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『省察的実践』との出会いと病院への導入の難しさ


要約

私が研修医時代に出会った「省察的実践」は、従来の専門家像とは一線を画す、新しい専門家の在り方を示しています。それは、科学的知識の応用だけでなく、経験や直感を頼りに状況に柔軟に対応することを重視するものです。私は、この考え方を後輩指導に活かせないかと模索しています。
そこでは組織的・文化的な困難も伴いますが、前進に向けて地道な取り組みを続けています。

#省察的実践 #医師 #専門職 #対立回避志向 #異文化理解力

私と省察的実践の出会い

私が研修医だった頃、当時の指導医からドナルド・ショーンが提唱した「省察的実践」について教えてもらいました。その後月日が経ち、自分が後進を指導する世代となった時、改めてこの「省察的実践」に立ち返り、日々の実践における有用性を感じました。

ショーンは、従来の「技術的合理性」に基づく専門家像とは異なる、新しい専門家像を提示しました。技術的合理性とは、専門家が科学的知識を応用して問題解決にあたるという考え方です。一方、省察的実践では、専門家が自らの経験や直感を頼りに、状況に応じて柔軟に対応することが重視されます。専門家は行為の中で省察(reflection-in-action)を行い、その経験から学びを得ることで、新たな知識を生み出していくのです。

省察的実践者について
ドナルド・A. ショーン (著), 柳沢 昌一, 三輪 建二 (翻訳).省察的実践とは何か.鳳書房, 2007
を参照し作成

病院での実践の試みと、曖昧さによる障壁

私は、この省察的実践の考え方を、後輩指導に活かせないかと考えています。技術的合理性に基づく指導では、指導医が持つ知識や技術を一方的に伝授するという形になりがちです。しかし、省察的実践においては、指導医と研修医が対話を通じて互いの経験を共有し、ともに学び合うことが重要になります。指導医は自らの経験を言語化し、研修医の経験と重ね合わせることで、新たな気づきを得ることができるでしょう。また、研修医の新鮮な視点から、指導医自身の実践を見つめ直すきっかけを得ることもできます。

とはいえ、これがなかなか難しく、現在の病院では困難を感じる場面が少なくありません。

例えば、効果的な省察のためには直接的なフィードバックを行い現状を客観視する必要がありますが、年長者の側がこの直接的なフィードバックを行わない傾向があります。「異文化理解力」で紹介されている強い対立回避志向、直接的なネガティブ・フィードバックを避ける傾向のなせる業でしょうか。成長のための課題を認識することそのものに大きな認知負荷がかかるようでは、肝心の課題をクリアすることに割けるリソースが減ってしまい、結果的に成長のスケールが縮小してしまうのではとの懸念を抱いてしまいます。

先の記事で紹介したようなエピソードも、省察的実践の普及には障壁となるように感じています。

また、組織におけるメンバーの役割の割り当て方に目を向けると(省察的実践からはやや離れるかもしれませんが)、日々の後進への業務の割り当てにおいては、割り当てのための基準が明確でない中、管理者に似ている、あるいは施設の習慣(広く言えば文化)により適合した人に優先的に新しい役割を与えている場面によく遭遇します。
そこで求められる役割が何で、成果指標が何で、という点が明確化されていなければ、省察により自身の現時点の到達とNext stepを言語化してさらなる高みを目指す方法はその強みを活かすことが難しいと感じています。
マネジメントに関連した内容は、また機会を改めて書き綴りたいと思います。

省察的実践における生成AI活用の試み

最近生成AIの活用方法を色々と模索しているのですが、そのうちの一つが生成AIを活用した自己省察の仕組みづくりです。AIとの対話を通じて自分の実践を言語化し、客観的に分析することで、新たな気づきを得られるのではないかと考えているのです。また、AIを介することで、フィードバックにまつわる心理的ハードルを下げることもできるかもしれません。今のところは、自分でどのように活用するかを模索している段階です。

とは言え、省察的実践の真の習慣化のためには、組織文化へのアプローチは避けて通れません。とりわけ、直接的なフィードバックを避ける傾向や、曖昧な評価基準といった問題は根深いです。これらを解決するためには、地道な取り組みを続けて行き、少しずつでも支持を得ていくしかないと思います。


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