6月の推奨香木は、高僧の気品を想起させる、稀少な沈香の寸門陀羅

少し昔話をさせて戴きます。
京都御所西にあって、江戸時代より続く香木・薫香原料の輸入・卸元七代目の次男として生まれた筆者は、「狭い京都に兄弟が居たらろくなことにならない」という両親の先見の明?のもと、学生時代から東京に拠点を探すよう命じられていました。
母と一緒にあちこち見て歩いたものの好ましい立地に巡り合うことが出来ずにいましたが、ある時、調査を依頼していた不動産会社さんから「ややこしいけど面白い物件がある」と報告を受けて、初めて麻布十番を訪れました。

四十数年前のことでしたが、当時は地下鉄などはもちろん無くて、最寄り駅が日比谷線六本木駅か広尾駅という、不便極まりなく、「陸の孤島」とすら揶揄される地域でした。
その不便さの賜か、付近には元麻布・南麻布という素敵な住宅地がひっそりと君臨していましたし、かつての武家屋敷跡らしい好ましい風情に満ちた家並は、絶好の散策路でもありました。
一方で、すぐ近所には「三業会館」があり、三味線を抱えて新橋に出向く芸者さんの家もありました(三業=「芸妓屋」・「待合」・「料亭」)。
麻布十番の一帯は、「三業地」という一面も持っていたのです。

現在は「麻布通り」と名付けられた表通りから一本中に入って、喧騒から離れた静けさの中に江戸時代や敗戦後のどさくさ?の名残りを愉しみつつ、一方では新しい時代をリードする人たちが闊歩する小気味良い足音も感じられるこの土地がとても面白いと気に入って、居を定めることに決めました。

当時の実家は、香木や薫香原料等を鳩居堂製造株式会社、松栄堂、天香堂、石黒香輔などに卸すことを主な生業とし、小売り機能は具えておらず、当然ながら販売員も一人もおらず、玄関で母が「おっさん」(お寺の和尚さん)のお相手をする程度でした。

香木は畳の上や木箱・布袋などにゴロゴロ転がっていましたが、それらは産地・品質別に仕分けされて、その大半は数珠・焼香・線香の材料として納品されていました。
一部の最上質の香木は、(中学生時代のおぼろげな記憶ではありますが…)主に母の手によって分類されて大切に保管され、聞香用として玄関先で細々と販売されていました。
当時から伽羅は別扱いで、主に香港・シンガポールの専門業者から買い付けていましたが(大学を卒業する頃になっても)、資源が枯渇する日が到来するなどとは夢にも思っていませんでした。

依然として小売りの機能はありませんでしたから、聞香用の香木は、もっぱら母が管理して愉しんでいたように覚えています。とにかく母は大の香木好きで、それを筆者が受け継いだことが、今の香雅堂の基礎を成しました。

「京都で輸入・加工した香木や薫香原料・製品を、東京で小売する」という合意の下、何の地盤も無く香雅堂を創業し、上質の香木の需要を求めて香道の御家元・御宗家に出入りすることを始めて、やがて付銘をお願いしたり、また次第に香道具の調製にも乗り出して、御家元のご用命で伝来品の写しを調製して門弟向けの頒布を任されたりするようになりました。
香木はもちろん無類の香道具好きでもあった母が、京都を中心として様々な職先を探して道筋を拓いてくれ、夢のような二人三脚の日々を過ごせました。

母が大事に残していた最上質の香木のコレクションは、今にして思えば「近・現代の名香」と呼べるものでしたが、当時の主な販売拠点は東京でしたから、それらは母(よし恵)の手によって香雅堂に持ち込まれました。
『二度と手に入らん品質のもんやけど、大事に残しとくなり、売ってしまうなり、あんたの好きにしぃやあ。あんたはどうせ売ってしまうやろけど。』

ようやく本題に近付いて来ました…^^;

「よし恵コレクション」とも呼ぶべき「近・現代の名香」たちは、香雅堂の推奨香木の多くを占めていますし、また歴史的な名香のコレクションの一部も、聞香会で活躍の場を得ています。

創業40周年感謝企画の一環として、6月も「よし恵コレクション」から推奨香木を選びました。あまり多くは残っていませんが、他の推奨香木と同様に、「一人でも多くの愛好者の皆さまと稀少な香木を共有したい」との願いの下、志野流向きの寸門陀羅を分木させて戴きます。

或る種典型的な寸門陀羅(志野流向き)の顔をしています

挽いた断面の色合いも、最上質の寸門陀羅ならでは
のものです

用いる香木が全て沈水香木である志野流香道において、産地(主にボルネオ島のインドネシア領)を同じくする佐曾羅と寸門陀羅との相違を見極める(聞き分ける)ことは、とても困難を伴います。木所の特徴とされる「味」が共通して「酸」とされる(異説もあり)ことからも、その難しさは推し量れます。
つまり、「匂いの筋」としての「酸」の違いを聞き分けることが、佐曾羅と寸門陀羅との判別の決め手とならなければ…ならないのです。

寸門陀羅の「酸」には特有の曲(くせ)があり、それを掴むことによって、聞き分けは容易になります。
その曲について、香雅堂では「味というよりは或る種の気のような」とか、「鼻腔から脳に突き抜けるようなスーッとした涼やかな気のような」などと表記することが多いのですが、この場合も、実体は筆舌に尽くし難いと言わざるを得ません。
ぜひ「よし恵コレクション」の一端を共有していただき、特有の曲を掴んでいただければと思います。

鋭い「辛」と穏やかな「甘」と調和しつつ、炷き始めから火末まで高い品位を保ちながら放たれ続ける涼やかな「酸」を月の光に擬えて、以下の和歌から「仮銘 澄める月」と付銘しました。

なにごとも変はりのみゆく世の中におなじかげにてすめる月かな
                     (西行)(続拾遺和歌集)















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