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その43「過去の自分を捨てる」

こんにちは。山口美咲です。

猛暑が続き、もう夏がきたんじゃないかとワクワクしてしまいます^^

引退して気づいたのは、

「こんなに毎日って穏やかなんだ」

ということです!

そう思うのは、毎日プレッシャーというものを背負っていたからだと辞めてから気付きました。

その43「過去の自分を捨てる」

今日は、選考会後のお話です。

逃げるように大阪の寮へ帰った私ですが、1週間ほど部屋を真っ暗にし、ご飯とお風呂の時しか部屋からでず、なるべく声もかけられないように過ごし、暗い部屋の中ひたすら泣いて過ごしていました。

何か考えていたわけでもなく、事実と今ある感情を思うだけで涙が止まりませんでした。

10ヶ月から始めた水泳のおかげで、高校や大学も進学でき、金銭面でのサポートはもちろん、試験なども優遇していただいていました。

水泳のおかげで住む場所も3食のご飯も、学校へも行ける。

そして、友達や仲間などのほとんどは水泳を通してできた繋がり。

「私から水泳を取ったら何が残るんだろう。」

水泳しかできない私。勉強もできなければ、他に得意なこともない。

”私にはなんの価値もない”

こんなことは初めてで、親がガンになった時でさえこんなに泣いたことはなかったため、病気なのかと思い病院を調べていたりもしました。

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ですが1週間ほどすると泣くことにも疲れ、どうしてこんなに泣いているんだろう、と考え始めました。

「事実も結果も変わることはないけど、今の自分はどうなのか。」

ただ泣いて、周りに心配させている。こんな自分で良いのか。

そんな時、「どんな自分になりたいのか」自分と向き合いました。

そこで、みんなに心配されないよう

「最低限はできる人」になりたいと思いました。

「大丈夫?」と聞かれると、

大丈夫に見えないのかな?心配かけちゃうな。。。

といった自分が嫌で、

”最低限はやる”という自分ルールを作りました。

そのころの私の最低限とは、

・ご飯を食べる

・学校にいく

・練習に行く

この3つでした。

恥ずかしながら、大学に入って授業も大会や合宿ばかりでほぼ受けることができず、履修も「友達と一緒のもので!」と甘えていたため、学科の履修方法でさえ知りませんでした。

この頃カリキュラムを1から読み、そこで初めて教員免許が取れるコースを知ることができたため、教員免許を取得するコースに進むことにしました。

そして一番辛かったのはやはり練習で、

プールに入ると力が入らず、鳥肌がたち、メニューをこなすことさえ出来ない日もありました。

野球でいうイップスに近いものだったとおもいます。

過去の自分は果てしなく遠く、これから水泳を続けて行っても自分を超えることが出来ないのではないかという不安が幾度となく襲いかかりました。


その不安に耐えることができず、私は過去の自分を捨てることにしました。


今までやっていた自分ルールを全てやめ、過去の自分と比較せず、水の感覚が鋭かった手の感覚もシャットダウンしました。

そうすることでしか、自分を保つことができなかったのです。

まずは練習メニューをこなすこと。

頑張るのではなく、与えられたことをできることになること。

「みんなに心配されないように」

そのために”最低限はできる自分”になれるよう歩き始めました。

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この頃の私は、自分のことしか見えず苦しんでいました。

でも涙はいつか止まり、前へ歩けることをこの時に学ぶことができました。

そこでも私は、

「どんな自分になりたいのか」

その問いかけが私を強くし、進む道を教えてくれたと思います。

その43「過去の自分を捨てる」







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