淡交社特別講習会「賢章院様御香を愉しむ~名香鑑賞とほたるの夕べ~」

来たる6月17日に予定されている掲題の鑑賞会は、主催者のご判断により、「可能な限りの十分な対策を講じて開催する」とのことです。
椿山荘の料亭「錦水」でも最大の広さを誇る「八千代の間」が会場ですから三蜜を避けることは容易ですので、当方も安心して臨めると考え、準備を始めました。
炷き出す香木の選定に着手したのです。
「錦水」料理長の特別料理(しかもディナー!)が味わえて、その上お天気にも恵まれれば夕食後に蛍狩りも楽しめるとは言え、やはり名香の香気を堪能して戴かねば本末転倒となりますから、色々と趣向を思い巡らしながら、数多い香木を順にチェックしてみました。

賢章院御香①

どなたが手づくりされたのか素敵な用紙で折られた香差(こうさし)には、表と裏とにそれぞれ数段に亘って香包がぎっしりと並べてあります。
古い時代の香木は、何よりも伝来や出自に対する信憑性に確信を持ち辛いことが一般的で、例え香包や添え書き等が真正な物であったとしても、なお、中身の香木が真正(偽物と入れ替わっていない)かどうかは、断定できないと心得るべきかと思います。

今回の名香鑑賞会で炷き出したいと考えている香木は、鳥取藩主池田治道の娘 弥姫(いよひめ)(1792年~1824年)が愛蔵したものと伝わっています。
弥姫は薩摩藩主 島津斎興の正室となり周子(かねこ)と改名、長子 斉彬を出産しました(つまり天璋院篤姫の祖母にあたります)。
賢母にして和漢の学に通じ、詩歌にも巧みであったと伝えられているようです。

香包に記載されている香銘は、賢章院の手によると見られるもの以外にも、何人かの手によって記されています。
恐らく、賢章院から譲り受けた人物が、後に加えたものと想像されます。

これらの香木が賢章院の時代あるいはそれ以前に伝来したものか否かを断定できる材料はありませんが、私見ですが、信じるに足ると言える根拠を示すことが出来ます。
香包に収められている香木の内容が、「いかにも、それらしい」のです。

賢章院様「長月」

間似合紙に「長月、一」とあり、更に竹皮紙にも「長月、一」と記されて、面白いことに「フルクサシ」と比較的に大胆に覚え書きされています。
恐らく賢章院がこの伽羅を聞いて「古臭い」と感じたに違いないと想像できて、とても親しみを覚えるのです。
何よりも、江戸時代のお姫様が「古臭い」と感じられる香気を現代の私達は
どのように感じるのか、果たして同じように「古臭い」と共感できるのか否か、とても興味深いです。ちなみに納められている香木は樹脂分に柔らかさは無いものの、伽羅に間違いありません。
(幸いに分量も十分ありますので、この『長月』は当日のメニューに入れるつもりです)
また、同じ手によると思える『月』は、「上々伽羅、甘 辛 苦」と伝えられる通り、圧倒的な力を持つ堂々とした伽羅であり、この存在だけで、他の香木に対する信憑性が確約されるような印象を受けます。

賢章院様「月」

それから、御家流の方々には面白い香木として、「スモタラ」と記されたものが複数あります。
所見では、いずれも黄熟香のように見受けられます。
そこで、写真下の「スモタラ」を炷き出してみようと考えています。
江戸時代以前から黄熟香が寸門陀羅として用いられていたという実例として感じて戴けるかどうか、楽しみです。

賢章院様スモタラ

同様に、佐曾羅として赤栴檀のような香木が用いられていた実例も、見受けられます。

賢章院様「挟衣」

平安時代の物語から採られたと思われる香銘『狭衣(さごろも)』ですが、付銘の由来は知られていないようです。
収められている香木は、どうやら赤栴檀の系統のように見受けられます。
こちらも江戸時代以前からの御家流香道の佐曾羅として興味深いため、当日のメニューに加えたいと考えています。

他にも、昔ながらの羅国・真那賀・真南蛮の実例が見受けられますので、炷いてみたいと検討しています。

賢章院様「唐衣」

賢章院様「から錦」

賢章院様「老松」

賢章院様「東泳」

まだ全ての香木をチェックできていませんが、感想として「いかにも、それらしい」古さを感じさせてくれるものばかりです。

いわゆる「名香」と称される意味合いをどのように心得て、それらの香気をどのように賞玩するのか、ご参加の皆さまとあれこれお話し出来れば幸いですし、せっかくの機会を堪能できれば何より嬉しく存じます。

どうぞご参加くださいます様、お奨め申し上げます。
(詳細は淡交社宛にお問い合わせ下さいます様、お願い申し上げます)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?