最後の駒音     2021/6/15

ピシッ

凛とした音が響いた

我ながらいい音だ
研ぎ澄まされて美しい

この駒音で
棋士の実力が分かるという人もいる

だとしたら私はきっと
名人級の棋士だろう

実際はまだ奨励会
プロ未満の身とはいえ

しかも今季はカド番で
この対局で敗れれば
奨励会を去ることになる

思えば故郷を離れ十余年
棋士になるのを夢に見て
日々これ精進してきたが

やんぬるかな
時は満ちた

すべては今日で終わるだろう
なつかしい母の顔が浮かんだ

パシャッ

相手の音がした

強い
とてつもなく強い

彼こそはプロになるだろう
私なんかの比ではなかった

でも駒音はまだまだだ
雑音があり澄んでいない

パソコンで鍛えたせいか
所作もどこかぎこちない

もしも

もしもこの世に
将棋の神様がいるなら

きっと彼より
私の音を愛でるだろう

もう二度と鳴ることのない
私の音を惜しんで嘆くだろう

目を閉じる

再び母の顔が浮かんだ
底なしに優しい顔

帰ろう
早く帰ろう
そして十年分孝行しよう

目を開ける

景色が変わった

凛とした声が響いた

「負けました」


(注)奨励会 : プロ棋士を目指す者が所属する研修機関。年齢制限があり、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれない場合は原則退会となる。(コトバンクより抜粋)

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