不要になる過程をどう歩むのかが人間関係(の、はず)

人間関係は必要から始まり不要になって終わる。
悪い人間関係は、不要になる過程の中でその人間関係が必要であり続けることを目的とする。
良い人間関係は、不要になる過程の中で同じ人間関係がもう二度と必要で無くなり、新たな必要が生まれることを目的とする。

人間関係が苦手で悩んできた。
そんな自分でも経験を積めば積むほど、同じく時を歩んできた人の特徴や好き・嫌いがわかってくる。でもその人数が増えれば増えるほど、全体のバランスを取るのが難しくなる。今はインターネットがあるので、実態はどうであれ繋がりの数は不可逆的に増えていくことが多いように思う。繋がろうと思えば、いつまでも繋がり続けることができる世の中になった。

しかし、各々に必要とされる人間関係はそれこそ人それぞれで、ある人にとっては先生が、またある人にとっては就職先が、あるいは病院が、気軽に話せる友達が、恋人が、結婚相手が、子どもが必要だったりする。全ての人間関係は、必要から生まれる。問題は不要になる過程をどのように歩むかだと思った。不要となりつつある誰かとの関係を延命しようと努力することやその関係を切ることも、一見真逆のように見えて自分が必要としている人間関係が必要であり続けることを目的としているのでは無いか?人間関係の垣根が低くなりつつある現代において、今後の人間関係では「誰と」の重要性は低くなり、「どこに向かって」「どのように」誰かと同じ時を歩むかが問われる時代になってくるはずだ。

今まで人間関係というテーマで自分の芯を持っていなかったので、悩み続けることが多かった。
しかし、今ある人間関係が不要になった時に新しい必要を喜ぶことができるようになるために、今そしてこれから何ができるのか?と視点を変えることで目の前が開けてきたような気がする。

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