リベラルアーツ 「遊び」を極めて賢者になる

人生を遊びつくすことを人生の目的とするに至ったきっかけとなった一冊の本がある。文化芸術プロデューサーとして活躍されている浦久俊彦さんによる「リベラルアーツ 遊びを極めて賢者になる」という本。今回はこの本をまとめる。

主題

生きるに値する未来をどう作るか
人生をどう遊び続けるか
人生を遊び続けるために身に付けるべきことがリベラルアーツ
リベラルアーツをより良い未来のために活かすキーワードは「遊びにある」

リベラルアーツを知る
l   リベラルアーツの根源にある精神とは? 西洋と東洋のリベラルアーツの源流から読み解く
リベラルアーツの根源にある精神は、世界を読み解くための方法であり、世界を読み解くための言語でもある。一人一人が生きることを心から楽しみ、家族を慈しみ、周囲を思いやり、助け合い、地に根を下ろし、仕事と遊びの境界をなくしていけるような社会を創る。そのために身に付けるべきものがリベラルアーツである。
あらゆる領域を蝶のように警戒に飛び回り、それをつなぐ「遊び」としてのリベラルアーツ

l   リベラルアーツとはなにか?

リベラルを考える
西洋におけるリベラル
リベラルは自由と訳されるが、自由は英語ではfreedomとlibertyという二つの語で表現される。
Freedomは受動的な自由
Libertyは能動的な自由
リベラルは、libertyの自由であるから、自らがつかみ取る能動的な自由である。

東洋における自由とは?
自由とは、自ずから出る、自ずからに由る働き。モノがその本来の性分から湧き出るのを自由という。天地自然の原理そのものが、他から何の指図も受けず制裁もなく自ずからの働きを自由という。

東洋的な自由と西洋的なlibertyの意味を合わせもつ語が、「遊」である。
あらゆる領域を蝶のように軽快に飛び回り、それをつなぐことが出来る無限の可能性を秘めている。
「遊」は、その定義をもすり抜けただ無心に生命を崇高なものにささげ、宇宙の真理と遊ぶ、個人的な願望や欲望を超えた行為であるといえる。

アーツを考える
神は、宇宙の外にいる超越的な存在である、世界を神が作ったというキリスト教的価値観の下では、人間が作ったものすべてをアートとあらわす。対して、神道的宗教間では、世界が神を作ったとし、神を自然の中にいる内包的なものとみる。

神に属するもの=森羅万象、時間、自然現象、人間など、この宇宙にあるものすべて
人間に属するもの=道具、衣類、住居など、人が生きるために自ら作ったもの
この人間に属するものが、最も広義なアートである。
アートの領域は多岐にわたるが、技、芸、術で表せることから、わざとして訳すのがふさわしい。

リベラルアーツは、遊ぶためのわざであるといえる

l   リベラルアーツによってもたらされるものとはなにか?
「テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立つ」スティーブ・ジョブズ
文明と文化の境界線でバランスをとる
創造力と想像力
クリエイティビティとイマジネーション
二つのソウゾウリョクこそがリベラルアーツによってもたらされる最大の果実
無用の用
リベラルアーツの根源にどのような精神が流れ、どのように生かしていくか。つまり、リベラルアーツを考えることが重要

リベラルアーツを遊ぶ
l   遊ぶためのわざとはなにか?

一遍上人は独一という言葉を使った。独一とは、自分と南無阿弥陀仏とが全く一つになってしまって、自自分という存在は跡形もなくなくなっている。自分のなすべきこと、自分のあるべき姿と独一してただ生きる。

身をすつる すつる心をすてつれば おもひなき世に すみぞめの袖
という詩からもわかる。
自分のやるべきことをやり、自分のなるべき人になることが本当の自由である。
l   いかに遊び続けるか? 
江戸に学ぶ
貧しさや生きる厳しさの中から培われた人生哲学。世界をどこまで楽しめるかは、遊ぶ人の才量次第であり、同じ風景を見ても、人より丹念に味わおうとする。
江戸の人々は、「無名の人々の群れ。このような人生を語らず、自我を求めず、出世を望まない暮らしぶり、今生きているから、とりあえず死ぬまで生きるのだ、という心意気」があったとされている。
江戸の人々にとっては、科学や技術が「遊び心」に直結していた。
生きるために遊ぶという精神
江戸のライフスタイルは、3ない主義 モノを持たない、出世しない、悩まない
新しい貧しさを選択する。 合理的でない方にあえて舵を切る
感動でいかに時間を膨らませていくか。

人生を遊び続けるための3つの方法

1,  人生の旅人になる
外の文化や生活に触れることで、自分が日本人であることに気づく
本の世界を旅する
生きている人との交流という現実社会は横のつながり。それに対して、本は、過去と現在をつなぐ縦のつながりである。本によって、記憶や想像力を追体験することによって、世界を広げていく
世界平和のために本を読んでフマジメになる

2,自分の周りの人のために遊ぶ
利他主義的な遊びをする。合理的利他主義は合理的な利己主義に他ならない。
三方ヨシ

3,仕事と遊びの境界線をなくす
これからの仕事はもっと自由自在であるべき
自分の仕事、自由な仕事をすることを目指す
フリーエージェントを成し遂げるための根幹は、ヨコのつながりである。社会とつながり、社会から必要とされるからこそ自由自在な仕事ができる。
より縦横無尽に領域を飛び回り、プロジェクト単位で仕事ができる人材になる必要がある。
仕事を自分の個性と一体化させる。
仕事とは、自分が世界といかに関わるか、世界の中に自分をいかに位置付けるかということでもある。
誰かのためになることを仕事にする
いま、自分の目の前にあることをとにかく必死でやる。
遊びに変えてしまうくらいの気持ちと視点、「心の遊び」を持ち続け、誠実に懸命に一つ一つ臨んでいく。人よりもはるかにうまくでき、さらに好きなことをしている方が、人に多くの喜びを与えられる。
自分ができることで、人が喜んでくれることは何か。それを考えて、一つ一つ実践していく。それがあれば生きていくことが出来る。
思い込みから自由になる。
仕事についても自分にできること、やりたいこと、好きなことを人が喜んでくれるという基準から、じっくり立ち止まって考えてみる。

   リベラルアーツを体得する極意

古代から人類が世界を知り、よりよく世界を見て、よりよく生きるために積み重ねてきた叡智であるリベラルアーツの精神を受け継ぎ、自分自身のものとしていく。つまり、リベラルアーツを生きる。
習得するための4つの方法
知ること 観ること 読むこと 考えること
この4つを「生きる」中に組み込む

1, 知ること
知るとは、なにを知らないかに気づくこと
自分を歴史の中に正しく位置付けること
歴史を自分の物語として知ること
五感を駆使して感じること、体験することも含まれる
何かを知るためには、まず知ろうとする思いを持ち続けること
引っ掛かりを感じる
知ることは感じることである
無知の知、形而上学 知覚や感性を磨くことにもつながる

2,観ること
観察力 眼で見えないものを脳で見る力を高める
直観力 見た瞬間に物事の本質をつかむ
シャーロックホームズ ダヴィンチ
見えない世界を見る

3,読むこと
読むこととは人類の古典を読むこと
自分の知りたいセンサーを働かせて、それに引っかかるものを読む
自分の視座を離れて読んでみる。

4,考えること
考えることとは大事なことを正しく考えること
ごく当たり前のことをなぜ当たり前なのか?と考える。ここに、正しく考える。という姿勢がある。考えることの出発点は知りたいという衝動
正しく考えることとは、世界の正体を暴くことでもある。

これらを遊びとして、自分の興味のままに任せて、人生の中に組み込んでいく
ただ見て知りたいから学び、読みたいから読み、不思議だから考える。楽しみには際限がない。
好奇心、探求心
人生を遊び続けることとは、子ども心を失わないということ 無邪気である
ポジティブな想念を持つ絶対肯定の想念 ポジティブしかない状態

リベラルアーツで作る未来

l   芸術を文化にする
文化とは土を耕すことすべての出発点は土にある
土地こそが実は文明の寿命を決めている
土は人類の文明の寿命を支配し、製紙の世界を包み込む、すべての根源であり、文化の土台でもある。
土地に記憶があるように、文化にも記憶がある。
人は土から離れては生きていけない。
文化とは、土に向かおうとすること。
文明とは、土から離れようとすること。
文化とは土に根を下ろして花咲くものであり、土とともに生きること。
文明は生活を便利にするが、文化は人を豊かにする。
文明と文化のバランスをとる
ひとりひとりが芸術と文化の体幹を体の中に作ることで、自分の目で物事をみて、自分の足で世界を歩き、自分の頭で判断し、自分の言葉で語ることが出来るようになる。

l   教養から共養の時代へ
誰もが目指すことで一番になる人よりも、あまり多くの人が目指さない領域あるいはアイデアで何かを仕掛ける人が、圧倒的に重要 
1つの領域の専門家というよりも夢を描き、複数の領域をつないで語りにしていく力を持っている人が大事になる。
教えない教育
答えのない問題に立ち向かっていく力、リーダーシップ自ら何かを作り出すための基礎能力が重要
教師が備えるべき資質とは、全方位にわたって深い知見とバランス感覚を備え、生徒一人一人の声に耳を傾け、生徒を正しい議論の方向へと導くという統率者、ファシリテーターとしての力、すなわち、世界を読み解く視点とともに、世界を語る言語でもあるリベラルアーツの精神を身に付けた人材
子どもが自ら学ぶための気づきを与える。
型にはまった常識人間をつくるのではなくて、二つのソウゾウリョクを養うことで、イノベーションを生む下地を作る

l   市民の手で公共をつくる
大衆文化と市民文化
大衆文化は数の文化であるのに対して、市民文化は価値の文化である
価値とは何かを育むことでよりよい社会を創る
オルデガ ハンナ・アーレント
大衆こそが20世紀が生んだ怪物である
大衆とは善きにつけ、悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見出すことなく、自分をすべての人と同じだと感じ、そのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じるすべての人々のことである。
一方市民とは、政治的、公的な問題に関心を持ち、どうすれば社会が良くなるかを考え、実践する人々。
自分たちが幸福になるとはどういうことかを理解している人々。
寛容で、利他的で、周りのためになることが、よりよく生きるための方向だと理解している人々。
政治家や権力者の言動や行動に注意し、自分と異なる立場の主張に耳を傾け、表面的な情報やマスコミに踊らされることなく、常に物事の背後にある真実を見極めようとする人々。
社会を変えられるのは、大衆であり、市民である私たち一人一人が変えていくしかない。
歴史を見れば明らかである
市民文化とは、国民を市民としての自覚に目覚めさせる文化。人と人との交わりは、数字の集まりではなく、人の集まり。その価値は、数に置き換えられることのない大切なものである。そういったものに気づくこと

未来とは?
未来とは先にある何かではなくて、背後からやってくるものである。
未来はすべて過去の投影であると考えるべき
公共とは、自分の周りと言える。自分がいて、家族がいて、友達がいて、地域がある。だから、自分を変え、周りに少しづつ広げていくことでしか、世界を変えることはできない。
文化とはなにか? 文化的な価値とは何かを理解する市民として、文化的な暮らしを実践していくこと、それを広げていくこと。つまり、ボトムアップでの変革が世界を変える力を持っている。

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