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玉子サンド

 牛乳たっぷりのカフェオレが入ったマグカップは、白と黒でちぐはぐだった。百円ショップの安物だからということもあるだろうけれど、購入時期が一年ズレていることが一番の要因だ。
 オバケのような紫陽花が目立つボロアパートに、先に入居したのは、理科大学に通う桂月也かつらつきやだった。後輩の日下陽介くさかようすけは、一年遅れで大学生となり、教育学部に通っている。ルームシェアのきっかけは色々あったけれど、節約と、一人にしておくと死にそうなレベルで家事能力がない月也を、陽介が放っておけなかったことが大きい。
「あ、そうか。大学入試の季節でしたね」
 テレビに映る試験会場を横目に、陽介はこたつにマグカップを置く。こたつ布団に埋もれるようにして、居間のサイズに合わない大きすぎる臙脂色のソファに寄り掛かっていた月也は、あくびをこぼしながら背筋を伸ばした。
 まるで猫だ。陽介は少しだけ笑って、斜めの位置に座る。こたつに入ると、月也の膝にぶつかった。狭い部屋だから仕方がない。
「二次試験の時は先輩のおかげで気が楽でした」
 宿を手配しなくても、このアパートがあった。電車もバスも一時間に一本あるかないかの田舎育ちで、関東の路線など迷宮にしか見えなかった陽介だったけれど、都会暮らしも一年先輩の月也に、志望大学まで連れて行ってもらうこともできた。
 正門前での別れ際の言葉も、肩の力を抜くにはよかった。
 ――そうだ。明日の朝飯、玉子サンドにしてよ。
 試験に臨む相手を送り出す言葉としては、あまりにも軽いものだった。思い出した陽介はあの時のように笑って、こたつの上の皿に手を伸ばす。月也も同じように、白と黄色の組み合わせが鮮やかな朝食をつかんだ。
「俺は、久々に日下の玉子サンド食えたから得した気分だったな。今じゃこの通り、すっかり定番だけど」
 今朝のメニューが玉子サンドだったのは、偶然だった。それでも、陽介は少しの苦笑を隠すように黒いマグカップを口元に運んだ。
「飽きました?」
「まだ」
 短く呟いて、月也は玉子サンドの角をかじる。サンドイッチ用は高くつくから、値引きされた八枚切りの食パンを使っている。耳もそのままだ。玉子サラダをたっぷりと挟むには、しっかりとした耳もあった方がいいと陽介は考えていた。
 陽介はマグカップを置くと、自分の皿の上の、白と黄色の断面を見つめた。
「これといって特徴があるとも思えないんですけど?」
 何をそんなに、月也は気に入っているのだろうか。首をかしげながら、陽介は玉子サンドを持ち上げる。値引きされた食パンには、喫茶店のようなフワフワ感もない。玉子サラダも、隠し味で工夫してはいるものの、どこの家にもあるようなものしか使っていなかった。特別に好まれる要素があるとは思えなかった。
 月也は、口の端に玉子の黄色を付けながら、微かに笑った。
「素朴でホッとするからさ。なんかいいなって」
「ああ……」
 陽介はゆっくり瞬くと、素朴とされた玉子サンドを口に運ぶ。自分では分からないけれど、もし、本当に月也の気休めになっているのだとしたら。
(「家庭の味」って言えるかな、僕でも)
 堂々と、そう口にできるようになった時には――
 親を殺し、自らも死ぬことを望んでいる桂月也も、少しは変わっているかもしれない。


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