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#19 『AWAKE』公開記念Q&A〜第三回・モロバレ(ル)編〜

このnoteは2020年12月25日より全国公開中の映画『AWAKE』の監督・脚本をした山田篤宏が長くなり過ぎてヒヤヒヤしながら書いています。

タイトルでキノコみたいなやつが頭に浮かんだ方、僕と一緒にポケモンマスターを目指しましょう、と言いたいだけでこのタイトルにしました。

最初に断っておきますが、今回これまでで最長になります!ごめんなさい!なんで謝るのかって感じですが。頂いてるメールの文字数がってこともありますが、一応今回でQ&A編としては最後なので全部突っ込もうとしてますので。文字だらけですがよろしければお付き合いください。

でまあ、どのみち長いんでいつもの前置き告知など…。

僕も全体把握はしてないんですが、愛知・MOVIX三好さんに冴えない衣装が移動しています。これ、広島・バルト11さんにあった奨励会時代のやつですかね。こんな感じで他の劇場に移動することもあるようですので、万一お近くに来た際は是非。

あと、今月いっぱい公式twitterベースで映画をご鑑賞頂いた方を対象にした詰将棋キャンペーンが行われています。1手詰めと3手詰めということで、初心者向けになってますのでお時間ある方は考えてみてください。前回書きましたが、『AWAKE』きっかけで将棋に興味持ってもらうのホント嬉しいので…。応募の際に映画の半券の写真が必要になりますので、挑戦してみるという方はとっといてくださいね!サントラCDが当たるのも熱いっす。


それでは、本題に参ります。完全ネタバレのQ&Aですね。とはいえその後追加で頂いたりもしまして、一応ネタバレじゃない質問から始めて行きますが、基本的に「回答する上でもネタバレを全然気にしていない」というのと、流石に内容がマニアックになってきてますので、やはりご鑑賞後にこの長ったらしいのは読んで頂くのがベストかと思います。では。


公開記念Q&A〜第三回・モロバレ(ル)編〜

最初に書いたシナリオからだいぶ削ったと言ってたような…削らず撮りたかったシーンありますか?

いい質問ですねー。これ、要するに撮影稿という撮影に使われた脚本の少し前の本で残ってるシーン探せばいいのかなと思って幾つか読み返してみたんですが、結構前からほぼ今の内容で固まってまして。ですので、実際のところ今のものでベストだとは思ってます。ですが、仮に「あるとまた違ったかもな」というシーンということでいえば。

元々英一の大学の将棋部は陸に指導してもらっている、という設定がありまして、大学構内で英一と陸がニアミスする、でも会わない、というシーンがありました。これなんかは入れるとちょっと人間関係が狭すぎる気もしちゃいつつも、因縁度がアップしそうな気もします。でもその分全体の尺を考えると他を削らないといけない、となるとそっちのが難しそうな気もします。


英一のしている腕時計はROLEXですか?もしそうなら意図があって小物を選んだと思うのですが、その意図とは?

これ、結構ご質問頂いてたとこでした。衣小合わせで確認してるはずなんですが、僕全然記憶になくてですね。改めて小道具・大木さんに確認したところ、「まさしく、英一の時計はRolexです。型が古めなタイプで、私の中の裏設定としては父もしくは祖父あたりから受け継いだもの、ということにしています。そもそも時計すらも買って着けるようなキャラじゃないと思うんですが、着けるとしたらなにか意味があって着ける気がするのでそうした場合貰ったと理由付けした方がいいかなと思いました」との回答を得ました。ことほど左様に僕が考える以上にそれぞれの専門分野を皆さん掘り下げて、作り込んでいってくれてるんですよね…。「気づいてもらえて嬉しい」とのことでした!


陸は英一と再会するまでに、英一のことを思い出すことはあったと思いますか?
もう一度対戦したいと思っていたと思いますか?

解釈問題な気もするんですが脚本関連でもあるんで例外的に回答させてもらおうかな、と。書いていたのは上記のようなシーンまでで、思い出す、というほどのシーンを作ろうとはしていませんでした。ですのでそこはどうなのかなーと思ってます。でも流石にたまに思い出したりくらいはしたんですかね。逆に、「もう一度対戦したい」は恐らくないんじゃないかなーと。英一の方が棋力が劣っているというのは残酷ですがその通りなので。でも勝負という意味じゃなければありなのかもしれません。この辺りは僕でも興味深いところです。


女性の登場人物が少なくて、その分それぞれの人物のインパクトが大きな作品ですね。 英一が栞に対する感情がだんだん変化していったようですが、その後この2人はどのような関係になっていると思われますか。

これも、脚本関連なのであえてお話ししますと、最初の頃はもうちょっと恋愛っぽさが絡んでまして、そういうシーンを作ったりもしてました。演じた馬場ふみかさんには伝えたように、行く末は結婚してるというテイでしたが、脚本開発の流れの中でその要素は薄まっていきました。あとは、撮影時にももうちょっと恋愛を匂わせるようなカットも撮って無くはなかったんですが、最終的に「なんか恥ずかしい」という個人的な感覚で切ってしまいました。ただ、英一には成長の中で友人も見つけたことだし、さて次は恋人を、という親心?もあるにはあるんで、ギリギリ匂いは残している、というとこでしょうか。

で、ご質問の回答という意味では、とはいえやはり解釈は観る方に委ねられた方が楽しいと思います。初期の脚本はそうだっとしても、結局キャストとスタッフが世界を作って仕上がったのが現状の形だと思いますので。そこから想像される後日談は、過去の脚本から発生する世界とはまた違ってても面白いなあ、と。


音楽や音の効果で特にこだわった点があれば教えてください。

音楽と音に特にこだわりがある!というタイプではなくて他の色んな要素と同じように一生懸命やった、という感じなんですが、クライマックスの対局で途中でBGM全落としにして対局室の物音だけを再現するのは脚本段階から決めてました。単純に僕が観たいそれ。あと、英一のクリック音が陸の指し手の駒音と好対照になるだろうというのも狙ってました。それから一連の「陸追い込まれモンタージュ(と呼んでます)」で陸がタイプ音に追いかけられるように前のめりに音が入ってくるように設計したのは整音ステージでの僕の思いつきだったか音響効果・渋谷さんの思いつきだったか。こんな感じで細かくはポツポツありますね。


画面に効果的に登場するコンピュータソフトのプログラムは、専門家が見たら、「おお〜、きっちりできてる!」というようなものなのでしょうか?

やー、これもめっちゃいい質問ですねー。正直なところ話します。恐らく、ですが将棋盤面の再現度がリアルの80〜95%くらいだとすると、ソフトのプログラム表記に関してはもっと下がって60〜70%くらい行ってればいいくらいかな、と思います。そういうリアリティラインで考えました。2020年最強の将棋ソフトの一つ・水匠2の開発者たややんさんも、初見のご感想で将棋AIプログラマーとしては目を瞑ってくださったところもあったようなことをおっしゃってます。

使用しているプログラムは「AWAKE」のものは借りられませんでしたので、「AWAKE」がベースにした「Bonanza」をベースにしています。ですので、コードそのものはコンピュータ将棋が動くものです。ただし、特に画面埋め尽くす系の短いカットなどでは見た目優先で選択しているので、コード内容まで読み取れちゃうと疑問符がつくかもしれません。

そしてそれ以上に、UI(ユーザーインターフェース)は、かなり自由に変えています。てのも本当の将棋プログラムってかなり殺風景というか、手を読むことに本懐があるので、当然ながらそのために必要な機能しか表示しないんですね。で、それが何かというと、本作で直接的には説明してない評価値とか、読み筋の符号、次善手とかなので、将棋を知らない人には何もわからなくなるだろう、というのがありまして。

そんなわけで、割と古典的な手法ですが「AWAKE」の操作画面では、動いてる&考えてる感を出すために、右側にずっと裏を走ってるはずのコードを記載し続けています。あと、成長とともにAWAKEの盤面が洗練されていきますが、あれもその都度盤面の画像ファイルを更新してるってことなので、英一の性格的にそこまでやるかな?ってのはあるのですが、進化を視覚的にもアピールしたくてこの形にしました。また、クライマックスで英一側のモニターに予想手が表示され続けるのも現実的ではないのですが、あそこは執拗に盤面の状況を見せて、将棋を知らない方にも理解してもらう必要があったので、そうしています。


AIと言うと「自分で学習して賢くなっていく」というイメージがあります。そうすると一度負けた手は次は指さない気がするのですが、将棋のAIとはそういう事ではないのでしょうか?AI将棋と将棋ゲームは別物ですか?

一応、僕の理解で回答しますね!AI将棋が「自分で学習して賢くなっていく」は正解です。で、一度負けた手は次は指さないというのも、大筋では間違っていない気がします。

AWAKE戦の2八角に絞って話しますと、特殊な点が二つありまして一つはあの手は確か「その十数手先で角が取られてしまう」という変化でした。で、当時のコンピューターではこの十数手先を確実に読むというのが不可能だったはずです。ですので、逆に言うとあれで負けたからといって、その手が敗着(負けた手のこと)と気づくこともできない、と。なのでそれを直すには人力で「その局面でその手を指すな」と指示を出す以外なかったわけです。

で、二つ目ですが、ところが「電王戦」の規定で、一旦提出した後のプログラム改変は禁止されていました。これは棋士が「研究」というものをする期間を設けたためでして、この研究期間にプログラムを書き換えてしまうと、その意味がなくなってしまうためです(棋士は常日頃から人間相手であっても対戦相手の研究を行なっていまして、電王戦でもやはりそれは必要、ということで事前貸出のルールとなりました)。一応、この辺りはギリギリ映画にも盛り込んでいますが、前に出しすぎると超説明的になるので、迷ったんですが割とサラッと流しています。

AWAKEがAI同士の対戦で優勝した話、その過程を描かずに結果だけを描いたのは何故ですか?というのも、AWAKE側を応援する身としては、AWAKE自体の成長物語をもっと見て盛り上がりたかったという欲もありまして…。

やー、これは初期の脚本から無かったんで好みですかね。というのと、初期の脚本では英一の話と陸の話は半々くらいだったんで、僕が必ずしもAWAKEのみを応援していたからじゃないってのがあるのかと思います。で、陸の方を削って現在の形にしたわけですが、だとしてもAWAKEの成長はその前のvs将棋サークル戦でやってしまっているので、そこに重ねてくると僕の感覚では映画の尺では反復してる感じになるのではないかと。もっと長い尺のドラマであるとか、それこそ漫画であれば良い流れのような気はしますが。

漫画だったらそれこそ金にものを言わせて抜群の環境で最新鋭のパソコンを使ってプログラムを作り続ける嫌味な男が出てくるわけですよ。そいつを裏でサポートしてるのが居酒屋でケンカ売ってきたゴルフサークルのあいつで…って世界観変わっちゃうなこれだと。

一緒に見に行った友人とディスカッションになったのですが、浅川が「あの手」を自分で発見したのかどうか、で意見が真っ二つに割れました。私も1、2度目は「イベントの棋譜を見てた」と思っていたのですが、昨日、3度目を見た時に「これは浅川は、自分で発見したからあの目が出来るんだ!」と思いました。自分でAWAKEのハメ方を発見したけども、それでもその手を使うかどうか、ものすごく悩んだんだろうな、と。多分、この部分のネタバレはなさってないと思ったのですが、どちらが正解なのか、物語の核心の一つだと思うのですが、映画の中ではハッキリと答えは明示していません。それはどういう意図があったのか、お伺いしたいな、と思いました。

何度も観て頂いてありがとうございます。どっちですか?って質問ではなくて明示しない意図は?ってことですかね。結構繊細かつ専門的な回答になっちゃうかと思うんですが、やってみます。

上記記事なんかにも記載されてますが、まず、史実の方で対局者の阿久津八段はあの手に自力で気づかれています。

で、ところが上記ブログにもある様に、この2八角という手自体はそれ以前からアマチュアの将棋愛好家の一部の間では「アンチコンピューター戦略」として有力な手とされていました。阿久津八段の研究は外に漏れようがないですから、現実の「100万円イベント」でもアマチュアの方が2八角戦法を使ってAWAKEに勝ったということも、これに由来するのかと思います。これはかなりドラマチックに言ってしまえば、人間の集合知がコンピューターに一矢報いた、みたいな形です。

この様な状況を色々考慮した上で、作中では明示せず、解釈を観る側に委ねる描き方にしました。こう考えると改めてAWAKE戦はそれほど多層的にテーマを切ることができる対局だったのだなあと思います。例えばここで自分で発見したのか、はたまたそうでないのかと前提条件を変えて考えると、果たしてその手を使うかどうか?という葛藤の種類がまた変わってくるような気がしますね。


では、ここより以下、バリバリクライマックスに関する質問へと突入します!




(実際の対局と異なり)英一は元々は勝ちに執着するタイプだと思うので、だからこそ陸がなりふりかまわずAWAKEを倒しに来たということに感じるものがあったのではと思いました。監督はどのように思われたのでしょうか。
あの表情。監督は英一役の吉沢亮さんに丸投げいえおまかせしたそうですが。あの時、吉沢さんは「英一が何を思ってあんな表情になった」と考えて演じたのでしょう?
電王戦のラストは吉沢さんに表情を任せていて、一発OKだったと聞きましたが、英一の投了する前の表情をどう捉えて、何処か素晴らしいと思われましたか?

以上3つの質問にある程度まとめてお答えします。丸投げでいいですよ(笑)吉沢くんの意図は詳しく聞いていないので、あくまで僕の受け取った印象をお伝えしますと、これはインタビューでも言ってますが、僕は「どこか爽やかな顔をしている」とまず思いました。そして、「そうか、この話は英一が執着を捨てる話でもあるんだ」と思いました。その印象はいまもずっと変わっていません。『AWAKE』が青春映画として最後突き抜けたのはあの表情あってのものじゃないかと未だに思います。あと、一発OKと書かれているところもあるんですが、正しくは「一回しか撮らないと決めていて、そうした」という感じです。

対局投了の表情は吉沢亮さんに任せられたそうですが、吉沢亮さんに任せた、任せられた理由を知りたいです。大切な場面であればあるほど、素人考えでは監督自身が色々指示を出したくならないのかなと思いました。パンプレットに「もし泣いたりしたら、ちょっとなー」と書いてありましたが、一切アドバイス的な事は吉沢亮さんに事前にお伝えしてなかったのでしょうか。

まず、一切アドバイスしてないです。「泣いたらやだな」とは思ってましたが、それも確か伝えてないハズです。

以下理想論になっちゃう気もするんですが、いくら脚本まで書いてるとはいえ、一旦キャスティングをしてしまうと、役者さんがそのキャラクターのことを考える時間は、全体のことを考えている僕よりも格段に長いのではないかと思っています。ご自身の身体性との折り合いもつけなきゃいけないですし。であれば、そもそも「あの時開発者の方はどんな顔をしていたんだろう?」と疑問に思っている僕が何かひねり出すよりも、演じる吉沢くんに任せた方がいいのではないか?というのは結構初期から思ってました。もちろん、そうする中に吉沢くんのお芝居に対する信頼があった上での話ですが。

実際の撮影スケジュール的にもあの対局の後は、廊下のシーンと空港のシーンとかだけだった気がするんで、逆に言えばそこにいくまでに「英一」というキャラクターは完成しているだろうという計算もあったので、アレコレ指示を出そうというつもりは全く無かったです。

あとは、何お前カッコつけてんだと言われそうですが、僕自身がそういう賭けが実は割と好きなのかもしれません。上述の通りたとえ自分が納得しないものになっても一回しか撮らないとは決めていたので。今回うまく賭けに勝ったな、ツイてんな俺、という感じです。

個人的に空港という空間が好きなのですが、ラストシーンで何故空港と言う場所を選んだのか教えて下さい。

僕も空港という空間が大好きだからです!ってのがまずあります。『ラブ・アクチュアリー』のオープニングとか最高ですよね。何度も観てしまう。

というのと、色々過去の資料を漁っていると、このラストシーンは初稿のさらに前のプロットの段階で既に入ってました。そういえばと思い出したのは、ちょうどその頃社員旅行でオーストラリアのケアンズに行ったんですが、その帰りにどこだったかの空港で3時間くらいトランジット待ちの時間があったんですね。で、その時に暇を持て余して同僚の将棋がわかる人を捕まえて、iPadの将棋盤で一局指してたんですよ。その様子をまた別の同僚が見て、「一番いい時間の潰し方じゃないですか」と。多分その経験がヒントになってたんじゃないかなーと自分では思います。

最後のシーンの吉沢さんの表情の演技がすごく好きです!セリフは少ない中で子役の方とやりとりをしていますが、台本には表情について書かれていたのでしょうか?もしくは、監督が何かアドバイスされましたか?それとも、吉沢さんが自然に生み出した表情ですか?

これも僕は特にアドバイスしてません。このシーン通じてようやく笑顔見せてOKなとこが来たね、っていう感じはお互いに共有してましたが。子供に教えているところは、脚本ではこんな風に書かれています。

    英一、近寄って盤面を覗き込む。
英一「二枚落ち?」
少年「負けそう。うちのお兄ちゃん、すごい強いんだ」
    英一はふと考えて、
英一「まだやれるよ」
    と、少年は考えて、歩を手に取る。
英一「(顔をしかめる)」
    少年は別の駒を手に取り、置こうとする。
    さらに顔をしかめる英一。
少年「あ、そうか!」
    と、同じ駒を、別のマスに進める。
    大きく頷く英一。

こんな感じですね。「しかめる」とは書いてありました。

noteの仕様上引用の記載法が一つしかなくて、紛らわしいので一文入れて、次の質問に参ります。

本作はラストシーンからの余韻を佐藤さんのエンディングテーマ、シンプルなエンドロールでしっかりと味わうことができました。あのエンドロールにした拘りなど、エンディングに関して監督のお考えを教えてください。
ラストシーンが本当に好きです。英一や陸とともに自分まで救われた気持ちになりました。シーン自体も良いのですが、あそこで入ってくる音楽がさらにシーンを高めている気がします。カントクは何か音楽についてのオーダーをしたりしたんでしょうか。

以上2問。1問目は「エンドロール」に関しての質問と理解していいでしょうか。もし万が一前作の『ハッピーエンド』というのを観る機会があればわかると思うんですが、その際のエンドロールはめちゃめちゃ遊んでまして。「そういうの飽きたしシンプルな方がプロっぽい」というすごいなんとなくの理由です(笑)あとは、エンドロール作る際に聞かれたのはラストの「監督・脚本・編集 山田篤宏」を止めますか?流しますか?というトコです。出なくていいなら極力前に出たくないんで、当然流す方を選択しました。

あと、音楽に関してですね。エンディングテーマはお気付きの方も多いと思いますが少年・英一が奨励会から帰宅するとき、要するにオープニングで流れる「英一のテーマ」の変奏ですね。英一の成長譚の結末としてはとてもふさわしいんじゃないでしょうかということで、何度も紹介してます才人、音楽・佐藤さんと話し合って作りました。

では、最後の質問です!


AI技術の進化に驚く面白い作品でした。山田監督は映画製作の技術においてもっとも必要だと感じる点はどこですか?

映画はやっぱり総合芸術ですので、どのセクションが欠けても成し得ないものだと思います。どこかの技術がグンとあがっても、やはりそれはどこかでアンバランスさを生み出してしまう。監督としては極力それを調整しようと努めるのですが、個々の技術があがるよりも、全体のすべての技術の底上げこそを目指すべき………みたいな模範解答はパッと思いつくんですが。

締めの質問なのであえて極論を言います。エンタメ映画を作る上で、という前提付きですが最も技術が必要なのは「脚本」だと思います。「面白い脚本からつまらない映画ができることはあるが、つまらない脚本から面白い映画ができることは絶対にない」と言ったのは伊丹万作監督です(黒澤明監督説もあります)。また、ハリウッドの小噺で「いい映画ができる条件は3つある。ストーリー、ストーリー、ストーリーだ(要するにストーリーが超大事)」ってのも聞いたことがあります。

以前、第二回で僕がアメリカ留学中に一人のカメラマンから映像の本格的な作り方を学んだ、という話をしたと思います。そのカメラマン、ジェフリー氏はまだ第一線でバリバリ働かれてまして、ものすごく真面目な仕事をする人なんですが、そんな彼が「自分たちがやっている仕事は、観客にとって1割くらいの意味しか持たない。観客は6割はストーリーを観ている。3割は役者を観ている。残りの1割で、撮影などの様々な要素を観ている」ということを言ってくれたことがあります。そんなこと言っといてものすごく撮影に熱心なところがカッコいいんですが、僕もこの考え方は結構そう肝に銘じているところがあります。

そんなこともあって、僕は脚本の力を信じてずっとやってきました。木下グループ新人監督賞が、基本的には脚本での審査で、かつそれが認められたというのはその意味でとてもありがたいことでした。そして吉沢くんも出演を決めた理由を「脚本が面白かったから」と言ってくれてますし、撮影中のスタッフからも「脚本が面白い」ということで、本当に熱を入れてやってもらった記憶があります。

こんな感じで、脚本が面白いということは、当然話そのものが面白い、ということでもあるんですが、同時に、映画を作る人がみんな面白い映画を作りたいと思って作っている以上、面白い脚本に対してはよりモチベーションがあがるというのもあるんじゃないでしょうか。

というわけで、これからも脚本を書き続けていかないといけないですね。本作で最も気に入っているやりとりの一つを胸に、引き続き頑張っていきたいなと思います。

英一「……何をすればいい? 教えてくれ」
磯野「やるべきことはただ一つ。書くだけだ。山ほど」




いやぁ、今回も綺麗にまとめすぎちゃったかなー、というところで、ほぼ全ての頂いたご質問に回答し終えましたので、これにてQ&Aを終了します!諸々の基準を考えまして、公の場ではお答えできなかった質問もありましたが、全てありがたく目を通しております。ご応募&お付き合い頂きありがとうございました。

さてさて、『AWAKE』の上映はまだまだ続いておりますので引き続き何卒よろしくお願いいたします。本noteもそろそろマジでネタが無いな、と思いつつも、公開以降の上映のフェーズに入った際のアレコレも書かないとなんとも片手落ち感あるなとも思っていますので、次回は上映中に色々考えたことに関して、まとめてご紹介できれば、と思っています。