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上手いは強いのか?

僕がこうして衝動的に筆を走らせる時はいつも決まって悔しさを葬る場所を探している時だ。今日だってその痛みを癒しに一人温泉に浸かっては、自分が執った采配の反省で頭をいっぱいにして、これ以上頭の中に入れておくと精神を病みそうだからとすぐに上がり文字に起こしている。こうして頭の中を整理して冷やしてあげると、なんだか少し痛みが和らぐ気がするのだ。やっぱり直後に温めてはいけないのは怪我と同じかもしれない。

「2-4」

「入りを失敗しなければいける」そう送り出して立ち上がりのリスクは全てカットして10分を無失点に抑えるも、その後曖昧なオフサイドを勝手に判断して足を止めて先制される。その後トレーニングしてきたファイナルサードの攻略からすぐに追いつくと、前半終了前にまた失点を許して1-2。

「サッカーは試合終了時に一点でも多く奪ったチームが勝ち」であることを忘れていた僕は、一人焦って取り組んできたビルドアップを放棄し「蹴っていい!」をピッチに響かす。あの50分間の僕が冷静じゃなかったことは、まったくと言って良いほど今日のゲームのプレー映像が頭に残っていないことからもわかる。

時間の経過と共に前がかりになったところを突かれて、3点目、4点目と失点を重ねる。プツンと何かがキレた音がした。残り5分、ほらまた僕は喋れなくなった。僕が勝負を捨てたのだ。終了間際、1点取り返した時に拍手すら生まれずに立ち尽くすしかない指導者は今すぐピッチを去れ。

県大会に出て自分達がどこまでやれるか知りたい、そう思って臨んだ大会だったのに触れることすらできずに呆気なく終わってしまった。

言い訳もない。相手が強くて、うちが弱かっただけだ。

「今の自分がやれることは全てやった」今朝ゲーム前にもし監督インタビューがあればそう答えていたと思う。トレーニングの強度は彼らの出せる100%に近いものは積み重ねてこれたと思うし、戦術的な共有もできていたはず。そこに加えて今日のゲームを100%で戦うためのカーボローディング、ウォーターローディング的な意味での食事、水分管理もしてきた(給食みんなめっちゃ食べた)

それでもそんなシナリオを全部壊すだけの僕の臆病とコンペティション慣れしてない子ども達の焦りでゲームに負けた。

「やることやって負けたらなら後悔はない」

そんなのは嘘だ。「やることやった」と思った結果に負けで応えられるとただただ「やるべきことはもっとあったんじゃないか」という自分の弱さが悔しさを助長する。テキトーにやってきた後悔よりもずっと苦しいじゃないかなんだこれ、サッカー嫌いになりかけてるんだぞ?

上手いは強いのか?

「緊急事態宣言出しても意味なくない?もっと根本的なところから変えていかないと」そう話す意識高そうな学生2人の話を聞きながら「サウナで話すなって書いてあるやろ?お前らみたいなのがその根っこちゃうんか?」と頭の中でツッコミながらも同時並行で僕は「上手いは強いのか?」そんなことをサウナのつまみに考えていた。

今日会場にいたどのチームよりも僕らは上手いと信じたかった。上手さの定義なんかを始めたらのぼせてしまいそうだから割愛するけれど、多くの人がゲームを見た時に言語化を通り越して「上手っ!」とこぼすアレを上手いとした時にだ。当然上手さは相対的なもので成り立つ節もあるから、僕ら公立の中体連のレベルの話として考えた時にだ。

ゴールとなる「強い」も定義するとなんかもう哲学が始まって頭の悪い僕は秒で論破されそうだから、勝ってるチームは強いにしよう。

サッカーというゴールを決めるだけのスポーツにおいて、ラインさえ越えればそこまでの過程は上手であれ、下手であれどうでも良さそうだ。(もちろんそこまでの美しさに惹かれるから多くの人に愛されるんだが)実際に上手くはないけれど、勝ってしまうチームはいる。中体連の地区大会、ノックアウトのトーナメントの場合は、クリアなのか意図のあるゴールへのロングボールなのかわからないけれど、相手の守備エラーでなぜかゴールに繋がってしまうことがある。リスクもないから採用されやすい戦い方であることもわかる。

当たり前かもしれないけれど、僕はトレーニングの中で上手くなることを求めてきた。思うようにコントロールできて、狙った場所にパスができて、キーパーのいない所にシュートが打てて、ポジショニングだって、タイミングだって上手さだと思って求めてきた。

最近ではTRMに行く度に「上手いね、どんなトレーニングしてるの?」と言ってもらえるようになった。(だからここら辺ではな!)
ただ勝ててないから強いとは言ってもらえないのだ。

サッカーにおけるプレーアクションを分類した時に、全てが上手いチームは強い。これはもう間違いなさそうだ。だから突き詰めれば「上手いは強い」当たり前だけど。

ただ今日僕らは負けたんだ。下手を割り切ってボール蹴りまくって、とにかく相手のミスを期待してゴールラインを割ることに全振りしていたらもしかしたら違う結果が待っていたかもしれない。それでも僕らは今日、やってきたことへのプライドと負けられない焦りの入り混じった中途半端な上手さを武器に下手を見せて負けたのだ。中には上手いプレーもたくさんあったはずだ。ビルドアップなんかはこだわってきた分このレベルだと上手い。でもゴールに直結するプレーが下手だった。上手い部分と下手な部分があって、当たり前なんだがその上手い部分がどれだけゴールに結びつくプレーなのかで強さが決まるのだ。ここがトレーニングの本質じゃないか?別にゴールに繋がりゃリフティングだってやればいい。

「良いサッカーするね!」どういう意味で掛けてくれた声かはわからないけれど、僕は自分達の良さが最大限に発揮されるサッカーはもれなく良いサッカーだと思っている。そういう意味で掛けてくれた声なら喜んで酒のつまみにしたい。リソースがあるなら僕はGKが蹴ってFWが裏抜けで決めるだけのサッカーがしたい。でもそれができるリソースがないから下から上手くやっていくことを求めるしかないのだ。

下手でも勝てると言ったけれど、勝っているチームはもはや下手じゃない可能性がある。ただ下手でも強くあり続けられる確率は少ないことを考えると、限りなく強いに近づくために上手くなることを求めていかないといけないのかもしれない。

何を言ってるんだ俺は。














サッカー嫌い笑

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