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「いただきます」を12時23分にした話

GW2日目。昨日の大会の課題を抽出して作ったTRはあまりに抽象度が高く、悔しくも今日のゲームにその現象が出ることはほとんどなかった。そんなネガティブを抱えたまま4週間放置した伸び切ったパーマを切り、やっとスタバに腰を下ろす。今日の豆はケニアだとお姉さんが教えてくれた。酸味が広がるコーヒーは唯一僕がブラックのまま飲めるコーヒーだ。感想は舌がキュッとなる、でいいだろうか?甘いティーラテはごくごくいけてしまって僕のスタバ時間の序盤には尽きてしまうため長い作業の時はコーヒーを頼む。

久しぶりにnoteを書き始めた。僕のnoteの書き出しはそういえば無駄に長かった。そういえばたくさん書いていくことでリズムが生まれ言葉がまとまってくるスタイルだった。自分のフォームみたいなものを忘れてしまうぐらいには書くことから離れていたのね、ただいま帰りました。

この1ヶ月、思えば自分の娯楽のために使った時間は数えるほどしかなく、仕事に忙殺されていたのだ。決して難しくはないけれど、責任のある分掌に文書の山々、それを処理するために用意されたあまりに足りない時間。もちろんクラスや授業に手は抜けず、ToDoリストをひとつずつ黒くしていくことと7時間寝ることだけを生きがいに日々を生きた。

一番のストレスは何もかも勝手が違うことだった。

前の学校の4年間で作り上げた僕の中の学校の当たり前と子ども達が育ってきた当たり前にはギャップがあって、どちらが優れているということはないんだけれど、あまりに違うことの多さに疲れてしまったのだ。毎日胸が詰まる感じがして、目の痙攣が始まった。決まった時間に目の奥が痛くなる三叉神経痛というおもしろい病気にもなった。7年間培ってきた自信みたいなものがいかにまがいだったのかに気づかされた。

本当にギリギリのところで生きてきた1ヶ月だった。

そんなギリギリの自分を試すかのように起きたクラスの問題。日常のほんの一コマを切り取ったらそこが上手くいかなかったというだけの話だけなのだけれど、なんだか綺麗なパレットに黒い絵の具を一滴落としたような怖さを感じた給食の話をしたい。

給食が始まって数日目、学校の配膳のルールもわからないからしばらく見守ってみることにした。いつまで経っても着けられることのないエプロンに、時間になっても始まらない配膳。動いている数名を横目に楽しそうに話をしている姿。12時25分にかかるはずのいただきますは、12時32分にかかった。笑い声が聞こえてくる。「やば遅くね!w」これを違和感と思える感覚が無いのかもしれない。

いても経ってもいられずに声を上げた。ちょっと震えた声だったと思う。本当は避けたかった。まだ出逢って数日の信頼関係の出来上がっていない人間から掛けられる説教じみた声がいかにうざくて、聞くに耐えないか、僕も中学生だったことがあるから知っている。それでもだ。ここを逃すときっと明日だって笑われてしまう。小さな綻びを理由に崩れてきた学級をいくつも見てきた。

「手を合わせてください、いただ…」

「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」

「(???)」

「時間見てよ、時間。今何分?32分よ?25分にいただきますが目標なんだよね?7分オーバー。この時期だからさ、配膳が上手くいかなくて遅れちゃうならわかるの。でもさ、そうじゃないじゃん?技術の問題じゃなくて、心の置き所、意識の問題。動いてる人もいれば、喋ってる人もいた」

「本当はね言いたくないんだよ、なんでって?俺だって嫌われたくないから。今嫌われたら1年終わるから。でもさ、きっとダメなんだよ。小さなことルーズにしていったらきっと他もダメになっていく、そんな気がするの。だからさ、もっと頑張れると思うのよ、うるせーなって思うかもしれないけど。ここまで数日、たくさんの素敵を見てきたのにもったいねーなって」

「ごめんねなんか、食べようか」

その後は凄く色んなことが頭の中をぐるぐるしていた記憶がある。よく「味がしない」と言うけれど、味はする。それは言い過ぎ。でも目のやり場には困る。ずっと鯖の味噌煮見てたもの。お前はいいよなって、塩焼きにしてもシメてもどうやったって美味くて。俺はどこだって上手くやっていけると思ってたのに今年は無理かもって思った。

「手を合わせてください、ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

早く食べ終えて手に取った本は「嫌われる勇気」背中を押して欲しい時にいつも手に取る。

「学級委員4人、ちょっといい?」

今日の問題をまずは学級委員と話をしようと思った。

「今日いただきます32分だったじゃん?いつもあんな?」

「いつも以上に遅かったですけど、普段もそんなには早くないです」

「そっかそっか。俺はね、ちょっと問題だなって思ったの。25分に食べようっていうルールがある中で誰もそこに間に合わせようとしない。学級で起きてる問題の責任は全て担任にあると思っているんだけど、もしその現象を変えて良くなったらそれは学級委員を中心としたみんなの手柄だと思ってるの。俺はこの現状をなんとか変えたいなと思ってるんだけど、ちょっと手貸してくれない?」

学期の初日、学級委員をお願いした時に4人に話したことがある。

「学級が良くなるためにやってみたいなと思ったことは何でもしてくれて良い。失敗しちゃったら責任取るから」

何かあった時に「学級委員なんだからしっかりしろ」と言う事は簡単だけれど、リーダーだけがその責任を背負うのは違っていて、いつだって肩肘張って模範生である必要もないと思っている。ただちょっとだけ、ちょっとだけみんなよりクラスを良くしたいと思う気持ちがあるぐらいで良いんじゃないかと思っている。

こんな相談をしてくれたリーダーがいる。

「リーダーだからダメなことはダメだと言わなきゃいけないと思うんですけど、周りからどう思われるかとか凄く気にしちゃって強く言えなくて。嫌われたくないと思ってしまうんです」

「いゃ無理でしょ。俺なんてこの年でも嫌われたくないと思ってるんだから。よくさ『誰が言うかよりも何を言うかだって』言うじゃない?めっちゃ気持ちはわかるし大事だとは思うんだけどさ、嫌いなやつの良い事は、それが正論であれ偉そうに聞こえてしまって入ってこないことあるじゃない?逆に好きな人の言うことってそれが薄っぺらくても響いちゃったりするじゃん?大事よね、まずその人の誰かになれるって」

次の日、4人は移動教室から早く帰ってきてエプロンを早く着けて準備に取り掛かっていた。

次の日、日替わりのプレゼンを自分にもらいこれを見せた。リーダーも大事だけどフォロワーが大事だと。

次の日、準備が早くなる子が増えて、喋っていた配膳が無言で行われるようになった。僕もその姿で見せなきゃと思って配膳に加わった。行動で煽った感じにはなっちゃうんだけど、ちょっとまずいと思ったのかみんなで頑張った。

そしたら2日後ぐらいには27分に食べれるようになった。それでもあと2分削れないか?みたいになった時に動線が悪いみたいな話になって、配膳の位置と出入りの位置の交錯を無くす配置を提案された。そしたらまた時間が短くなって、そのみんなで時間を削っていく取り組みがなんだか面白くなって、少しずつ頑張るようになった。

そしたら12時23分にいただきますできたって話。

みんなで拍手をした。

そういう日の味噌汁はいつもよりしょっぱいって聞いたことがあるけど、マジで普通だった。マジで味噌汁。給食の味噌汁って感じだった。

嫌われることを恐れずクラスの問題をそのままにしなかったあの日の自分はグッジョブだし、まず動いてくれた学級委員はもうそれだけでリーダーの素質があるし、何より乗っかってくれたみんなが素晴らしかったし、よくわかんないけど1ヶ月、同じ船に乗った新しい仲間達との時間はまだまだはじめましてのぎこちなさはあるけれど、めちゃくちゃに楽しいなと思った。そう思った瞬間には不思議と目の痙攣は治まっていたのだ、わかりやすい身体だこと。

コーヒーのミルクやシュガーのように苦さや酸っぱさをマスキングすることはできるけれど、本当のおもしろさみたいなものはそのままに味わうのが良いのかもしれない。何かあった時に「これはチャンスだと」思える気概があるかないか、メンタルが強い弱いで語られるのは実はそんな解釈を加えられるかどうかだったりするのかもしれない。

まずは最初の山を超えたすべての人へ、お疲れ様。良い連休を。

















ごめん、鯖の味噌煮なんて出てない。多分その日コロッケだったわ。

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