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天ぷらとアル・ヤンコビックと

先日、名古屋にある有名な高級天ぷら店に行った。
私を含め、一人客が何人かおり、彼らは背筋を伸ばし、緊張の面持ちだった。

最初に飲み物を聞かれ、彼らはグラスのビールを頼む。
私は都合により酒が飲めなかったので、冷茶を頼んだ。
その瞬間、彼らの視線と動揺を感じ取った・・ような気がする。

彼らはビールをさっさと飲んで、冷茶を頼み、以降ずっと冷茶を頼み続けた。
「(冷たいビールとアツアツの天ぷらを一緒に食べたら美味しいよ・・・)」と私は心で思った。

そこでふと思い出すことがある。

天ぷらは私にとって長い間ブラックボックスだった。
家庭で出ることはほとんどなく、揚げ物といえばとんかつだった。
また、大人になってからも、鈍感な私には視覚的に分かりやすく(色が多い)、味付けにふり幅を付けやすい鮨や和食の方が短絡的に理解がしやすかった。
結果、いつでも食事の選択肢の後ろの方にあるもの、それが天ぷらだった。

ある日、会社の先輩と食事に行くことになった。
この先輩は金持ちのボンボンのくせに吝嗇で、常に支払いは私持ちか会社の経費だった。
たちが悪いのは、ボンボンだけあって舌が肥えていて、指定するのは高級店ばかりだったことだ。
しかし、どんなにネットの評価が高かろうが、人の金だろうが、美味くないと思ったら、ズバズバ意見を言う。
そしてそれは的確だった。
だから、一緒に行くと様々なことを学べた。
私の狂った舌を金でメンテナンスすると思えば仕方ないかとも思えた。
ついでに言えば、頭の回転が非常に速く、風貌はマイケル・ジャクソンのパロディMV時のアル・ヤンコビックそっくりだった。
(私の周りの人間はルックスにある種の制限がかかっているとしか思えない)

ある日、先輩が「今日は天ぷらにするか」と言った。
私はビビった。
経験の無い世界、費用もマナーも、何もかも分からない。
いや、別にどこか言葉の通じないゲットーシティーに行くわけではないし、命の危険があるわけではない。
しかし、生きてきた年数とそれに伴う経験が、中途半端な未知に対して諦観を生み出してくれない。
そんな私にお構いなしに、先輩は「いやぁ、我ながらナイスチョイスだな。天ぷらを出してくる俺ってイケてる」的なことを言いながらタクシーに乗り込む。

訪れたのは築地にある天ぷら屋だった。
先客は同伴のおっさん&キャバ嬢が一組。
BGMも無く静かな雰囲気で、先客も声を落として会話をしながら天ぷらを食している。

最初に刺身が来る。確か鰹だったと思う。
なぜ、天ぷらなのに刺身?と思ったことを覚えている。
その後も、何品か出た後に天ぷらが供される。
これは塩で、これは天つゆにたっぷりの大根おろしを入れて。
先輩はフリースタイルで(後から思えば、しっかりと食材に合う食べ方をチョイスして)次々と食べていく。

私は延々と緊張していた、隣の先輩をチラチラ見ながら、同じように食べてみるが、味を楽しむ余裕がない。

「野菜が甘くなっているなぁ!」
「(そうか、これは甘いのか・・・)」
「うーん、鼻に抜ける香りがいい!」
「(鼻に抜ける香りが・・・なるほど・・・)」
終盤、先輩が「マルジュウあります?」と店主に聞いた。
店主はちょっと顔を曇らせ、「今は無いですね」と言った。
マルジュウとはサツマイモのことで、丸に十字の鹿児島・島津藩の家紋からきた呼び名だそうだ。

こうして、生まれたてのAIよろしく、データの取り込みだけを黙々と行い、2人で5万円ほどの支払いを任される。
しかし、これが高いのか安いのかについて、先輩は教えてくれない。
だから、データの取り込みはされなかった。
もちろん、AIである私に感情は生まれるべくもなかった。

そして先日、名古屋で冷茶を飲みながら天ぷらを食べていた隣客は、恐らくこの時の私と同じだったのではないか。
どう立ち向かったら良いのか今一つ分からない天ぷら。

でも蓋を開けてみればトンマナなんてそんなに無い。
冷めないうちに揚げたてを食べる。
口の中に入れ、湯気と一緒に立ち上る香味が鼻に抜けていく、その風味を楽しむ。
ザクザク豪快に噛みしめ、その食感を楽しむ。
冷たいビールを流し込み、人心地着く。
それでいいと思う。

隣の誰かが美味そうな顔をして天ぷらとビールを食べる。
彼らはそれを見てある日ハッとする。
誰かを模して、自分のものにする。
それは著名アーティストのパロディによって自分を確立し、ハリウッド殿堂入りしたアル・ヤンコビックと言えなくもない。
・・・ちょっと無理があるか。

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