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その42「辛いと思うことは自分が成長するための材料」

こんにちは。山口美咲です!

今日はなかなか長めなのですぐお話に入りたいと思います😊

その42「辛いと思うことは自分が成長するための材料」

今日は、2010年4月に開催された日本選手権(パンパシフィック大会選考会)のお話です。

12月の東アジア大会から、ただただ痩せることだけを行ってきた4ヶ月がすぎ、日本新記録保持者として臨む初めての選考会が始まろうとしていました。

体重は痩せたものの、合宿はやり直しばかり、怒られてばかり、練習のタイムも中学生のときに泳いでいたような練習タイムでしか泳げなくなっていました。

※水泳をしている人はわかるかと思いますが、100m8本2分サークル(長水)の練習タイムが、東アジアの前はAV59秒しかも29.5のeven。選考会前はAV1分3秒ほど。どんなに頑張っても1分1秒〜2秒でしか泳げなかった記憶。

そして迎えた4月。

会場につくと、生まれて初めてこんなに大きく載った自分のポスターがいたるところに貼り付けられていました。

きっと嬉しい気持ちになるはずなのに、わたしはこのポスターを見た瞬間、全て剥がしたい気持ちになりました。

そして久しぶりに会うコーチや友達、メディアの方からの

「元気ー?調子どうー?」

「日本新記録を樹立して初めて臨む日本選手権ですが、今回の目標を教えてもらえますか?」

との問いに、

「うーん。まあまあかなあ…」

「がんばります。」

というような返答しかできませんでした。


わたしのことを見ないで。日本新記録を出したタイムでなんか泳げない。もうあの頃の私じゃない。恥ずかしい。


そんな思いで200m自由形の予選が始まりました。北京五輪は200m自由形で選考されたため、この種目でもプライドはありました。

ですが結果は予選落ち。

数年予選落ちの経験がなかったため、急に試合中に休みができ、一人の時間にいろいろと考えてしまいました。(水泳の試合は予選、準決勝が同じ日に、決勝まで残った人は次の日の夜に決勝があります。)

頭の中はずっと

「どうしようどうしようどうしよう……」

わたしはそれまでも調子がよくないとき、いつもこの言葉が繰り返し頭の中をいっぱいにしていました。

次のレースは本命の100m自由形。

これだけはどうにかしなきゃいけない。

いくら練習ができていなかったとしても、今できることをなにか!0.01秒でも速く泳ぐために今できることはなんだろう。。。

考えた結果、

もう今から練習はできない。今何かできるとすれば気持ちを少しでも前向きに切り替えることだけだ。

じゃあなにをしよう。

わからないけど、思いつくことを何でもしよう!

そしてネットで調べ始めたのが美容室。

夜中にやってる美容室は歌舞伎町しかなくて、タクシーに乗り夜中2時に歌舞伎町に行き、髪の毛を短く切ってもらいました。

その時、歌舞伎町の美容師さんとたわいもない話をして、

「思い切ったねー!髪の毛を変えると気持ちも変わるからね」

と言ってくれたのが嬉しかったのを覚えています。

いまからなにをしたって体力がつくわけでも、調子がよくなるわけではないけど、気持ちだけでもよい方に変えたい一心でした。

前日とは違ったトイレに入ったり、違ったものを食べたり、違った席に座ったり。思いつく限りのことで流れを変えようとしました。

おかげで、ウォーミングアップまでどうにか気を持たせることができました。

でもいざ100m自由形予選のウォーミングアップをしにプールにいくと、泳ぐことが、タイムが出てしまうことが、みんなに「美咲も終わったな」と思われることが、怖くて怖くてプールになかなか入ることができませんでした。

ウォーミングアップのコース前で立ちすくみ、いっときみんなが泳いでいるのを眺めていました。

そしてやっと泳ぎ始めようと覚悟し、入水した途端…

鳥肌が全身にたち、プールの水は今まで経験したことないくらいの違和感でした。なんだかゴツゴツしたような、水の中で息を吐くことができませんでした。

体も思うように動かすことができず、200mほど泳いだ後水から上がり、コーチのところへ行きました。

「すみません、泳げません。」

全身は震え、涙が止めどなく流れてきました。

そんなわたしをみてコーチは、

「わかった。もうやめよう。レースではきっと練習よりは速く泳げるから。泳ぎ切ろう。」

と言ってくれました。

コーチの言葉で自分を追い詰めていましたが、コーチもまた一緒に悩んでくれていたことを知り、1本泳ぎ切ろうとレースに臨みました。

結果、57秒1。

日本新記録は54秒4。

順位は17位でした。

帰り際メディアからは一言も声をかけられず、誰からも話しかけられたくなかったため、目を合わせないよう下を向いてクールダウンもしないで着替えました。

そして逃げるように大阪へ帰りました。

この頃のことはあまり覚えていませんが、ただ帰りの空がとても明るくて綺麗で、もう照らさないでほしい。と思っていました。

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自分を受け入れられず、水泳人生で一番不安と恐怖を感じた試合でした。

そんな中でも、もがいてどうにかしようとしていた自分も確かにいて、最後までどうにかしようと行動してたところは、わたしの長所だと思います。

これからさらに自分の弱さと向き合っていくのですが、一言言えるのは

「辛いと思うことは自分が成長するため材料」

ということです。

その42「辛いと思うことは自分が成長するための材料」









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