他人の気持ちを代弁する優しさ。

ファンというわけでも無かったし、正直、個人的に知らない人(当然だが)なのだが、え!?と思わず声を上げた。土曜日の昼下がりのニュース速報は、今年一番驚いたニュースだ。若いしカッコいいし、仕事もちゃんとある人なので、殊更、衝撃だった。

甥っ子に「こんな人が自殺するんだし、ワタシなんてもっと自殺してもいいと思う」と言ったら、無視された。そりゃ無視するよな。コイツ何言ってんだ。って感じだったんだろう。

別に誰から必要とされるわけでもなく、今現在、将来に不安しかない無職でどうしようもない、そんなワタシが生きていて、物凄く素敵で人に夢を与える仕事をし、ある意味、存在そのものが社会貢献みたいな若者が死んでしまうというのは、やるせないよなぁ。という気持ちだ。

自身の気持ちはそんな感じなのだが、勝手に他人の気持ちを察して、まるでそれがその人の意思の様に語る人を見かけた。今回の件に関してはタイミングもあり、ものすっごくいっぱい見かけた。そういう呟きを。あれは一体なんなんだろう。事情に詳しい関係者ならまだしも、全くの他人がどういう事情があるかも分からないのに、その人はきっとこうだ。という、仮定に基づいて話しをしている。そんなの本人じゃなきゃわからないでしょう?あなた本人じゃないし、知り合いでも友達でもないでしょう?っていうヤツだ。

アレって、故人やその友人や家族の気持ちを蹂躙していることにならないのだろうか?ぱっとみ、故人や関係者に寄り添う様な発言で優しくも見えるのだが、優しさや気遣いとは程遠い気がする。ワタシが大事な人を亡くした立場だったら、全然知らない他人に、お悔やみ申し上げます。以外の言葉を掛けられるのは、ただただ疎惜しいだけだ。

前の職場にNさんという人がいた。

Nさんは新卒で大人しいMさんを気遣ったように、本人を前にして「Mちゃんはこう思ってる」だとか「Mちゃんはこういう人だから、こうした方がいい」だとか「Mちゃんが可哀想だ」と泣いたりして、いつもMさんの気持ちを代弁していた。

Mさんがそれについてどう思ってるのかは、ワタシには分からないので、へぇという感じで眺めていたのだが、ある日、Mさんを食事に誘って分かったのは、Nさんの代弁がいつも的外れで、Mさんが凄くストレスを溜めているということだった。いつもMさんの気持ちを代弁していたNさんだが、MさんはNさんに個人的な事や、仕事上の悩みなども話していないらしかった。

Mさんは

「私のことを何も知らないのに、わかったように言われるの凄く嫌なんです」

と、言っていた。

要するに、NさんはMさんがこう思っているはず。という自分の理想を述べていただけだった。Nさんはいつも、Mちゃんの味方だよ、いつも寄り添っているよ、と優しい事を言いながら、Mさんの気持ちなど一つも理解しておらず、逆にMさんを傷つけて疲れさせていたのだ。

先輩であるNさんに、Mさんが注意する事なんてできるわけもないので、Mさんは我慢するしかなかった。

相手を気遣うというのは、わかりもしない他人の気持ちを代弁する事じゃないし、それは優しさでもない。こうであって欲しいという理想で、押し付けだ。自分が仮にその立場だったらどうだろう?知らない人に、こう思ってるだろうと、勝手に気持ちを代弁されたら、不快な気分にならないだろうか?少なくともワタシは不快だ。

バッシングに対しては厳しい事を言うのに、優しさを勘違いしている発言にはみんな寛大なんだな。と、そんな事を考えた週末だった。









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