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社会に合わせたものづくりの葛藤。


まだ「人に合わせたものづくりだけで生きている気がしない」


https://www.threads.net/@sora___yamaguchi/post/Cy7srzhJ4la

好きな世界を明確にした対価


写真を例に挙げると自分の好きな色合いが決まっている。好きな世界が明確。何者かよく分からない一貫性とやらを得るために、自己分析して『好き』の感覚を学び、具体的にする為に、触れる対象に序列を付けてきた。

好きの傾向が掴めたと同時に、刺さらないものは、心に全く刺さらなくなった。

世界をより広く、深く、神羅万象吸収しようとする姿勢は今も変わらないが、『本当に好きな世界観』に該当する作品が日に日に減る感覚を得る。心に届いたモノ以外で今後も触れ続けるのは、思い出補正の魔法が掛かっているモノたち。

好きの分母は増えているのだが、感覚的な「好き」ではない。背景や制作過程、自身と異なる感性への新鮮さや大衆の評価を加味した上での「好き」なのだ。

それを抜きにすれば、正直刺さらない事が増えたなと感じる。

私は自分を持ちすぎた挙句、人と合わなくなった。ピアノやアイリッシュを共有できる仲間が欲しい。

仕事への影響

影響は間違いなく多い、負の側面で。例えば、クライアントからの修正シーン。

「自身の感性で作っても相手には刺さらないこと」。それは熟知しているので、ある程度条件は絞る。参考は用意して、ヒアリングは欠かさず、自分なりに落とし込む。

ただ、それでも大幅な修正が掛かった時には心が保たない。

動画やWEBサイトは、ある程度と料金と時間共に互いが費やすプロジェクトなので、コンセプトやデザイン上での意図をNotionにまとめ、ウザくならない程度に行動を言語化する。

面倒くなければ、読まなければよい。
ただ読めば、どんな想いで作ってどんな意図でどんな目的を持っているかが部分的にも具体的に落とし込まれている。

これは仕事上でクライアントの求めるものに100%寄り添うために、自らを殺しきれない私なりの足掻きだ。

ただ、実際にあった事例。そのように制作した自らの創作物に対してこんな修正が入った。

「考えを尊重しながら考えていきたいと思っていましたが、引っかかる部分があります。一度〇〇をもとにしてもらえますか?」
「すごく抽象的なアドバイスになってしまうのでまずは〇〇と全く同じやつを作ってください」

要するに、作り直しが来た。

もちろん「承知しました。」と鵜呑みする。

ただ、心が保たない。何時間もかけて、自分なりに意図を持って制作したものを否定され、〇〇と同じモノを作ってください」と言われる現状。
その引っかかる部分を教えて欲しかったが、掘り出せなかった。それがなければ、この手法の改善が難しい。

アイデンティティを破壊され、誰かの成果物をパクらねばらならい自分の実力不足と適性の無さ。創作でクライアントワークをやり続ける人生ならば、救いの道はないのだとおもう。

完全に自分を殺すか。
自分を出して、相手とぶつかるか。

ただ後者はできない。委ねられれば一度自分の色を出すが、それを否定され修正が来れば精神に傷を負う。

そのあとは戦わない。
戦力がないので。そのまま相手の意向を呑む。「培ってきた考えや想いはまた届かなかった」と。

多くの「人」に合わせたビジネスの世界で適性がないのではないかと、よく考える。

全く関係ない場所に就職したり、バイトして好きに写真を撮って自主制作の映画をしていく方が全然幸せなのではないかと。

「人に合わせたものづくりで生きている気がしない」。

これから、生きるほど好きな世界観は更に出来上がっていくだろう。

仕事をしていって自分の感性を否定されるのは嫌だ。怖い。

技術や環境の進化が、その悩みを解決することはあるだろうが、根本の感性は独自路線を走り続けていく。

「社会に対して恩返しをしたい」
「多くの困っている人を助けたい」
「会社にして周りの仲間の活躍できる場所を作りたい」

そんな想いで今後も続けていく、モノづくりの仕事。人に合わせて生き続けるために、ゆっくりこの問題の解決策を見つけていきこう。

まだ答えはないが、諦めずやっていく。一旦、もがいてみます。



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