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抽象に到達する?

「抽象に到達する」という。

モンドリアンは抽象に到達した、というように。

抽象は到達するものなのだろうか?

あるいは、目標に定めるものなのだろうか?

まず、作者の資質がある。

どの程度、抽象化するか?

結局は、程度の問題である。

具象には技術がともなうことが多い。

それに対して、抽象はたやすいように見える。

それはほんとうだろうか?

抽象に至るにしても、その過程を見ていかないといけない。

だが、それは、たいてい、見えない。

見えないものこそ見ようとしないといけない。

あるいは、見ない方がいいか?

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