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2024年2月 『寝煙草の危険』 マリアーナ・エンリケス著 / 宮﨑真紀訳

 表題作「寝煙草の危険」では、近所で焼け死んだ老女の最期を想像する女が描かれる。彼女は汚れたシーツに煙草で穴を開ける。シーツの下には電気スタンド、穴から漏れる光。どこか幻想的な、夜現れる蝶たち。この短編集の12の物語は、その一つひとつが異界の穴から漏れる暗い光のようである。
 少女の自分本位な嫉妬が呼び寄せる恐怖「湧水池の聖母」、母親が哀れな老人をかばったおかげで、地区全体にかけられた呪いを免れた家族の結末「ショッピングカート」、すべてのものに対する度を越した恐怖に翻弄される「井戸」。
 女性のエロスを描く作品も多い。異常な心音に性的興奮を覚える女「どこにあるの、心臓」、ロックスターの墓をあばいた少女たち「肉」、眠っている間に襲われ傷つけられると主張する少女「誕生会でも洗礼式でもなく」。
 著者マリアーナ・エンリケスはアルゼンチンの作家でありジャーナリストでもある。彼女の書くホラーの背景には、ホラーを越えた現実の恐怖がある。異界のようで、決して異界ではない現実がある。            
 読んでいくうちに、本当に怖いのは人間そのものではないのかと思わされる。登場する少女たちの多くは無造作に放任され、大人たちの保護から外れている。「戻ってくる子供たち」の中にはスラムで生きのびるのに必死な子供や、街娼として客を取る子供、幼くして立派なコソ泥になっている子供が出てくる。異常なことではなくきわめて普通のこととして。読者にはこれがアルゼンチンの現実で、同じ地球上のできごとであることがつきつけられる。
 「わたしたちが死者と話していたとき」では、少女たちが、連れ去られ、帰ってこなかった人たちとウィジャボード(日本のこっくりさんと似ている)で通信を試みる。軍事政権の恐怖政治による弾圧で犠牲となった人たちだ。
 怪異やスリルを愉しむホラー、落ちのあるストーリーを期待すると肩透かしを食う。読者は娯楽としてのホラーという枠組みから投げ出され、この違和感と気味悪さはどこから来るのだろうと考えざるを得ない。
 先に、本当に怖いのは人間そのものではないのかと思わされる、と書いた。読んでいるうちに違和感にも気味悪さにもだんだん慣れてくる自分にも驚く。「ちっちゃな天使を掘り返す」の腐った赤ん坊の幽霊につきまとわれる女が次第に慣れて平気になり、幽霊をぞんざいに扱うようになっていく姿が自分と重なった。
(想定媒体:新聞書評欄)

(書評著者)2024年2月講座受講生 若木はるかさんのコメント

 短編集の書評は難しい。しかも普段ほとんど読まないジャンルの小説で、何度「できない」と思ったことでしょう。でも諦めなくて良かった!特に、ラスト2つの段落をトヨザキ社長に良かったと言っていただいたのが、本当に嬉しくて震えました。投げ出さずにやり通せたことで、ちょっと自分が好きになれた気がします。
 社長にダメ出しされたところと、提出後気になっていたところを少し手直ししています。短編集の場合は必ず何篇収録されているか書くこと。そして短編集の題名になっている作品は「表題作」であって、「標題作」ではない。はい、覚えました!


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