希望よりも勇気

 大切なのは希望よりも勇気だ。しかし、次のようにも言えるのではないか。希望は誰でも持つ事ができるが、勇気を持つ事ができるのは少数の人に限られる、と。

 哲学者エリック・ホッファーの自伝には「希望ではなく勇気」という一章がある。

 ホッファーが車に乗せてもらった時の話だ。彼は季節労働者だった。ホッファーが自分には行き先なんてない、ただ歩いているだけだと現状を話したら、運転手が次のように言う。

 「人間は目標を持たなくちゃいけない。希望をもたずに生きるのはよくないよ」
 
 その後に彼はゲーテの言葉を引く。「希望は失われ、すべてが失われた。生まれて来ない方がよかった」
 
 こう言われた時に、哲学者のホッファーは考える。(もし、ゲーテがそんな事を言ったとしたら、彼はその時はまだ小物だったのだ) ホッファーは、運転手の引用に対して懐疑する。

 彼は運転手と別れると、図書館に向かい、本当にゲーテがそう言ったかを確かめる。そこで運転手の間違いを見つける。運転手は「希望」と言ったが、実際には「勇気」だった。

 その後、ホッファーは運転手に間違いを指摘するが、運転手は希望も勇気も同じだと答えた。

 私は、世間一般の人間は運転手の側に与するだろうと思う。「希望も勇気もそんなに変わらないじゃないか」と。だが、この二つの違いは考える事は、とても大切な事に違いない。そうした微妙な差異に心を動かされるかどうか、そこに哲学者や作家のセンスも存する、そう言ってもいいぐらいだ。

 ホッファーの興味の持ち方は、私にはとても適切なものに思える。しかし、ホッファーは希望と勇気の違いを克明には描いていない。そこで、私は私の考察を書いていきたいと思う。

 ホッファーは次のように書いている。「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い」。

 希望は、誰でも持つ事ができるものだ。それは本人の努力や意志とも関わりがない。宝くじを買うだけで、億万長者になる「希望」を貰える。アイドルのオーディションを受ける事は、アイドルになれるかもしれないという「希望」を与えてくれる。人々が好きなのは希望であり、勇気ではない。

 それでは、勇気とはどういうものだろう。宝くじを買う勇気を持つとは普通、言わない。勇気は内的なものであり、例え、現実的に救われる見込みが全く無い時でも、心の中に抱く事が可能な感情だ。私はそう思う。

 希望は外的な現実と繋がって、始めて成立する。自分が積極的に何かをするというより、外部の何かが働きかけて自分を救ってくれる。こういう場合において、「助けが来るという希望を持つ」と我々は言う事ができる。この場合も「助けが来るという勇気を持つ」とは言わない。

 希望は、現実の可能性を期待している。自分が良くなるかもしれない、それは他人に可視可能な領域においてそうなるかもしれない、あるいは、自分は救われるかもしれない、そうした期待を胸に秘めている。

 希望がなくなった時、人は絶望する。絶望とは、外的な現実が閉ざされる事だ。希望がなくなると人は絶望する。絶望は希望の裏面だ。そのどちらも、外的な現実環境によって左右される。希望も絶望も、心中の奥底にある感情ではなく、外側の現実と密接に繋がった感情だ。

 病気にかかっている人間を考えてみよう。彼は「助かるかもしれない」という希望を持つ事ができる。彼は希望に胸を膨らませる。医者から余命宣告をされたら「絶望」する。もう明日はない、と思う。この時、勇気というのは一体どのあたりに存するだろうか。

 それは「病と戦う勇気を持つ」という事だ。その先に死が待っているのがわかっていても、病と戦うという勇気は、その人の心中の奥で形成され、そこで完成している感情だ。一方で希望は現実と繋がっているので、自分の内面だけでは完成不可能だ。

 勇気が希望よりも強いのは、勇気はこのように内的な感情だからだ。希望が絶たれても、勇気を持つ事ができる。勇気とは、世界との闘争そのものに対する意欲である。そして、おそらく、勇気とは、この世のものではない誰かに対する祈願の感情と深く繋がっているのだろう。私はそのように感じている。その誰かとは「神」と言いたいところだが、神なき世界においてその名を使えないというのなら「誰か」という呼称にとどめておこう。

 現代社会は希望か、絶望のどちらかしかない社会と言っていいかもしれない。希望も絶望も現実と繋がっている為に、「社会性があった」り「他者に開けて」いたりといった美名を被せる事ができる。だが、それ故に世界が閉ざされた時には絶望する以外には道はない。

 世界が閉ざされても、動き続けられるのを可能にする感情とは、その人の奥底にある勇気以外にない。だからこそ「勇気が失われれば全てが失われる」のだ。希望を失っても終わりではないが、勇気を失えば終わりである。勇気はその人の存在の奥底から響いてくる感情であり、現実に報われないとしても持ち続けられる感情だ。大切なのは希望ではなく勇気である。
 


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