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ちょっとしんどかった時の話をしよう

日曜日の夜、明日が月曜日であることを思い出したのは寝ようと思った1時間ほど前のこと。いつもなら日曜日のお昼過ぎあたりに月曜日の気配に気づき、早めに休日を切り上げて明日からのしんどさやネガティブと戦う準備をしていたのにだ。

''寝る前のブルーライトはクリティカルに響くから気をつけて''4月の自分のお告げを無視して、あろうことかそこから90分サッカーを見てみたりする。1時に眠気に気づきYouTubeで漫才を1つ選び、そっと目を閉じる。5月はエンヤだった。大好きな漫才の掛け合いがあまりにもうるさく感じてしまったのだ。エンヤのプレイリスト40分をずっと覚えていられたのに、漫才は1本すらその内容を覚えていない。

最近5時30分にはすっきりと目を覚ます。6月は好きな曲がだんだんと嫌いになっていった。好きな曲なら気持ち良く起きれると思って選んだ曲が朝の憂鬱とセットでだんだんと嫌な曲になっていくことはないだろうか?

ヤクルト1000にブルーライトカット、7時間の睡眠を取っても朝が憂鬱だった9月、少しずつ晴れ間が見えてきた10月とイイコト全部やめて好きなことして、好きな時間に寝ても気持ちの良い朝がある11月。「何だったんだろう今までの努力は…」とぽつりつぶやきながらも、これまでの自分に申し訳ないと感謝してこれまでの自分の上にある今の自分を愛でるのである。ありがとう、よく頑張ったね。

ちょっとしんどかった時の話をしよう

いつの間にか卒業まで半年を切っているのに、卒業前のビッグイベントである受験が強過ぎて別れを意識しづらい。受験に心の余裕を奪われて、卒業の寂しさを感じる余裕がなくなってしまうことを知っているから、これから折に触れてちゃんと別れの日が近づいていることを伝えていこうと思う。そしたらちょっとだけ友達にもやさしくできるかもしれないし、いつもよりちゃんと「おはよう」って言うんだと思う。

今年は僕の中で学校が楽しいと感じられる心の余裕がいつもより2ヶ月程早く訪れたので、冬休み前から毎日が楽しくて仕方ない。楽しいとか嬉しいとかそんな感情しか湧いてこない日々は「おーこれを幸せと呼ぶのか」と僕が探し求めていた幸せの答えを教えてくれる。

心に余裕がない時にはきっとどこか足りない何かを世間の言う幸せの形に求め、結婚したい、お金が欲しい、認められたいと強く思うようになる。しまいに人は現実世界で満たされないとわかるとインスタのアカウントを立ち上げるようになる。そしてインスタには夢があると信じて立ち上げたものの、コンセプトが定まらず更新のめんどくささから1ヶ月以上放置するようになる。そして最終的には子ども達の格好の餌食となる。いいかい、みんな?子どもが担任をアカウントネームで呼び始めたらもう友達か何かと勘違いされ始めているから気をつけるんだよ。

みんなあいた穴から吹く風が冷たくて、すぐにでも埋めたくなるのだけれど、でもきっと自分の心にあいた穴は必ずしも結婚だとか、お金だとかの形をしていない。もちろんインスタの形もしていない。多分だけど、もっといびつな形をしているから、自分の中に見つけるしかないのだと思う。

僕は今年それが見つかったから、まだ早いけれど良い年だったなと思う。足りないことも多いけれど、''ないもの以外は全部ある''からさ。

あ、そうだ今日は僕がちょっとしんどかった時の話をしようと思う。

痛かったこと、苦しかったことも、楽しいな幸せだなと思える時間が許してしまうことが多い。だから今は全部あって良かったと思えてしまう不思議があるのだけれど、4月〜9月に書いた日記やnoteを振り返ってみると多分だけど僕は今年一歩間違えたら終わってしまうギリギリのところで戦っていたんだと思う。

''心の病気なるものは僕には無縁だと思っているけれど、その5歩手前ぐらいにいる自覚があり、5歩踏み間違えたら働けなくなってしまうかもしれないちょっと怖いなと思う段階だから意図的に休みを取ることにしたのだ。''

多分これちょっとかっこつけてしまっていて、もうちょっと際どいところにいたと思う。多分キツい時ほどキツいって言えないのがわかっているから本当にギリギリだったよなって笑ってしまう。

半年で6キロ近く痩せてしまった。毎日ウェイトしていたのに、トレーニングに行く気が無くなってしまったのだ。こんなにも簡単に積み重ねてきたものは無くなってしまうのかと呆気なさを感じた。

上手くいかなかった理由はその渦中にいる時はよくわからなかった。あの時はわからなかったけれど、上手くいっている今を隣に並べてみるとよくわかる。

色んなものが怖かったんだって。

4月に新しい環境での生活を始めた僕だけど、新しい環境でスタートを切るのが実に4年振りのことだからうっかり忘れていたのだ、僕は新しい環境に弱い。

大学1年生の時も、初任の時も、初めての異動の時も必ずちょっとしんどかった。

''僕は今ちょっと自分に自信がある。だから行ってきます。''と3月に伝え、その1ヶ月後には誰かの目を気にして生き始めている。

4年経つと忘れてしまうのだ。色んな成功体験が邪魔して、自分のしてきたことそのものに自信の根源を見つけ始めるのだけれど、そうじゃない、自信はとても移ろいやすいものだということを忘れてしまうのだ。

僕が前の学校で自信をもって働くことができたのは「それいいね」「またおもしろいことやってるね」と僕を認めてくれる仲間がいたからなのである。

だから4月僕のことを知らない人ばかりの環境で僕に向けられる奇異の目は少しずつ自分が積み重ねきた自信の色を薄めていく。

''自信の付け方''

そんな類のYouTubeや自己啓発本を開き始めたらちゃんと自信の色は薄まっている。多分そんな状態だったからちょっと苦しかったんだと思う。では自信はどうすれば取り戻すことができるのか?

休みの日は決まって図書館に行ってたくさん哲学や心理学の本を読んで良かれと思ったことを実践してきた。それでもやっぱり即効性は無かったし、しばらくは苦しかったのだけれど唯一効果があったなと思うのは

''精一杯を尽くす''

これだけなのだ。

わびさんのこれ結構支えにしてたなぁ。

子ども達に僕の第一印象を聞くと、''熱血って感じ''''チャラそうな感じ''がいつだって二大派閥、カイハバーツ。これまでいなかったタイプの大人ははじめはやっぱり受け入れるのに苦労する。だから薄い反応がちゃんと怖かったし、時折見せる暗い表情の理由を無意識に自分に返してしまうことがある。

それでもちゃんとやろう、精一杯を尽くそうと自分と戦ってきたのだった。熱苦しいと思われても、普通の大人とは違う一生懸命さを全面に出してくる感じがダサいと思われても、精一杯を尽くそうと思ったのだ。

そしたら少しずつ、本当に少しずつ子ども達の目や発する言葉、書く文が変わってきたのがわかるのだ。烏滸がましいかもしれないけれど、似てきたのだ自分に。大切にしたいこと、頑張りたいこと、許せないことが。

子どもの生きる社会は僕らよりもずっと狭い社会だから出逢ってきた大人が与える影響力はきっと大きい。どんなに僕が人の人生にちょっと触れるぐらいの生き方がしたいと思っていても、良くも悪くもクリティカルに15歳の生き方に響いてしまう。烏滸がましくもこの仕事はやはり影響力をもってしまうことに気づいたからこそ、ちゃんとしなきゃいけないし、精一杯を尽くさないといけないし、かっこよく在らなければならないのだ。

才能には発動条件がある。どれだけ高いポテンシャルを有していても、それが発揮されるべき条件が揃っていないとくすぶってしまうのが才能だ。

そう考えた時に、4月、自信を失いかけた僕は、泣きながら日記に''積み重ねてきたものはまがいだった''と書き殴ったけれど、11月の僕は思う。3月に自信があったことは紛れもない事実で、それは失われるものでも、なくなってしまうものでもなく、その自信の強さにグラデーションがかかるだけなのだと。

だから僕は自信は''付けるもの''というよりも、''誰かがくれるもの''だと解釈した方が生きやすいなと思ったのだ。

僕は今、たくさん子ども達とコミュニケーションを取りながら自信をくれる仲間を作りにいっている。自信は移ろいやすいもの。揺るがないものであってほしいけど、付き合う人との関係性の中でその強さは決まってくる。

だから自信をくれる仲間を作りたい。この人の言うことは信じたい、この先生を信じたい。僕はそんな人に支えられて少し勇気と自信をもらえている。

''この教室にいれば大丈夫、何だってできる、そう思いました''

卒業式の日にもらった手紙の一節にそんなことが書かれていた。最近の言葉でいうと心理的安全性。そんな場所を作るために、僕ら大人は精一杯を尽くす必要がある。

この仕事をしているとフィジカル、メンタル共にめちゃくちゃにしんどい時がある。ちょっとなんてもんではない。それでもちゃんと幸せだと思える11月には、精一杯の4月が必要なのだ。

来年の僕へ

''精一杯を尽くしてくれ''













ちょっとしんどい初めての受験を超えて、みんなに素敵な3月が待ってますように。

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