「戦争をしらないオトナ」他(通常号 第18号・2002年8月2日発行)
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---◇ 山口“悟風”智・作「おかあさんへの手紙」◇--------------
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-----------------------通常号 第18号・2002年 8月 2日発行 ----
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☆今週は、低学年トラック
1975年度北海道上川郡風連町立風連中央小学校2年学年通信「リボン」より
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★二学期〜実り多き時に
雨の多い不順な天候の夏休み。お祭だお盆だと出費も多く、にぎやかで“早く学校がはじまってくれないかなあ”と、もてあまし気味の昨今だったのだろうと拝察。
今日から12月末まで、また確かにおあずかりいたします。
二学期は、約4ヶ月。期間も一番長く、気候もすごしやすい。そして、オイシクものの食べられる、みんなによい時節です。
「心身共に実り多い時間」にしたいものと決意しております。何かとご協力、ご鞭撻の程を——。
二年担任一同
(1975年8月19日)
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★戦争をしらないオトナ
「戦争を知らない子供たち」といううたがありますが、戦後三十年。「戦争を知らない大人たち」がいっぱい。
私はあの日、五年生。比布にいました。近所のおばさんたちがもんぺ姿のまま、私の家のラジオの周りに集って、みな涙をのごっていたことを、はっきりおぼえています。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」。あの放送があった、つい二、三日前にはパルプがやられ、比布駅に停車していた汽車がやられました。
駅のすぐ近くだった私の家は、恰度飛行機が屋根すれすれにとんできて、発射する地点だったのです。
押入れの上の段にありったけのふとんをびっしりつめて、父と母と妹たちと五人が肩寄せ合ってふるえたことをおぼえています。三年生のときには陸軍准将とかいふ先生がきて、ゲートルの巻き方を習い、巻きおわるとならんでかけ足。しっかり巻いたつもりのゲートルが、ズルズルとゆるんで、そのたびにどなられて……。
夏休みの仕事は、たばこにするとかで、イタドリ刈り、南瓜を手が黄色くなるまで食べたり、耐えがたきを耐えてきた。戦争を少しだけ知ってるオトナなのです。
(1975年8月19日)
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☆来週は、5年生トラック
1981年度北海道富良野市立鳥沼小5年学年通信「つながり」より
☆このメールマガジン版では、明らかな間違い以外は、筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
山口“悟風”智のプロフィールは、
http://plaza.rakuten.co.jp/gofu63/profile/
をご覧下さい。
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◆編集後記「千鳥足」◆
北海道の学校は、お盆過ぎには2学期が始まります。悟風が書いた学年通信で分かるように、75年度の風連中央小学校は、「8月19日」が始業式だったのでしょう。
東北や長野などでも、夏休みが「40日」ではない地域があると聞いています。冬休みを長くするのは、雪国は、冬の移動がたいへんだから、だそうです。これには賛否両論があって、「短い夏だからこそ、夏休みを長く」という意見もあります。でも、私は「25日」派です。雪国には、雪国ならではの冬の遊び方があり、思う存分遊べるのは、やはり長期の休みだからです。
ただ、私は子どものころ、毎年夏・冬とも、始業式の前々日あたりからずっと、ため込んだ宿題を、泣きながら片付けていました。「明日できることは今日やらない」という性格は、そのころから変わっていないようです。
「お盆過ぎには2学期スタート」というのは、道産子には当たり前のこと。でも、「内地」の方は、あまりご存知ないようですね。
例えば、最近では、NHK連続テレビ小説(いわゆる「朝ドラ」)の「ちゅらさん」で、北海道出身という設定の男性が子ども時代を振り返って、「8月31日の夏休み最後の日」というせりふを言っていたことがありました。放送を見ていて、私は「あ、間違っているぞ!」と思いました。私だけでなく、そういう細かいことには、極めて敏感な同僚(帯広市出身)も、さすがに見逃していませんでした。脚本家は、素晴らしいドラマをたくさん書いている人ですが、このときばかりは、ご本人もスタッフも、十分に調べていなかったのでしょう。その同僚とは「NHK、取材が甘いなあ」と、笑ったものです。
「★戦争をしらないオトナ」に出てくる「比布」は「ぴっぷ」と読み、旭川市近郊の町です。同じ発音の医療用具のコマーシャルフィルムに、JR比布駅と、その商品を出している会社の経営者が出たことがありますね。それで、覚えていらっしゃる方もいるでしょう。
「パルプ」とは、現在の日本製紙旭川工場
(https://www.nipponpapergroup.com/sp/about/branch/factory/npi/asahikawa/)のことです。所在地名は「旭川市パルプ町」といいます。この工場は、北海道北部の中心都市・旭川の市街地北側に広がっており、敵国にしたら、格好の標的だったのでしょう。
ただ、北海道北部は、今でも田園が広がっています。50年以上も前ならば、なおのこと、田舎だったでしょう。なのに、そんなところにまで敵が攻めて来たということは、都会にある「標的」は、既に攻撃を終えていたということ。どう考えても、勝ち目のない戦争だったのです。ならば、国策によって、無駄死にさせられた人たちが、どれだけいたのか。
今、日本政府は、国民を統制して、プライバシーを侵害し、戦争があった時に国民を総動員するための法令整備に躍起になっています。これは、「いつか来た道」ではないですか。誤った国策を、もう一度、国民に押し付けようとする政府も、内閣も、私は絶対に支持できない。私は、「戦争を知らない」まま、おじいさんになりたい。後の世代にも、地球上の他の地域の人たちにも、「戦争を知らない」ままであってほしいと強く願います。
日本にいて、「戦争を知らない」ままでいるためには、どうするか。8月は「6日」「9日」「15日」という三つの柱を通して、率直に過去を見つめ、見直し、誓う月にしたい、しなければならないと思います。
(発行者・山口一朗)
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■発行者: 「悟風の書斎」管理人・山口一朗
yamaguchi_gofu@yahoo.co.jp
「悟風の書斎」http://www.asahi-net.or.jp/~jh2i-ymgc/gofu.html
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※トップの画像は、「JR宗谷本線・風連駅駅名標」ヨッシー宙船さん撮影。
旧風連町(現・名寄市風連町)にあるJRの駅です。この写真は「photoAC」https://www.photo-ac.com/ よりご提供いただきました。ありがとうございました。
■「おことわり」
☆明らかな間違い以外は、基本的に筆者・山口“悟風”智が書いたまま載せています。
また、日本製紙旭川工場さんのウェブサイトは、URLが変更になっていましたので、本文、リンク先とも新しいURLに変更しました。(編集者・悟風のムスコ)
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