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ぜんぶ三戸舜介のせいだ

''いゃまた教え子使ってバズらせ商法かよ!''とツッコミを入れられてしまいそうないやらしいnoteの書き方をしている僕だけれど…聞いてくれ!悪いのは僕じゃない、ぜんぶ三戸舜介のせいだ。

植中朝日がJリーグ初ゴールにハットトリックを添えたあの日。

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第5節東京ヴェルディ戦で初ゴールを決めて以降ゴールから遠ざかっていた彼は、1つ上の先輩に1試合で得点数を抜かれたことを報告してきた。

しかし、その5日後、植中朝日に触発されるように、奇しくも前回と同じ東京ヴェルディ戦でチームに4試合ぶりの勝利をもたらす貴重な先制点を手にすると、

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日本中のサッカーファンを魅了してはしっかりトレンド入りし、おまけにインタビューではしっかり植中朝日の「もってるな」をパクりイジり、

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極め付けはしっかり結果を残したからnoteを書いてくれの要求である。

これはぜんぶ三戸舜介のせいである。

プロローグ

高卒1年目のルーキーがここまでチームを問わず認知され、愛されることも珍しいだろう。

もちろん彼の抜群のサッカーセンスがその理由の最たるで間違いないのだが、カードをもらって退場してはトレンド入り、顔面にボールを食らって運ばれればトレンド入り、ゴールの有無に限らず出場した試合はもれなくトレンド入りなのである。あの手に乗りそうなサイズ感が可愛いのか、最近じゃ新潟のJKはみんなBTSなんか目もくれず''三戸ちゃんキーホルダー"をカバンに付けているという。

そして次回のマスコット総選挙はヴィヴィくん(Vファーレン長崎)の連覇を抑えて、三戸ちゃん(アルビレックス新形)が1位になるんじゃないかともっぱらの噂である。

それぐらい三戸舜介は愛される。彼は昔からずっと愛されているし、今後もずっと、どこに行っても愛される。そういうやつなのだ。

僕はこの仕事を始めて7年目になる。そろそろ教え子の数が1000を越えようとしている。素敵な思い出がたくさんある。思い出す度に誇らしくなる思い出がたくさんあるのだ。みんな元気かい?先生はまたこうして汚いやり方でnoteを書いているよ。

ただ、1000人いる中で3年間ずっと、入学から卒業までずっと授業を見てあげることができたのはこれまでたった1人しかいないのだ。

それが三戸舜介なら、その偶然みたいなものを理由にこの続きを書いてもいいだろうか?

三戸舜介という男

彼は小ちゃなサッカー少年だった。

背の順を作るといつも一番前で腰に手を当てているような子だった。その小ささに苦しむこともあったかもしれない。

それでも、その身長に見合わない強い気持ちをもっていたし、スポーツなら何でもできた。いゃできないことがあってもできるようにしてきた、か。「あきらめなきゃ何でもできるっしょ?」そう言わんばかりに努力してみせた。

人生で成功するやつのマインドをもれなくもっている。だから彼が今望んだ未来に着実に近づいていることは別に不思議なことじゃない。

それでいて、謙虚で、心優しく、いつも笑顔だからお手上げだ。U15から代表に呼ばれて学校を空けてもみんなが応援してくれた。漫画の主人公みたいなやつだ。

何でもできるのにテストの解答にはフルマラソンは10万kmだと書いてあったり、代表の遠征でドバイに行った時にスタバのマグが欲しいと頼んだらドバイの空港で思い出してとりあえずやっつけで買っであろうMADE IN CHINAと書かれた謎のマグカップを「買ってきてやったぞ」と誇らしげにくれたり。

スーパースターなのに少し欠ける。愛される理由を存分にもっているのだ。

みんなが知る''ミトシュン''はそんなやつだった。

そんなやつだから、記事が書きづらくて書きづらくて仕方がない。「シュン、これまでに挫折とかあったの?」

「中学2年の時に親から『もうアカデミーやめろ』って言われた時期はありました笑その時は試合に出たり出なかったりで結果も残せてなくて『何のためにアカデミーに行ったんだ?』って常に親に言われてサッカーやめよっかなって思ってた時期もありました。でも1番悔しかったのは…」

知らなかった。そんなことも見せず、そんな挫折が霞むぐらいその後の活躍は華々しかった。

U15の冬に初めて代表に呼ばれると、その後はコンスタントに召集されるその年代の顔となった。

U17W杯にも日本代表の''7''を背負って出場した。世界からも高い評価を受けた。

その後飛び級で代表に呼ばれることもあり、高卒でアルビレックス新潟への入団が決まるとルーキーイヤーとなる今年J2開幕戦ギラヴァンツ北九州戦でデビュー、第5節東京ヴェルディ戦で初ゴールを決めたのだ。

経歴だけ見ると順風満帆。誰もが羨む。僕も嫉妬してしまうほどの人生だ。

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でも1番悔しかったのは…

一度もリーグ戦に出場することができないまま引退していくJリーガーがたくさんいる中で、ルーキーイヤーの開幕戦からその一歩を踏み出すことができた彼の人生はただただ順風満帆に見えた。ラッキーでもなんでもない、そこには僕らにはわからない努力とそれによって実った力があったからだ。

その後もコンスタントに出場機会を得た彼は、僕の誕生日、7月3日の磐田とのアウェイゲームにもスタメン出場したのだ。誕生日だからと母親にチケットをプレゼントされた僕は教え子が大好きなチームと戦っている姿をただただ母親に自慢したものだ。

そのゲームは磐田が勝った。前半のうちに磐田が3点のリードを奪ったゲームだ。彼は前半でベンチに下がった。試合後挨拶に回ってきた彼は僕を見つけて「ごめんなさい」と手を合わせたのを覚えている。

そしてその試合以降、彼はパタリとリーグに出なくなった。怪我をしていたわけではなく、補強や怪我人の復帰もあってのベンチ外だ。

順風満帆に見えたルーキーイヤーを突如襲った人生で一番の挫折。それはベテランであろうと、ルーキーであろうと構わずやってくる。サッカーに人生を捧げた選手達にとって試合に出れないことほど悔しいことはない。

「めっちゃ悔しかったすね」

この言葉の裏側にある18歳の青年の苦労に想いを馳せると、プロの世界で生きていくことの厳しさを感じる。

彼が人生で1番の悔しさを経験したのは、つい最近のことだ。

だからだ。

だからこそ嬉しかったのだ。久々のスタメン起用に応え、左足を振り抜き奪った先制点は本人もチームメイトも家族も、彼を知るすべての人が嬉しかったのだ。

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みんなが鮮やかな彼の左足に歓喜した夜はTwitterが三戸で埋まった。

僕は少しだけ泣いた。

ぜんぶ三戸舜介のせいだ。

人生のターニングポイントになる、そう語った久しぶりの試合出場とゴールは彼の人生に差した久しぶりの晴れ間だった。

エピローグ

教え子がプロになったらいつか取材が来るだろう、そう信じて止まない夢見がちな僕がずっと温めていた三戸舜介の印象がある。

''三戸舜介選手はどんな選手ですか?''

そう聞かれたら、僕は間違いなく''日本で1番楽しそうにサッカーをする選手''だと答えるだろう。

彼に出逢うまでは僕の同郷の長谷川竜也(川崎フロンターレ)がダントツで楽しそうにボールを蹴っていると思っていたけれど、今は三戸舜介で間違いない。一昨年選手権で準優勝した静学の選手を3人抜きしたプリンスリーグを見た時、あぁこいつは今日本で1番サッカーの上手な高校生だなと思ったものだ。

生きるか死ぬかのプロの世界にあっても彼は楽しそうにボールを蹴っている。プロ1年目、バチバチのプレッシャーの中でも''何をするかわからない''と解説に絶賛される三戸舜介のワクワクするプレーは見るものを魅了する。''何がしたいかわからない''と言われた僕の1年目とは大違いだ。

うちのチームの子ども達は彼のことが大好きだ。一度同期の吉田憲次郎と共に練習に参加しただけなのに「シュンちゃん、シュンちゃん」と子ども達のアイドルとなった。彼が久しぶりにJリーグに戻ってきたあの日、うちの子ども達はみんなでシュンちゃんのゴールに興奮したのだ。

僕はこの仕事をしていて一つ確信していることがある。

それは、子どもを動かすのはいつだって憧れの持つ力だということだ。

うちの子ども達がみんな彼みたいになりたいと誓ったように、これから彼と出逢う小さなサッカー少年少女達はみんな楽しそうにサッカーをする彼に憧れるはずだ。

「憧れであり続ける?あきらめなきゃ何でもできるっしょ?」彼はきっとそう言って明日も楽しそうにボールを蹴っている。

シュン、おめでとう。

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僕らみたいな田舎もんが東京の人に手を出すと危ないとあれほど教えたのに…これでこのnoteがヴェルディサポに叩かれたらこう言ってやる。

''ぜんぶ三戸舜介のせいだ''


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