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その49「この世界に自分を引き止められるもの」

こんばんは、山口美咲です。

うわあー。1か月以上書けてなかった…

最近は悲しいニュースが多く、わたしも一人の時間が増えたので、考えることが前より増えた気がします。

考えることは悪くないと思いますが、雑念も増えてしまっている気がします。

ふと魔が刺した時、連絡しようと思える人はいるのか。もしくはタイミングよくお知らせがあったり、その間際になにかが思い浮かべられるといいな。と思います。

この世に、この世界に未練があるものをいつでも身につけていたらいいかな?と思ったりします。

わたしは本当に本当に辛い時連絡できる人がいるのか。そして魔が刺した時この世にある愛しいものを忘れないでいたいな、と思います。

今日は暗くシビアな話ですが、アメリカから帰ってきた時の家族の話を書きたいと思います。

その49「この世界に自分を引き止められるもの」

アメリカから帰国後、さすがにすぐ復活することはありませんでした。

やっぱり帰ると「日本記録保持者」「アメリカ帰り」というように見られているんじゃないか、、、と勝手に思い込んで自分にプレッシャーを与えていました。

そんな時助けてくれたのは兄でした。

わたしは本当に辛くなったとき兄に連絡をするんだと思います。

その時は関西大学選手権の前でした。アメリカ帰り初の国内試合。

さっき言ったプレッシャーを勝手に感じていたため、試合が怖くてたまりませんでした。

「全然遅いじゃん」「たいしたことないじゃん」とまわりに思われてしまうんじゃないかが怖かったんです。

そして前日の夜、兄に電話をしました。

兄「どうした?」

私「んー。いやぁなんか、明日試合なんだけど泳ぐのが怖くて。」

兄「そんなに辛いんだったらやめたらいいんじゃん?でもお前が辞めたくないんやったら踏ん張れ」

涙が止まりませんでした。

私はまだ頑張りたい、まだ辞めたくない、水泳が好きだって気付いたんだった。と。

人からどう思われるかじゃない

わたしは好きで水泳をやっていて、今出せる力を出せればいい。

ロンドンオリンピックまであと2年もある。

ここからがスタート。

その夏はインカレで6位でした。

全然大学にも貢献できないし、中学の頃からずっと全国優勝をしていましたが、初めてメダルにすら届きませんでした。

でもそんな自分でも泳いでいいんだ。と、そして水泳以外のことに目を向けはじめた年でした。

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そんなシーズンオフのこと。

実家の長崎に帰ると、兄からドライブに誘われました。

なんだろうと思い、夜ごはん後缶コーヒーを片手に二人でドライブにいきました。

その時、兄から長崎の家族について話がありました。

「実はお父さんが自殺未遂してさ…」

え?!?!どういうこと?!?!

話を飲み込むのに時間がかかりましたが、

数ヶ月前父が行方不明になり、兄と父の弟と警察で探してたみたいで。

1週間もたたないうちに父は戻ってきたそうですが、その時父は

死のうと思った時、財布にいれてた兄と私の小さい頃の写真を見て引き返した

と。

元から父は優しすぎるので思い詰めてしまうことも多くあったと思いますが、引き止められてよかったと心から思いました。

そして母には言わず、仕事終わりに毎晩探してくれていた兄には感謝しかありませんでした。

「家族のこと任せてばかりで本当にごめん。自分のことばっかりでごめん。」

と兄に伝えたら、

「お前は水泳をしにいってるんだからそれでいい。長崎は俺がおるけん気にするな。」

と言われました。

わたしは兄に感謝してもしきれません。

オリンピックを目指すことで、兄の自由を奪ったのは私です。

兄は看護師ですが、福岡に行きたいと言っていました。

でも長崎から兄がいなくなると家族はバラバラになります。そうなると私が帰るところがなくなるから、と。

いまでも自由に生きていられるのは兄のおかげが大きいです。

やりたいことや好きなことをやらせてもらってるからこそ、楽しい毎日だけど、私だってたまに不安になるときもある。

父を引き止められたのが私たち子供だったように、愛しいと思うものを持っておくのは大切だと思いました。

人は強いけど脆い。

やっぱりこの世界は表裏一体なのかな。

だから、弱いところがあってもいいと思う。

人に甘いと言われても、弱いと言われても、ダメ人間だと言われても生きてさえいれば世界も自分も変わるから。

これ以上悲しいニュースが続きませんように。

その49「この世界に自分を引き止められるもの」




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