第5回 渋公とわたし (2007年7月)

 渋谷公会堂…言わずと知れたロックの聖地であります。バンドマンなら誰しもが成功して渋公のステージに立つことを夢見るでしょう。そんな渋公のステージに立つことを成功してもいないのに強引に決めた、違った意味で伝説のバンドがいます。我々ウラニーノです。2007年12月22日、ウラニーノワンマンライブ at 渋谷公会堂。そしてなんともうチケット売っています。しかも手売りで…。我ながらこのギャップがたまりません。牛丼屋でバイトしながら渋公ワンマンやったバンドなんていたでしょうか!?3人の男の人生を賭けたステージ、ぜひ見届けに来てください。というわけで今月は残ったスペースをフルに使って告知!

2007年12月22日 
ウラニーノワンマンライブat渋谷公会堂!!


(後記)
 渋谷公会堂は12年前、命名権をサントリーが買っていて「C.C.レモンホール」という名前だった。ここでチケット手売りでワンマンライブをやろうと決めたのが、2007年が明けたくらいだったと思う。
 当時のウラニーノはワンマンで150〜200人程度の動員力だった。渋公のキャパは2,000人。10倍の集客をどこから集めてくるか。
 当時はツイッターもフェイスブックもなかった。我々はメンバーが200人ずつのノルマを負い、あとはお客さんに「家族、友達を連れてきてください」とお願いした。「もぐら組」という組織を作り、たくさんチケットを売ってくれた人に報酬を与えるという、今考えると恐ろしいシステムでチケットを売りさばいた。今なら炎上必至である。無謀な企画にも関わらずみんなが応援してくれた。
 もう時効だから言うが、この頃のぼくは必死なあまり完全に盲目になっていたと思う。何年も連絡していなかった同級生に宗教の勧誘のように片っぱしから連絡をして、怒られたこともあった。もぐら組の幹部の人と喧嘩になったこともある。「こんな思いをするならやらなくていい!」そう思ったこともある。いろんな人が協力をしてくれたのに、自分自身がいっぱいいっぱいで、ちゃんと向き合ってお礼も言えなかったことは、12年経った今でも思い出すと凹む。
 結果は1,284人の動員。完売までは程遠かったが、半分以上は埋まった。友達も家族も親戚もみんな来てくれた。誰が呼んできたのか、2階席の一角は某宗教団体の皆さんが占めていたと聞く。みんな喜んでくれた。いいライブもできた。やってよかったと思う。が、本当に今でもお礼も謝罪も含めて頭を下げたい人がたくさんいる。
 「これはただの通過点です」みたいなかっこつけたMCをした気がするが、正直そんなふうに考える余裕はなく、完全に終着点だった。今日ここで人生が終わる気がした。
 しかし、そんなぼくを現実に引き戻してくれた人がいた。終演後、放心状態で物販に立ち、来てくれたお客さんに挨拶をしていると、バイト先のマネージャーが近づいてきた。マネージャーは3時間を歌い終えたぼくにライブの感想も伝えることなく、開口一番こう言ったのだ。「お疲れさまでした。山岸さん、30日のシフト入れます?」
 人生は終わらない。続いていく。むしろ、明日から日常が始まるのだ。一気に現実に引き戻されたぼくは、きっぱりと「大丈夫です。入ります」と答えた。
 その後、このライブを見ていたソニーの人から声がかかりメジャーデビューの話が来るので、ウラニーノの歴史の中で重要な出来事であったことは確かだ。
 あれから12年。2度の出戻りを経て、ぼくはまだ同じバイトをしている。シフト希望を提出しているのは、あの日と同じマネージャーである。
(2019.4.15)

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