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貴方を思って泣くけれど悲しいだけの涙じゃない

兄が亡くなって10年経った。亡くなったのは2012年11月のこと。
最期の半年間は、お見舞いに行って家に帰ってきては、私も両親もいつも泣いていた。本当に辛い日々だった。
 
この10年、兄のことを思い出さない日はなかった。そして、思い出して涙が出ない日もなかった。
 
私は、祖母のことが大好きで、孫の中でも最も好きだったと言える自信があるほどおばあちゃん子だった。祖母は14年前に亡くなったが、同じくこれまで祖母のことを思い出さない日はなかった。でも、涙が出ることもあるが、それは毎日ではない。97歳まで生きてくれ、一緒にいっぱい遊んで、当時の私なりにお世話もできたし、亡くなった時はとても悲しかったけど、でも祖母は天寿を全うしたという言葉に相応しい逝き方をしたと思う。
 
一方、兄は36歳で亡くなった。最期の日々は病室で同じく色んな話ができたし、読みたい本や食べたい物のリクエストを聞いては週末に買って行くなど、それなりのお見舞いはできたはず。でも、兄を思い出す時は、必ず涙がセットになる。
それは、夜、仕事からの帰り道だったり、トイレに入った時、シャワーを浴びてる時など、一人で居る時が多いけれど、誰かと一緒にいる時でも、ふと気持ちがそっちの方に向いて、涙が出てしまうこともある。

これはきっと、一生続く。
 
他人が聞いたら多分驚くと思うし、私や残された家族のことを不憫に思う人もいるだろう。私だって、そう聞いたら何て声をかけていいか分からない。
けれど、それは決して悲しいだけの涙ではなく、兄のことを思い出せているから、何となくジンと温かい気持ちになったり、思わずフッと笑ってしまうこともあるし、嫌なことを思い出してムカついたりもする。
「奴を思い出す時には涙が出るように」と何か脳に機能としてインプットされているのかなと思うほど自動的なものなのだ。

それは、祖母と違って、兄は天寿を全うしたとは決して言えないからだろう。若くして亡くなるというのは、それくらい本当に強烈なことなのだ。残された私たちにとっても、そして何より本人にとっても。
 
悲しくてどうしようもなかった10年前、何をしていても後悔や絶望しか感じられなかった。まさに「どん底」だったが、でもある時、自分のつま先がそのどん底にツンと触れた瞬間があった。耳から発火しているのではないかと感じられるほどの思いをしていたが、あぁあとはもう上がるだけだと分かった時でもある。毎日出る涙は、あの時の強烈な気持ちの名残でもあるかもしれない。