好奇心について
私は人に比べて、かなり好奇心が旺盛だと思う。
もちろん何でもかんでもという訳ではなく、いわゆる生物、理科に関わる分野が主で、少し国語と社会にも興味が湧く分野がある、という感じではあるが。
生物、理科も、自分の身の回りに通じる分野だと感じられる分野に特に好奇心が湧く。
学問は本来全て繋がっており、一つの世界の理解の仕方をする上でたまたま、現象を細分化することが有意だったから現在様々な学問分野があるというわけで、どんな分野でもどの分野にも関連はするのだが、直接的に、身の回りの自然を理解できると思える分野にしかあまり興味がない。
だから、例えば水族館に行っても日本の海の生き物はじっくり見てしまうが、海外の生き物の水槽は、前者に比べあまり関心が持てない。
前者の水槽は前者の水槽の生き物を知るために見るのに対し、後者の水槽は、前者の水槽や水生生物全般への理解を深めるために見る、という感じだ。
そして自分の周りの自然現象を直接的に理解できそうな学問分野に対する理解を深めるための好奇心も、最近急に薄れてきた。
どんな動物でも、子供の頃は周りの世界を理解するために動き回る。
子供が時として危険な行動をすることも、親を質問攻めにしたり、見慣れないものに対しどんどん近づこうとするのは、どの動物にも共通する行動だと思う。
子供は世界を理解するために、好奇心旺盛に動く。逆に言えば、好奇心旺盛に動けるということは、世界を十分に理解しきれていない、と感じているからか。
人間はネオテニーが起きている。
人間は生きる術が明確ではなく、改変の余地がとても広いため、広く長く、学ぶことが有意義である。
だから人間は大人になってからも沢山学び続けるし、私は、生きるために必要な、周りの世界への理解が不十分だと感じていたから、人よりも好奇心が旺盛だったのだろう。
そして一区切りがついたということだ。
私は周りの世界について、必要だと思える分は十分、理解できたようだし、理解のための手段としての旅は絶対に必要だった。
これまでは動物に普遍な「生きる上で必要な、周りの環境に対する基礎的な理解」のための好奇心だったが、今後は、「人間のネオテニーによる学びの継続、人間的な創意工夫をするための好奇心」として、学びを継続していくのだと思う。