手段と目的
宿題を与えると、手段と目的を履き違えている人が多発します。
目的は「学力の向上」や「知識の定着」であって、決して「提出」ではありません。
宿題は単なる手段に過ぎません。
しかし、学校で「提出が目的の宿題」に慣れてしまっているので、なかなか意識を変えることは難しいです。
ここでいう学校とは、熱海の様な田舎の公立の小中学校を指していて、都心の学校や、私立では状況が異なるかもしれません。
学校の宿題の問題点は、生徒の学力や定着度に関係なく、同一の宿題を設定していることです。
ほとんどの生徒にとって、難易度や問題数が合っておらず、あまりにも無駄の多い宿題になっています。
そして、必ず提出しないといけません。
「成績」を人質に取られているので、答えを丸写ししてでも提出する必要があります。
なぜ均一の宿題になるかと言うと、単純に教員の時間が足りないからです。
ちなみに、宿題の内容としては、購入した副教材を宿題にするケースがほとんどです。
1人1台タブレットを持っている時代に、紙の問題集を購入しているのは、何かしらの癒着なり、しがらみなりがあるのかもしれません。
別の宿題としては、1日1ページ、何かをノートに書いて勉強する、という宿題があります。
考えていることは、勉強というより、ノートのスペースをどうやって埋めるかです。
漢字のノートも同じです。
知っている漢字は何回も書く必要ないですし、複雑で100回書いても覚えられなかった漢字は101回書けば良いです。
回数を数える苦行が、勉強嫌いを量産していると言っても過言ではありません。
平成の時代であれば、合理的でないことや理不尽なことに反発せず従うことは、社会に出た時にある程度必要な能力だったかもしれません。
しかし、時代は変わりました。
どこもかしこも人手不足となっているので、以前よりも考えて行動することが求められています。
勉強も、社会に出た時に活躍できるように、困らないように、損をしないように、騙されないように、するための手段でしかありません。
思考力を伸ばすことが出来るなら、何をしても良いと思いますが、恐らく最も再現性が高いのが勉強です。
何のために勉強しているのか?を具体的に示してあげること。
苦行の様な提出が目的の宿題を課さないこと。
熱海市の小中学校の先生、教育委員会には、すぐに改善していただきたいです。
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