ラジオレポート/#3_マインドフルネスと幸福について-後編

マインドフルネスと幸福のつながりを考える第三回の後編。
マインドフルネスの理解をさらに深めた前編を終え、ようやく本題に迫っていきます。

前提:「リンゴ」をイメージするのと同じように、人が思い浮かべる「幸せ」もみんな違う。

「幸せ」について深堀する前に、「幸せ」のイメージを考えたいです。みんな「幸せ」をどうイメージしているんだろう。

あるいは「リンゴ」と言う言葉を聞いた時にどんなことを思い浮かべますか。
僕は、赤くて丸いリンゴが一個思い浮かびました。けどこれをいろんな人に聞いていくと、ウサギの形のリンゴだったり、魔女が持っているリンゴだったり、木になっているリンゴだったり、様々。
「リンゴ」という形が見えるものでさえイメージはそれぞれ。なので「幸せ」という抽象的で定義が難しいものは、解釈が人によって違うっていう前提を認識した上で、柔軟に考えてみてもらえると嬉しいです。
みんな違ってみんないい、っていう大前提。それを元に、マインドフルネスと幸福を深堀します。

幸せには、2種類の捉え方があるのかもしれない。

どんな時に幸せ感じる?っていう問いがあった時、「ずっとずっと欲しかったものをようやく買えた」とか「行列ができるお店のハンバーグを食べられた」とかそういう、何かをした結果に得られる幸せを浮かべることが多いです。
やっと買えたー!みたいな幸福感を得た時、瞬間的な興奮みたいなものが大きく占めて、その感情の昂りはかなり大きい。テンション上がります。

けど、それから数日、数ヶ月、数年経った時、それを手にとっても同じような気持ちを持ち続けられていることってそうそうない。昂った気持ちを維持できないのは、なんだか悲しいことのようにも思えるけど、刹那的に幸せを感じていたことはたしかで、これも幸せの形の一つ。(ただ、この幸せを追い求めすぎると依存症になってしまう)

一方「一つのことに意識を向ける」というマインドフルネスにおいて「幸せ」とは、そういう瞬間的な昂りがあるわけではないけど、じんわりほんのりあったまっていく、そんなものなんじゃないかなって

・そよ風が気持ちいい
・鳥のさえずりが可愛い
・早起きして見られた朝焼けが綺麗だった

そんな、こちらが追い求めなくても、世界に「ただ在るもの」に気づく(心理学におけるbeing)。それだけで、何か自分が満たされた感覚になれる。そういった、じんわりと心が温まるような幸せがあることを、マインドフルネスの状態にあることで、気付きやすくなる。その積み重ねが、自分を自分で幸せにできる、ということにつながってくるんじゃないかな。

幸せっていうものの捉え方に2種類あるのかもしれない。
・行動したこと(:doing)によって得られる幸福感。消費・勝利とかっていう刹那的なもの。
・もう一つはbeing。何かをしたわけではなんだけど、自然の尊さに気づk満たされた感覚を得るという、サスティナブルなもの。

じんわり温まるような幸せは、誰にも等しく存在する。

高級な車を買うことや、良いお肉を食べることは、お金を持っていたり、人間関係に恵まれていたり、運が良かったりしないとできないこと。だから、誰にも平等に与えられた機会じゃない。その幸せを感じられるのは、やっぱり限られた人なのかもしれない。
そういったdoingによって得られる幸せを、追い求めればキリがない。

けどサスティナブルな幸福感は、自分で気づいていくことができる。一つのことに意識を向けて、注意集中力を持って気づいていくもの。
世界の中に、「ただ在るもの」の綺麗さ・尊さに気付き、満ち足た感覚を得るというのは、何か特別なことしなければ得られないものではなく、そこに気持ちを向けて、自ら気づくっていう誰にも与えられている平等な機会

自分自身への気づき、もそうだし自然のあるものに目を向けることで、自分の中で気づくものがあり、そこから命を感じたり満たされたものを得ることができる。それこそが持続可能な幸福の形。

どちらがいいとか悪いとかじゃなくて、バランスよく感じられることが、素敵な人生につながっていきそうだなぁ。

接続章:人間は、悪いものが記憶に残りやすい。良いものは、共有することで記憶に残りやすい。

人は、本来生まれながらに危機察知能力が備わっている。だから、自分を脅かす怖かった思い出、悪い出来事は記憶に残りやすいし、定着しやすい。そういうわけで、本能的に悪いものに目を向けがち。

ただ、今回話してきた「あるがままの状態で、気づく・満ち足りた感覚」っていうのは、悪いものというよりは「良いもの」に目を向けるってことで得られる感覚なんじゃないかと思います。

刹那的に興奮する、ではない、少しずつ積み重ねていくような小さな幸せっていうものは、自分一人で感じるのも大切だけど、それを周りの人にもに共有していくことで、もっと色鮮やかになっていくし、良きものとして定着していきます。すると、そういったものにもっと目を向けられるようになってくる。

こういった背景からも、感情を共有する「場」や「コミュニティ」っていうものの価値が高くなってくると思うんです。

というわけで、ずっとマインドフルネス・心理学的な話をしてきましたが、#4から徐々に、ローカル・顔の見える関係性で作る生活圏のことをお話していきます!