが尖っているとも気づかず。
投げられてはじめて分かる。とても痛いから。

しかし、私はリストカットしたくなっても、首を吊りたくなっても、飛び降りたくなっても、コンプレックスと戦って生きて欲しい。

いじられることは、いじめられることは苦しい。
心を傷つけられる。それでも、死なないでほしい。
命を経った時、あなたは本当に負の部分に負けてしまうから。

私の周りに自殺未遂もいる、薬に逃げた人間もいる、鬱で入院した人も、性暴力や自傷と同様の感情を抱くような子も。
死にたくなることは理解できる。ただでさえ、私たちが生きる社会は、政治や経済、災害に疫病、自殺のニュースにエネルギー問題、差別に戦争。
そんなものに囲まれた状態で、家庭や学校につつかれて傷つけば、心が持たないことも仕方ない。

でも、1度踏みとどまって欲しい。
この世界には、必ず救いがある。
自分を変える救いと、周りを変える救いがある。

まず、自分を変える救いは、コンプレックスを解消すること。
性格を見直す、美容整形、コミュニケーション能力の改善。決して簡単ではないが、努力と自己投資で解消できる悩みも多くある。自身が変われば、周りの反応は徐々に変わっていく。整形の話をすると「親にもらった顔なのに..」といった意見を耳にすることもあるが、顔を変えたければ変えればいい。思い悩んだり、死を選択してしまう方がよっぽど親不孝だろう。

周りを変える救いは、環境を変えること。あなたのコンプレックスに触れ、傷つくような言葉を吐く人間が周囲にいるのであれば、まず離れよう。同じような悩みを抱えて共感してくれる人、あなたがコンプレックスと思っている部分を何も思わない人やコミュニティだってある。

周囲の環境が世界ではない。

死にたくなった原因は、必ず解消できる。
自分を変えるか周りを変えるか。悲観的に立ち止まっていてもコンプレックスからは逃げられない。現状を変えてみよう。

負けないで。変わるから。

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