研修医の指導に自己主導型学習の概念の適用は有用か?
はじめに——自己主導型学習とは
だいぶ前の話ですが、自施設の研修医の教育に、自己主導型学習の考え方を取り入れたことがあります。
自己主導型学習とは、学習者自身が学習の目標設定、計画立案、実行、評価のプロセスを主体的に行っていくアプローチです。一方、教師主導型学習では、教師が学習内容や進め方を決定し、学習者はそれに従うという受動的な立場になります。自己主導型学習は、自律性、内発的動機づけ、メタ認知能力などを育成するのに有効だと考えられています。
医療の現場では、日進月歩の知識や技術への対応が求められ、生涯学習が不可欠です。特に現代(2024年時点)では、COVID-19パンデミックとその対応の中で、医学の情報の増加とその普及の速度が著しく速まったこと、生成AIが医学の情報の広がりをさらに加速した一方で、広がっていく情報の質にも改めて注意する必要性が高まっており、自ら主体的に正しい知識を求めていく姿勢の重要性も高まっています。
先日公開したマガジンもこの問題意識のもとに作成しました。
その意味で、自己主導型学習の考え方を早い段階で身につけることは、長期的なキャリア形成において大きなメリットがあると考えています。研修医自身が学習ニーズを特定し、適切なリソースにアクセスする力を培うことは、受け身の姿勢では得られない学びの深さと広がりをもたらすことが期待されます。
過去の経験——権力格差との競合関係
そんな思いを抱いて、この時は色々試しました。自己主導型学習の概念を研修医教育の一番最初にレクチャーした他、研修医が身につけるべき能力のうち思考力やコミュニケーション力の部分をミネルバ大学のコアコンピテンシーに関連づけたり、目指すべき目標の答えはクライアントの中にあると、研修医をクライアントとしてコーチングの手法を取り入れた 1 on 1 をやったり、自施設の指導環境の限界を超えて研修医たちが自ら成長していって欲しいとの願いを込めて、持っているあらゆるノウハウを投入しました。
ところがある時、研修医から次のような相談を受けました(大意を残し、個人名など出ないよう文章は改変しています)。
「少し上の先輩と一緒に患者さんの診療にあたっていた時に、自分のアセスメントをその先輩に伝えたところ、その先輩が知らない事柄が出てきたのか、嫌な顔をされ『自分より賢く振る舞うな』というプレッシャーを感じました。こういう時はお互いの優れたところを尊重しあって、足りないところはお互いにリフレクションし合って相乗的に高めあっていくべきだと思うのですが・・・」
この研修医の言うことはもっともです。そう思い、自分より先輩格にあたる、研修指導の責任者に事情を報告しました。しかし、その後の状況については何の報告もなく、その「先輩」が変わった様子もありませんでした。
(ここでのリフレクションというのは、自己主導型学習の概念と同時に教えていた省察的実践の考え方を反映しています。別の記事で紹介致します)
文化の問題へのアプローチ
当時はこの件で途方に暮れたものですが、ある時にエリン・メイヤーの「異文化理解力」や、ヘーフド・ホフステードの「多文化世界」に出会いました。当初は難しいとの思いが強かったのですが、内容を消化していくと、この件の謎を解く手がかりとなり得ると感じました。
例えば「多文化世界」では、日本は権力格差が中程度あるとされています(「異文化理解力」では強い階層主義とされています)。上記のような場面だと、先輩医師が若手医師が自発的に行動することへの抵抗感を抱いたり、「生意気だ」と受け取ってしまう恐れがあります。権力格差がもたらす困難な側面の表れと考えられます。
こうした困難を乗り越えて、研修医や専攻医などの若手医師が自己主導性を持って学びを積み上げていって欲しいとは今でも強く願っていますが、組織文化を一朝一夕に変えることは難しいです。だからこそ地道な働きかけが大切なのでしょう。
態度面から変革を促すのは容易ではなく、行動から一つずつ変えていくやり方も考えられます。手持ちの行動変容のツールは必ずしも多くありませんが、自身のリフレクションの意味も込めて、少しずつ提示して行ければと思います。
組織変革には正解がなく、試行錯誤の連続だと思います。一人ひとりが小さな一歩を積み重ねながら、多様性を尊重し、互いに高め合える文化を育んでいくことが肝要です。前のめりになりすぎず、しかし諦めることなく、できることから着実に取り組んでいきたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後とも有益な情報を発信していきますので、応援よろしくお願い致します。
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