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ジョゼに魅せられて

1.映画の鑑賞前の状況下と僕(山口)の暇な身の上話

歳末近付く12月27日の日曜日、翌日が仕事納めだった僕は毎年楽しみにしているポケモン映画(2020年は言わずもがなであるが、コロナ禍の影響で夏上映が冬に延期になった)を夜遅くに近い時間で見て、それから事務所で寝泊まりをしようと考えていた。
 家と会社事務所は距離があるのと、始業が8時で早いので始発に近い時間で出発しなければならないことを考慮した上でのことだった。
 はやい話が家に帰るのと朝早く起きるのがが面倒だったのだ。幸いにも枕がかわって眠れないような繊細さを持ち合わせていないもので、何処でも眠れてしまう性質の僕は事務所の床で寝ることに対して一切の問題を感じなかった。
 目をつけていたのは6時50分の回。事務所にはシャワールームなんてものはないので、5時ごろまでに風呂で身を清めたりと身支度を済ませてから1時間ほどかけて北上して定期圏内である新百合ヶ丘のイオンシネマまで向かった。
 新百合ヶ丘からだと事務所は電車で10分ぐらいのところにある。なんだったら時間をかければ30分歩けば辿り着けるところだ。
 映画を見終えて、のんびりと飯を食べて、事務所でいつものような仮眠スタイルでグースカと寝る算段、最高の休日を画策していた。
 一度家に帰って、翌5時頃に寒い中で目を覚まして起きて出社するよりかは効率的だと思ったのだ。

 さて、えんやこらと電車に乗ってだいたい見立てていた到着時刻の午後6時ごろに劇場に到着し、夏場に購入していたムビチケ(前売券)を利用して電子端末を操作しているときに、ふと、ジョゼと虎と魚たちの上映案内があることに気がついた。
 上映は午後9時半からのレイトショー。ポケモン映画の上映終了時刻が8時50分なので、無理なくはしごができるなと考えに至った。

 その時は原作のことについての情報も一切知らず、ただなんとなく、ああ、この映画の予告を映画で何度か見たことがある気がする、綺麗な絵だったな、と覚えていた。あと、主題歌がすごく綺麗な曲だった気がする。そもそもやっていたんだ。そんな程度の認識だった。
 そもそも(その時率直に思った感想として気分を害されたら申し訳ないけれど)ライトノベルっぽいタイトルに感じており、最近のラノベなのかしらと思っていたぐらいである。
 記事の後半にも触れているのだけれど、昭和に発表された短編だということに気付いたのは視聴後に調べた時なので本気でそう思っていたのである。
 逆に「ジョゼと虎と魚たち」というタイトルが令和の現代であってもなんだか新しいと思わせる魔力を秘めている事の証明……にはならないだろうか。
 さておき、久々にレイトショーで映画を見るのも一興か、と思い至り、事務所で寝泊りするつもりで来ていていたのでこういう時でないと見る機会を失いそうだ、気になっているなら見るべきじゃあ、ええいいったれいったれという心の声に従ってそのまま連続してジョゼと虎と魚たちのレイトショーの回を購入した。
 レイトショーのいいところは通常価格よりも少し安く買えるところで、消費税5パーセントの時代はたしか1000円で買えたなぁと昔を懐かしみながら1200円を支払った。

2.ポケモン映画の簡単な感想

 ポケモン映画は今まで全て見てきた中で、自分の中でトップ3に入る作品だったことをここに書き記す。
 「きみに決めた!」からテレビアニメから独立したパラレル軸に近いサトシが活躍するので、あまりテレビを追えていない、なんならゲームも遊んでいない人でも楽しめる2017年以降の「映画ポケモン」の中で2018年公開の「みんなの物語」が僕の中では最高傑作に近いと思っていたのだが、2020年公開の「ココ」はそれに匹敵する出来の良さだった。


 一時期の怪獣映画に近い、伝説のポケモンが暴れて幻のポケモンか何かが諫める、みたいなテンプレートに当てはまったようなシナリオでなく、きちんと物語ができているので見ていて心を揺さぶられるものがある。
 今回の映画のテーマはゲームでは扱えない設定かと思われる「ポケモンに育てられた人間の子供」が出てきて、それがいかにして壁に立ち向かって成長していくのかが丁寧に描かれていたと思う。
 いずれポケモン映画の感想はつらつらと書いていきたい、かもしれない。

3.ジョゼと虎と魚たちの感想(主観多目)

 
 全てが愛おしいと思える作品に巡り会えて僕は幸せだったと思う。



 ※内容をがっつりと書き記した、ネタバレを含む感想文です※

 恒夫くんに心を許すまでの高飛車のようなつんつんしたジョゼの描写もたまらなく好きだけど、はじめて二人で海に行った時の海水の味のしょっぱさを味わった時のジョゼの表情が、ああ、本当に楽しそうだなぁと見ていて嬉しかった。
 それまでの鬱屈していてあまり表面に感情を見せなかった彼女が心のうちを曝け出した時の可愛さの破壊力たるや。
 恒夫くんがジョゼを抱えて海に入る時、靴を脱がずに躊躇うことなく入水したのも男らしくて素敵だった。
 それから「ばあちゃん、1時から3時まで昼寝しててん」って耳打ちしてから悪戯に笑うジョゼにも、見る物全てが新鮮でキラキラしているといったばかりに子供のように表情が豊かに変化するジョゼにも、ずっと目が離せなかった。
 恒夫くんに畳の目を数えろって冷たく言い放ってた頃と比べて、それはもう丸くなったジョゼが可愛かった。
 映画鑑賞でぐちゃぐちゃに泣いてるジョゼがその中でも一番のお気に入り。なんの映画を見に行ったんだろう。

(大阪メトロとのコラボの映像。本編では使用されていない映像のジョゼがかわいい)

 それから一度恒夫くんと喧嘩した後に自宅の畳の上で「ぐちゃぐちゃやねん…」と諭吉(猫)に語りかけるジョゼ(泣き腫らしてる?)も、その後に押しかけてきた恒夫くんが持ってきたクラリオンエンゼルフィッシュデザインのライトを見た時のジョゼの表情も良かった。
 言葉の表現があまりにも貧弱ではあるけれど、もう全てが愛おしかった。
 その時の
「管理人が作ったんか?」
「管理人が作ったんだよ」
「道理で不細工やと思ったわ」

というやりとりが信頼した上での軽口で大変素晴らしかった。
 言葉では憎まれ口を叩くけれども、その表情はとても柔らかくて。ライトの柔らかいオレンジの光の描写もすごく綺麗だった。
 ここの恒夫くんがイケメンすぎてそっちはそっちで注視できなかった。男の僕が見ても惚れてしまいそうだった。

 中盤、祖母が亡くなってから電動車椅子になったジョゼが最後の仕事として恒夫くんに依頼した、もう一度海に行くシーン。
 それは序盤にはじめて海に連れて行ったシーンと同じ構図で描かれていて、対比になっているのが印象的だった。
 その時は恒夫くんの介助も必要だったものが、電動なのである程度一人でなんとか出来るようになっているのが自立して生きていく決意を固めたジョゼの心の表れなのかと思うと共に、個人的に仲良く大阪を巡ってニコニコしていた二人の関係性が好きだった僕には物悲しく見えた。

 物語中では意図して使用していない単語なのだそう(パンフレットのインタビューより)だが、このアニメ映画では「障碍者(障害者)」という言葉が台詞でも出てこない。
 ただ、二度目の海の場面となってはじめて対義語である「健常者」という言葉が登場する。たぶん一度飲み込んでいた言葉(喧嘩する際の「お前には分からん」のあたりがたぶんそうだと思う)が、この場面で吐き出された。
直前に紡がれた「屋根に引っかかった赤い風船~」からの台詞のジョゼの悲痛な叫びもあって、痛烈に刺さるワードだった。
 彼女の言う健常者では容易く出来てしまうことも、彼女には手を伸ばしても届かないものであることを改めて認識させられると同時に、なにも返せる言葉が恒夫くんにも、そして視聴者である自分の中でも思い浮かべられずに言い知れぬもどかしさを覚えた。
 その後に一種の挫折を経験する恒夫くんが「手を伸ばすことがこんなに怖かったなんて」と吐露するのも当然だと思う。

 二度目の海から帰ろうとする時、道路舗装の欠損で車輪がはまってしまい車椅子の身動きが取れなくなってしまったジョゼ。
 彼女を助けようとして近付き、雨にスリップした乗用車に巻き込まれて交通事故に遭って一生歩けなくなる可能性が出てきてしまった恒夫くん。
 その事故の原因がジョゼは自分にあると責任を感じるようになる。
 互いがそれぞれ心を腐らせていく中、恒夫くんと同じバイトで恋敵役を担う舞ちゃんに発破をかけられたジョゼが恒夫くんに向けてひとつの作品を作ろうと奮起する場面。
 それまで出会ってきた人の力を借りながら頑張っていくところは、それまで外の世界へ踏み出せなかった彼女が恒夫くんのことを思ってはじめてのことに挑戦する「手を伸ばす」行為で、二度目の海で恒夫くんが言った「そんな悲しそうな顔」とは全く違う表情で、凛としていて、ああ、ジョゼが頑張っている……とそこで目が潤んでしまった。

 そうしてジョゼが完成させた「にんぎょとかがやきのつばさ」は、ジョゼ視点での恒夫くんとの思い出をモチーフにした絵本。
 それを読み聞かせをしている時、これまでの彼らの思い出が回想として登場するのだけれど、その時読んでいる文と併せて映像が出るものだからそこでまたじんときてしまった。
「ああ、見る物全てに心が躍るわ。嬉しくてスキップしてしまいそう!」という表現を、車椅子のジョゼが考えたんだと思うと、あの大阪巡りはそれぐらいに嬉しかったんだろうと考えてしまうと涙腺が決壊しそうだった。
 作中で度々登場する童話「にんぎょ姫」のような物悲しい結末でなく、ご都合主義とも言える心地よいくらいのハッピーエンドを迎えたその作品に、恒夫くんは真っ先に拍手を送り、涙をそぞろに流していた。
 のちに彼が「心の翼を貰ったから……」とジョゼに感謝を伝えるシーンに繋がっていく。

その恒夫くんを連れてきたバイト仲間の隼人くん(茶髪のチャラ男)も相当なイケメンで凄まじかった。要所要所でフォローアップの上手い、ウェットな表現に富む彼が何故モテないのか不思議である。
「息できるようにしたる、黙って着いてきぃ」は、ダイビング中にエア切れを起こした恒夫くんに併せた台詞回しで、その時ばかりはいつものちゃらけた感じでなく真面目なトーンで喋っていて、あ、真摯だ、と思ったと同時に声優さんは凄いと再認識したものだ。間もなく空気が変わっていた。

それから恒夫くんがリハビリを頑張り(挿入歌の心海も凄く良かった)、

 その努力の甲斐あって年内の退院が決まっていよいよハッピーエンドかな、と思いきやここでまた波乱が。
ジョゼが退院日当日に連絡も取れず、行方知れずとなってしまう。
彼女は彼女で、恒夫くんの退院日にわざわざ夢に見そうで怖い虎を一人で見に行ったのだが、何故そこで……と見ている時も思ったのだけれど、それは一人でこれから生きていくための通過儀礼としての彼女なりのケジメだったのかもしれない。
 彼女自身が作った物語の一部である「お別れするのが寂しく」て、そうしてしまったのかも。
 また曲がりなりにも事故の一端を担ってしまっている自分自身に責任を感じていたから?と、考えられることも出来なくはない。
 ともかくジョゼの居場所のわからない恒夫くんは関係者三名(同じバイトの二人と花菜さん)に声をかけて一緒に大阪中を捜索するもあまり芳しくない結果に。手がかりである車椅子の車輪の跡を辿るも大きな交差点(御堂筋らしい)でそれは途絶えてしまう。

 動物園の帰り道、不慮の事態(犬に逃げられたおじさんが接触してしまった)により物語の序盤のように坂道を駆け降りていくジョゼ。電動車椅子の舵が効かず、自らの手で止める術もない。速度を上げて下る坂の前方に車の横断が視認できたジョゼはぎゅっと目を伏せる。
 絶体絶命、段差か何かに当たって車椅子から身を宙に投げ出されるジョゼを救ったのは、ご都合主義だけどもそんなの万々歳である、恒夫くんである。
「大丈夫かジョゼ」
と彼女を抱き抱えながら声をかける恒夫に「お前が大丈夫か!」と返すのはジョゼ。ありがとうでもなく、相手を気遣いつつも若干責めたようにも思える台詞回しで、大阪っぽいと本場はあまりよくは知らないけどそう感じた。その後に折角退院したのに足が……と心配はもちろんしてはいた。優しい。
 それから二人はそれぞれ抱えていた思いを口にし、最後に恒夫くんは「俺が管理人でいたいんだよ!」と心からの思いを吐露し、その後に「ジョゼが好きだ」とついに告白をした時にそれはそれはもう心の中でガッツポーズである。
 よくぞ、よくぞ言った。
 言葉を聞いてぽろぽろと涙の粒をこぼすジョゼも「アタイも管理人が好きや」と思いを告白した時は末永く幸せにいてほしいと心から祝福をした。
 それから恒夫くんはそっとジョゼに優しく口付けをする。彼女は一度感触を確かめるが如く指先で唇をなぞり(ここがまた可愛かった)、
「……想像してたのと全然ちゃう」と呟いた。
「えっと……悪い方に?」「ええほうや」
といって、顔に手を携えて今度はジョゼから恒夫くんにキスをする。ああ、互いが互いに好きでたまらないんだな、とそこでまた涙腺がダメになりそうだった。キスシーンで感涙するのは生まれて初めての経験だった。
 そして雪の降る坂の中腹で二人笑いながら顔をあわせている時に流れるエンディングの「蒼のワルツ」のタイミングがあまりにも良い。


 その曲をバックにスタッフロールとエピローグがはじまり、雪の大阪でジョゼ捜索をしていた面々との合流、司書の花菜さんが真っ先にジョゼに抱きついて泣き崩れるシーン、メキシコへと旅立つ恒夫くんと笑顔で送り出す関係者。
 台詞はないけれども伝わるその後が、あの後どうなったのか、夢を叶えられたのかがわかる。

(順番が記憶頼りなのでぐちゃぐちゃかも)
 それから慣れない事務仕事に奮闘するジョゼ(指の形がタイピング初心者のそれで人差し指だけ、かわいい)、にんぎょとかがやきのつばさを朗読する花菜さん、仕事(アルバイト)中の浜辺を歩く隼人くんと舞ちゃん、メキシコ留学中の恒夫くん。
 アナログの妖精さんと隼人くんに称されていたジョゼがベッドの上でスマートフォン(iPhone 7あたり?)を弄っていて、その次には恒夫くんの同様のスマホを操作している描写。遠距離でも連絡をとれるように買ったんだろうなぁ。
 そしてアパートに越したと思われる、祖母の遺影に声をかけるジョゼ(諭吉もいた、かわいい)。
 それから長いこと暮らしていた祖母のお家の解体工事をしているのを眺めてから、踵を返して電動車椅子を操作するジョゼ。
 かつて住んだ家が壊されていく様を見るのは、どういった面持ちなんだろう。

 エンディングが終わり、きっと一年の月日が経って春が巡っていた。
 いつか恒夫くんに言っていた桜の雨が降る名所のベンチでスケッチをするジョゼ。遠くのカップルを目で追っている最中に「ほんとに桜の雨だ」という声の方に視線を向けるとそこには恒夫くんの姿。
「し、死んだんか?」
「は?」

 なんでいるの、とかでなく死んだのかと一声で出るあたりがやっぱり大阪流なんだろうか、とエンディングを終えた後にしんみりしていたところで笑ってしまった。
 それからいつものように軽口を叩き、最後に恒夫くんは
 「ジョゼを喜ばせようと思って」と爽やかに言う。
呆気に取られ赤面するジョゼは「恒夫の癖に生意気や!」と言って映画は最後にジョゼのスケッチを描写して物語は結末を迎えるのである……。
 最後の最後で管理人ではなく、恒夫という名前で終えるのが大変憎い……二人の関係が進展していることがこれでもかとわかってしまう。
 恒夫(名前)で呼ぶのは、交通事故時とラストの二回だけのはず。40

 見終えて、こんなに綺麗な作品が見られて幸せだと感じたのははじめてだった。
 これまでもいい作品に巡り会えると、ああ、なんて面白かったんだ!一度見ただけでは足りない、もう一度見たい!とはなるものの、今回のジョゼのように感想をしたためて、誰かとこの気持ちや感情を共有したい!誰かとこの作品の話をしたい!と思うまでに至ったことはなかった。

 ただ昂る感情を言葉にするのは難しく、全てを伝えようとするにはあまりにも大変で、文章にまとめようとするとどうしても溢れてしまうもので。

 でも伝えたいと思う気持ちには抗えないので的を射ていない的外れなことばかりかもしれないけれども。
 それでも気持ちを形作って、久方ぶりに慣れないnoteを書いてみようと思い至った次第である。

4.見終えた翌日の僕(山口)の状況+α

 その後、初回を見た翌日の仕事納め日の時もジョゼのことが頭を離れず、2回目はいつ行こうかしら、ああ、原作小説もあるからそれを読んでから行こうかな、と仕事の合間でぽちぽち調べててびっくりしたことがある。
 ・元々の原作が昭和の時代に発表された短編であること
 ・結構生々しい性描写があること
  (ジャンルにエロティックと書かれててひっくり返るかと思った)
 ・実写版映画が存在しているということ
 (結末の情報まで見てしまってそっちもそっちでひっくり返ると思った)

 無知で申し訳ないのだが、本当に寝耳に水だったのである。
 なんだか凄い作品に巡り合ってしまったな、と戦々恐々すると同時に、いろんなジョゼと出会えることに心踊ってしまったのはここだけの話である。
 ただ、無知というのも、たまにはいいものかもしれない。
 ジョゼのように、得られる物すべてが新鮮に感じられるのだから。

 今現在は原作と実写版も見終えていて、いつかはジョゼの名前の由来であるフランソーズ•サガンのジョゼ三部作(一年ののち、すばらしい雲、失われた横顔)を読んでから、もう一度、アニメ映画のジョゼと虎と魚たちを見に行きたいと思う。
 それらを新書で欲しいのは山々なのだが古い作品ということもあって在庫もなく、古書店を巡っても見つかることは叶っていない。
 何故ジョゼは恒夫にジョゼを名乗り、そう呼ばせるのか。
 その理由がわかったときにはもっと作品を愛せるかもしれない。
 またひとつ、楽しみが増えた。

 2021年にもなって今なお続くこの疫病禍の世の中を脱した時には、今回のジョゼの舞台である大阪を巡って、登場人物の恒夫くんやジョゼ達が見た景色をこの目で見てみたいとそう心から思う。

 公式でこうやって舞台となった場所を案内してくれるのは本当に有難い。

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