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【鉄道開業150周年】鉄道の歴史について語ります!

皆さんは、電車に乗るときに駅でこんな広告を見ませんか?

画像は山形駅で撮ったものですが、画像右下にJRマークと何かしらのロゴがありますよね。

実は、2022年は "日本の鉄道が開業して150年を迎える特別な一年" なんです。

今回は日本と山形の鉄道の歴史について紹介したいと思います。山形県にも鉄道は存在していますが、いつ鉄道路線が開業したのか、どんな出来事があったのかを鉄道が好きではない人でも分かりやすい様にお伝えします。

🚋鉄道の始まり

画像引用先:
新橋〜横浜間、開業時の鉄道の足跡をたどる|鉄道コム

日本で初めて鉄道が開業したのは 1872年10月14日、明治時代に入って5年目のときでした。東京の新橋(今の汐留付近)〜横浜(現在の桜木町)間を繋いた日本初の鉄道は、開業前は約6時間もかかった移動時間を、なんと52分まで大幅に短縮させたのです。

鉄道唱歌にある「汽笛一斉新橋の」という歌詞は、この新橋駅から発車するSLが汽笛を鳴らすシーンに由来してます。

日本の近代化に大きく貢献し、鉄道網は全国に広がっていきます。

🚋鉄路は山形へ

山形に鉄道がやってきたのは1899年5月15日。官営鉄道により、福島~米沢間が開業しました。当時は板谷峠という過酷な峠道を通る路線としてスイッチバックなどといった勾配を避ける仕組みを作り、峠越えに成功しました。

1900年から約3年かけて米沢〜新庄間が次々と開業。山形県の中心地、山形市にも鉄道が上陸しました。その後、鉄路は秋田県にも伸び、この区間は現在の奥羽本線になっていきます。また、庄内地方を通る羽越本線や、山形県内を通る陸羽西線・長井線、さらに、宮城県につながる陸羽東線・仙山線という路線が1940年代までに次々と開業しました。

[ コラム:スイッチバックとは? ]
スイッチバックとは列車が急斜面を登るために、急斜面上にジグザグ上の線路を配置して勾配を緩和し、列車を進行させたり退行させたりしながら勾配を登っていく方式です。

奥羽本線では、赤岩・板谷・峠・大沢の4駅連続でスイッチバック設備がありました。しかし、普通列車が客車列車から電車に変わったため、1992年の山形新幹線開業と同時に廃止されました。

大沢駅のスイッチバック遺構
(奥に旧ホームがある)

現在では、保線車両の基地となっている他、板谷・峠・大沢の各駅でスイッチバックの遺構が見られるので行ってみてください。(赤岩駅は2021年3月で廃駅となりました。)

🚋戦争を乗り越えて、鉄道黄金期へ

太平洋戦争の影響で線路設備が破損する被害もありましたが、戦中の1937年には、仙山線の山寺~作並間が、戦後の1951年には福島~米沢間が開通しました。この区間は、直流電化を用いる電気機関車で客車を引っ張って運行しました。

その後、作並~北仙台間で日本初の交流電化方式が採用されたようです!作並駅には交流電化記念碑があるので行ってみてください。山形からとても近いです。

[コラム:電化とは?]
鉄道の動力を電気にすること。「直流電化」とは、直流電源を用いる鉄道の電化方式。「交流電化」とは、交流電源を用いる鉄道の電化方式。

そして、山形から東京行きの特急列車が生まれ、山形の交通事情に大きな影響を与えました。

🚋山形での電化・特急電車の誕生

1970年代に入ると、仙山線・羽越本線・奥羽本線で電化が完了します!電化区間には485系という電車特急が登場しました。

また、この時特急「つばさ」や急行「月山」、急行「べにばな」などの優等列車は、山形から東京・新潟・秋田のほうに運行範囲が広がりました。

画像引用
全国の列車ガイド 「特急つばさ」

しかし、普通列車はまだまだ客車列車が走っていました。

🚋山形新幹線の開業

1988年、山形新幹線は「ミニ新幹線方式」として建設が決定しました。当時のオイルショックの影響から、建設費用を安く抑えようとしてのものでした。

[コラム:ミニ新幹線とは?]
在来線を走れる新幹線のこと。ちなみに、ミニ新幹線は全国新幹線鉄道整備法の定義では在来線であって、新幹線ではない。

こうして、1992年に山形新幹線が開業しました。同時に線路の幅を新幹線と同じ広さに変えたため、開業前まで走っていた客車列車や特急列車は奥羽本線山形以南で退いていきます。代わりに新幹線とおなじ線路幅の普通電車が誕生しました。

山形新幹線は、東京~山形間乗り換えなしという大きなメリットを得て、利用者が増えていき、1995年には開業当時1編成6両だった列車が、1両増やされました。1999年には山形~新庄間も開業し、現在の山形県の鉄道網は完成しました。

2019年に鉄道博物館(大宮)で撮影
写真左側が400系

🚋東日本大震災の影響

2011年に東日本大震災が発生。
この災害の影響で、羽越本線を除く山形県内の路線がたびたび長期不通になりました。

3月末   山形新幹線や奥羽本線などが運転再開
4月7日  余震が発生し、再び運転見合わせ
4月11日~ 徐々に山形県内の路線で運転再開
4月20日  山形新幹線の東京発着列車が運転再開。
      山形県内の路線がすべて再開

この震災で鉄道のありがたさについて改めて知ることになりました。

🚋これからの鉄道

今年2022年は、鉄道開業150周年・山形新幹線が開業30周年・東北新幹線が開業40周年を迎えるなど、東日本の新幹線が開業周年を迎える「新幹線YEAR」となりました。

この記事で、長い年月をかけて鉄道が進化してきたことが分かっていただけたと思います。

そして、これからも鉄道は進化し続けます。
山形新幹線では定時制向上のため、福島・山形の県境付近で長大トンネルを作る計画が立てられています。トンネルが完成すれば、山形新幹線の定時制が向上し、さらには東京〜山形・新庄間の所要時間も現在より約10分短縮されるので、今後の開発に期待が持てますね。

🚋おわりに

今回は、鉄道の歴史について紹介しました。

記事で書いた内容以外にも、数多くの鉄道の歴史があります。私たちが日頃利用している鉄道について改めて歴史から学ぶ点が多くありました。

歴史に思いを馳せながら、ぜひ夏休みに鉄道を使って旅をしてみませんか?


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