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【山田社長×アスリート対談企画】ロンドンオリンピック銀メダリスト藤井瑞希さん 後編

山田水産が行っているアスリートサポート「山田の“勝負メシ”プロジェクト」。その一貫で連載している山田水産が食のサポートをしているアスリートと弊社社長の山田信太郎が熱く語り合う対談企画が、ここ公式noteでも掲載スタート!

この企画はどの回もボリューム満点!読み応えある対談をぜひお楽しみください。

今回は、前編に続き、バドミントン選手の藤井瑞希さんと山田社長の対談の後編をお届けします!

※この記事は、2019年に撮影・取材した記事を編集し、再掲載しています。

バドミントンに腕力はいらない!?
スマッシュの決め手は体感と重心移動!

山田 各スポーツの1試合のカロリーを算出したデータで、バドミントンが上位にランクインしているのを見たことがあるんですけど、想像以上にとてもハードなスポーツですよね!

藤井 ボクシングが一番カロリーを消費すると言われていて、その次にバドミントンと言われています。ボクシングのステップくらい動いて、なおかつ試合時間がボクシングより長いので、そう考えるとハードですよね。

山田 バドミントンの世界大会などもそうですが、ラケット競技って中国が強い印象があるんですけど、戦ってみてどの国が手強いなと感じました?

藤井 中国はとても強いですね。最近では、中国、日本、韓国、インドネシアが世界的にも強豪国と言われています。

山田 バドミントンってテニスや野球に比べて、打つときのインパクトが軽いと思うんですけど、プロの場合アプローチが違うんですか?

藤井 バドミントンのスマッシュって、腕の力で打っているように見えると思うんですが、実は脚力で打っているんですよ。

山田 そうなんですか?!奥が深いですね!

藤井 私は握力も腕力もどちらかといえばないほうで、腕はほぼ使わずに体幹や重心移動でシャトルのインパクトに当てて、その瞬間だけグリップを握っているというイメージです。だから腕が筋肉痛になるということはほぼないんですが、足の筋力や臀筋が落ちるとスマッシュの威力も落ちます。

山田 そうなるとトレーニングはスクワットやハムストリングなど、脚や臀部が中心になってくるし、ケガも下半身が多いということになるんですね。

藤井 そうですね。みんな上半身はひょろひょろです(笑) ユニフォーム姿を見ると、脚に筋肉が付いていて太く見えますが、上半身は筋肉がないので薄いんですよ。他の競技の選手にも意外ですねと言われていました。

山田 藤井選手のスマッシュは初速でどれくらいなんですか?

藤井 だいたい初速で男子が450km、女子が350kmと言われています。打ち返すときの手元には、だいたい1/10の速度になっているので、その間に動きを予測して動いています。

山田 バドミントンも予測が重要なんですね!

藤井 瞬発力やスタミナがある選手であれば、ラリーについていくことができると思いますが、予測をせずに動くと試合中ずっと緊張状態で体力の消耗が激しいんですよ。でも予測があれば、身体の力の入れ具合を弱めたままで待つことができるので、疲労度を下げることが可能です。

山田 どこからパンチがくるかわからないボクシングに近いんですね。そうすると脳とか目とか神経が疲れるんじゃないですか?

藤井 試合が終わったら頭がガンガンすることがよくありました。筋肉痛というよりも糖質不足という状態になって、少し気持ち悪くなりますね。試合途中でエネルギーを摂取することもできるんですが、試合間が2分しかないのでゼリーやバナナくらいですね。

山田 ボクサー並みの動きをしているとなるとやはり栄養補給や食事は大切ですね…!

胃もたれ知らずな「勝負メシ」うなぎで、
良質なタンパク質をチャージ!

山田 現役選手だった頃、食生活はどのようなことに気をつけていたんですか?

藤井 バドミントンって他の競技に比べると、そこまで厳しい制限がありませんでした。でもしっかり食べないとどんどん痩せていってしまうので、ずっと食べていないと練習で2〜3kg体重が落ちてしまう選手もいたので、練習よりも食べるほうが大変という声も聞こえてきましたね。

山田 食事をするときは栄養バランスにも気をつけていたんですか?

藤井 私の場合、オリンピックに出場するまでケガをしたことがなかったので、あまり考えすぎずに食事をしていました。当時のトレーナーに、私は直感型なので疲れているときに食べたいと思ったものが、本当に身体が欲しているものだと言われていたので、食べたいと思うものを食べるように心がけていました。一度引退してから復帰を目指してからは、パーソナルトレーナーのもと食事も指導していただいたのですが、たんぱく質を積極的に摂るように気をつけただけで疲労感がまったく違いました!

山田 試合前は食べたいものは極力我慢していたんですか?

藤井 麺が特に好きなんですけど、我慢していましたね。鶏肉と白米とブロッコリーとトマトをメインに食べていました。試合前のタイミングによっては、白米の量が増えるんですけど、普段より多い量になるとやっぱり大変なんですよね。白米だけでは食べられないので、いただいたうなぎのタレをごはんにかけたりして、ぐいっと食べていました。

山田 うなぎのタレで食べるごはん、美味しいですよね(笑) 私たちと出会う前までは、年にどれくらいうなぎを食べていました?

藤井 年に2回くらいですかね。家ではもちろん、外でもなかなか食べられないですよね。外食の中でも金額面でハードルが高いです(笑) だから山田水産さんに「勝負メシ」としてサポートいただけて本当に嬉しかったです。

山田 うなぎは栄養価も高くて、たんぱく質も取れるので、私たちとしてもアスリートのみなさんには「勝負メシ」として是非食べていただきたいと思っています。

藤井 お肉の場合、コンディションによっては胃がもたれてしまうことがあるんですけど、うなぎの場合はそれがないのはとてもありがたいです。

山田 山田水産のうなぎは餌の魚油を少なくすることで、うなぎ自ら脂をだして補おうとするので、とても良質な脂なので、食べても胃がもたれにくいんだと自負しています。「勝負メシ」にはぴったりなんですよ。

海外遠征のときなどは、食事はどうしていたんですか?

藤井 私たちの頃は、自分たちでレトルトの食品を持って行ってそれを現地で食べていました。でもやっぱり自分たちで作れるものには限界があるので、メニューは少なかったですね。だからこそ合宿先でうなぎがでるとテンションが上がりますよね!

「勝負メシ」サポートをしていただくようになってから後輩に「私の家に来て一緒にうなぎ食べる?」って聞くと「えー!いいんですかー!」ってすごく喜んでくれるんですよ!家でも食べられるように、おすそ分けしたことがあったんですけど、「もったいなくてまだ食べずにとってあります」っていう選手もいました(笑)

山田 高級なお店にいったら美味しいうなぎが食べられるのは当たり前かもしれませんが、家や合宿先などでジャージのまま、美味しいうなぎを食べられるのは山田水産のうなぎならではだと思っています。

「勝負メシ」としての”うなぎ×アスリート”の親和性の高さをもっと広めて、たくさんの選手のみなさんに食べてもらいたいと思っています。オリンピックに向けてもたくさんサポートできるように、我々も一緒に頑張ります!

引退後のフィールドは、自分が”わくわく”する仕事!

山田 先ほど引退したいと思いながら5年間戦っていたというおはなしがありましたが、当時どうやってメンタルを保っていたんですか?

藤井 社会人1年目のときに、シングルスだったんですけど、初めてスランプに陥ってしまってそのときに一番の支えになったのが家族の存在でした。当時は実家が近かったので、試合に負けて帰ってくる私に、何も聞かずに美味しいごはんを出してくれたり、ドライブに連れて行ってくれたりとそういうリフレッシュできる空間を作ってくれる家族のためにも頑張ろうと思えました。

そしてもうひとつのきっかけは、その次の年に所属していたチームに垣岩令佳が来てくれて、ダブルスで再出発をすることができたことですね。垣岩はすごく努力家で頑張り屋さんで、素直でいい子で…!そんなパートナーや家族のためにもロンドンオリンピックまでは頑張ろう、でもそれ以降はもう無理だという気持ちで期間を決めて追い込みました。

山田 期限を決めて頑張るという方法は有効なのかもしれないですね。

藤井 年齢やタイミングを見ていつ海外に出るかも考えましたし、ゴール地点から逆算できるのはとてもいいことだと思います。結局日本にいても得られるものは少ないですし、メダリストとして自由がきくことがあまり好きじゃなかったというのはありましたね。自分の学びや刺激が多くないと楽しくないと思ってしまうタイプなので

山田 私たちの仕事も同じで、ある程度のところでみんな満足してしまいがちなんですよね。うちの会社はいい意味でゴールがない。昨年が山田水産の創立45周年だったんですけど、パーティーの最中社長がインタビューに答えるシーンがあって、「今会社は何合目ですか?」という問いに対して、「やっと5合目まで来たかな」って言われたときに、みんなでずっこけました(笑) これだけ頑張ってもまだ5合目なのかと思いましたけど、5合目ということはまだそこから先があるわけだから頑張ろうと思えるんですよね。一番怖いのは現状に満足することなんだなと、今のおはなしを伺っていて感じました。

藤井 私は選手として本当に心から満足しているので、これから何をやりたいかと問われても正直見当たらないんですよ。昨年の夏、東京オリンピック出場への道が途絶えたときにバドミントンを続けて、後輩たちを育てるという選択肢もあったんですけど、自分の中で満足いった環境の中に身を置いたときに得るものが少ないなと思ってしまったんです。

それだったらまずはバドミントンを辞めて、新しい世界で何か自分ができることにチャレンジする方が、自分自身が楽しいかなと思ったことで決断をすることができました。これから挑む仕事も自分自身の結果だけで満足するものではなく、新しいことを発見しながら学んでいけるように頑張りたいと思っています。

山田 藤井選手がこれから何にチャレンジしてもきっと上手くいくと思いますよ!何か一生懸命になれるものにはやく出会えるといいですね。

藤井 そうなんです!今休みの日があると、すごく不安になってしまってマネージャーにスケジュールを確認しています(笑)

山田 最近はどんなお仕事にチャレンジしているんですか?

藤井 試合の解説やイベント、バドミントンの講習会、講演会です。現場に行って子どもたちにバドミントンを教えることもあるんですけど、目がキラキラ輝いているのを見ると、来てよかったなと思えて幸せな気持ちになりますね!

山田 今後はもっと活躍の幅が広がっていきそうですね!

藤井 今後私は何ができるか、何をしていきたいかということをいつも考えています。スポーツや身体を動かすことの大切さを子どもたちや高齢者の方にお伝えしていけるといいなと思っているので、そこの課題と真摯に向き合っていきたいですね。

あとはバドミントンを引退した選手たちにとって、新たなセカンドライフの選択肢を作りたいと思っています。スポーツをしていると何かしらの「人間力」はきちんと培われていくと思っていて、それがスポーツだけじゃなくて一般社会でも活かせると思うので、そういったスポーツの良い面をもっと次世代に継承していきたいなと思っています。

山田 ロンドンオリンピックのおはなしをお聞きして、今後のバドミントン界の躍進がさらに楽しみになりました。日本代表選手に「勝負メシ」うなぎを届けられるようにこれからも一緒に頑張りましょう!今回はお忙しいところ、貴重なおはなしをありがとうございました!

プロフィール

藤井瑞希 さん
姉二人の影響を受け、5歳よりバドミントンを始める。
青森山田高校へ進学し、2006年の全国高校総体では当時25年振りとなる3冠を達成。NEC入社後、シングルスからダブルスに転向し、垣岩令佳さんとのペアで2012年ロンドンオリンピックに出場し、銀メダルを獲得。日本バドミントン界初のオリンピックメダリストとなった。2014年に日本人初のヨーロッパリーグに参戦し、ドイツとイギリスで活躍。2016年には故郷・熊本を襲った震災をきっかけに国内でプロ選手として復帰し、再春館製薬所でフジカキペアを再結成。2019年2月に現役を引退。
現在は、東京オリンピックでバドミントン競技のJC解説をつとめるなど、テレビ解説者や全国各地でバドミントンの普及活動を行っている。
また、地元芦北町の親善大使に就任し、地元のPR活動にも尽力している。

出典:藤井瑞希公式サイトプロフィール

編集後記

取材時に大切な銀メダルを持参してくださった藤井選手。山田社長をはじめ、スタッフ一同初めて目にする本物のメダルに大興奮!引退後のフィールドについて、自分がわくわくする仕事がしたいと語る姿がとても印象的でした。

取材・構成/ユウミ ハイフィールド