お金が全てじゃないって本当か? 幸せってなんだっけ の続き

よく巷で聞く。

『お金が全てじゃない』

僕が大嫌いな言葉だ。

僕はそういう人達に聞きたい。
「普段何でそんな高いブランド物持ってるの?」
「今3億渡されても今の仕事続ける?」
「そもそも何の為に働いてるの?」
「今じゃ到底払えない高いお金を払わないといけない食事やセミナーに行くという体験はしてみたくないの?」

僕は経営学のゼミ面接に2回落ちて、たまたま空いていた会計学のゼミに入った
(会計といえば中央商が有名で、僕はそこを蹴って横市に経営を学びたくて入ったのだが…笑 とはいえ横市の出会いには一生感謝してるから一片の悔いもない)。
そこで、財務や税務を学び、大学4年の頃には確定申告を自分でして税金として過大に払っていた十数万を取り戻した。
投資や運用には元々興味があったので、大学1,2年の頃は株、NISAもやったし、大学3年からはバイオプもビットコインもある程度経験した(こないだ経営者が逮捕されたビットクラブも大学3年の12月に8万ぶっ込んでます。返ってきて8万…でも良い経験したw)。

会計学を学べたことになったのは一生の財産と言える。
し、お金については学ばなきゃいけない境遇にいた。
それはなぜか。
僕の家はお金に苦しめられもしたし、助けられもした過去があったからだ。

僕は親から仕送りをもらわない生活をしていた。
高3ながらに家計がひっ迫しているのを理解していた僕は受験前の正月に兄と喧嘩したあと家族一家で話し合ってるときにこう言い放った。

『兄貴にばかりお金使いやがって!もういい!僕は一人で生きていく!仕送りもいらん!』

今の俺なら当時の俺にこう言う。
『ボケが。スネかじれるのもあと一年もないんだぞ。今のうちに甘えるだけ甘えろよ』
やべぇ…書いてたら涙出てきたからこれ以上はやめる…。

男に二言はない。
し、言った以上はやれない理由ではなくやる理由を考える。どうやって生きていくかを考えないといけない。
4月、つい先月まで高校生だった僕はより高い時給を求め、皆が遊んでいる時間に必死に調べ(あ、自分もめちゃ遊んでたわ)、崎陽軒本店やみなとみらいのホテルの配膳を行なっている派遣会社に入った。

大学生は意外と「お金」がかかる。色んな誘惑がある。
今となって言えるが、部活を休みまくっていた当時の僕、部活が好きじゃなかったのもあったが、「お金」が必要で仮病を使って働いていた。

忘れもしない 
母とはよく口論をするのだが、卒業前にあの強い母が急にその口論に折れてこう言ってきた。

『泰輝、ごめんね。仕送りもしてやれなくて。』

お金のせいだ。

このエピソードを話した上で、お金が全てじゃないと言う人にさらにもう一つの質問を投げかけたい。

親孝行、満足にしてますか?

yesって言える人、いるか?
いるはずがないよ。親孝行に終わりはないから。
誰もが親が亡くなったとき「あの時もっとあぁしていれば…」って思うよ絶対。

俺は2年以内にガッツリ稼いで最大の親孝行をする為に今頑張ってるよ。なぜかって?

お金で環境は変えられると知っているからだ。お金である程度の幸せは買える事を知っているからだ。

熱くなりすぎた…。前回の続きを話そう。

幸せってなんだっけ?

僕が何かしたことで僕以外の誰かが喜んでくれる。こんなに嬉しい事はない

あれ?どこかで聞いたことあるな?笑
あの言わずと知れた野球選手…。笑
全く同じ意見である。
僕は最近こう言う言葉を使う

自己超越

お金を稼いだ先の使い道を例えば親に変えたらどう?
・今月はボーナスが入ったから、親へのプレゼント買おう
・給料上がったから親への仕送りを増やそう
・宝くじが当たったから親に家を買ってあげよう

最後は極論すぎたか笑

マズローの欲求段階説では自己実現がピラミッドの頂点にいた。その先の事を出来るのが自己超越だ(完全なる自論)。

自己の欲望には忠実に生きるべき。
自分で稼いだお金は当然使い道は自分次第。
でも自己の欲望を凌駕するその先とは 他の誰かへの愛。
誰にだってあるはず。

じゃあそれを形にする為には何が必要?
プレゼント、仕送り、家を買う
物や形だけが親孝行じゃない。それはわかってる。
僕は2,3週間に一回名古屋に帰っている。
年越しの瞬間は基本地元の皆は外で集まっているが、必ず家にいる。
当たり前の僕なりの親孝行だ。
こんなのは最低限。
時間の投資はこれ以上なく今後もしていく。

親孝行に終わりはない。
人へのgiveは永遠だ。

その形にする一つの手段として自分がお金を稼ぐ事があってもいいのではないか?

こんな事を書いてたら
「俺は年収3000万を20代で達成して『お金が全てじゃない』って言うんだ」
なんて言っていた過去の自分がクソみたいにちっぽけに見えてきた。
ましてや今の環境なら3000万なんてむしろ稼がないといけない。周りの結果への基準、執着心、熱狂度が今までとは圧倒的に違い、稼いで普通とも言える環境。

仮に3000万を稼いだら元々ワクワクや興奮さえ覚えた金額が当たり前になる。
家賃が今より高いところかつ1ルーム増える場所に住めても1ヶ月もすればそれが当たり前になる。
人はよりワクワクや興奮を求めだす。
金銭への欲求も本来終わりはない。

でも今の世の中、特に日本はタテマエにありふれている。
少し過激な発言をすれば炎上し、罵倒され、露出を減らさざるを得ない。
金持ちになって豪遊したい!
誰もが本当は思っているはずなのに、それを言わないのが美徳とされてしまっている。。。
イイじゃないか。知的創造を発信できるものにしか物的創造はないぞ。。。
マスメディアにでるタレントなんかが中枢を担っているが、51対49に割れる意見を自分が述べる時、51側に自分がいかなければいけない世の中だ。

100人中51人に偽りの自分を好かれるくらいなら
100人中51人に本来の自分を嫌われる方が俺は良い。
言い方を変えると
100人中51人に本当の自分を嫌われた方が
100人中51人に偽りの自分が好かれるより良い。

それは51→90になっても。

流石に上限は97くらいにしてね。笑
100人いたら3人くらいには本当の自分を好かれていたいよ笑

ビジネスマンらしくないですが、最後に僕の結論を述べます。
ここまで見てくれてありがとうございます😊

僕の幸せの定義は

お金と時間に余裕のあるカッコイイ男でいられること

バシッと決まらんな…これはw
幸せというか目標やし…笑
でも目標を達成出来ている自分て幸せやし…
幸せの定義って今年収400万の俺が定めたものも年収1億とかになればそれが当たり前になってるかも知れんし…

はぁーあ。ええねん。
正解はなくても。自分の中で答えがあれば。笑
この世に正解はないねん!
思いっきり稼いで親孝行しつつ時間をお金で買えるようになって、さらに仕事に精を出して結果出してお金を稼ぐ。
お金の勉強をしてるから、それをいかして働かなくても500万の年収を稼げる仕組みを作れるようにとりあえずなろうと思う。
それでも稼ぎ続ける。

めちゃくちゃな終わり方で
アランドロンござぁした!


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