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「アルコールランプが消えるまで~理系くんと文系くんの青春ミステリー~」3-4

「まあ、よくある話といえばSNSいじめかもしれないね。本人がいないのをいいことにトークで悪口言い合ったりとか。逆に罵詈雑言を送りつけまくったりとか」
「それならガラケーにした理由にはなるかもしれねぇけど」
「一応補足しておくと、ガラケーだからってトークアプリに参加できないわけじゃない。対応機種はあるんだ。けれど、リョウコ先輩のガラケーが対応機種だったとすると考察の収集がつかなくなりそうだから、オッカムの剃刀を導入した方がいいかもね」
「オッカムの剃刀?」
「十四世紀の哲学者オッカムの考え方なんだ。ある事柄の説明のために、必要以上に多くの仮定を用いるな、ってところかな。リョウコ先輩のガラケーがトークアプリ対応だと仮定したら、スマホではないことに意味がなくなりそうだろう? そういう余計な仮定は切り捨ててしまおうってわけ」
「データデータっていう割には大胆なんだな」
「人が科学的思考に使える時間は有限だからね。効率化はするよ。それゆえに、ますます結論が確率的になるんだろうけどね。すべての仮定を考慮したわけではないことを、無視することはできないから」
「科学ってのは面倒だねぇ」
「そうだね。実のところ割り切った答えを出さないのは、理科や数学の方なのかもしれない。整数だけでは納得できずに分数や小数を考え出して、挙句は虚数なんてファンタジーまで生み出したんだから」
「量子の世界なんてまさに割り切れないものね。粒子であると同時に波動であったり。居場所が分かれば動きが分からなかったりね」
「不確定性原理!」
 息ぴったりに、充一と万理子は互いに人差し指を向け合う。仲間外れとなった光太は軽く笑うと、
「リョウコ先輩の話に戻しましょう」
 脱線する二人を引き戻した。
「おそらく、SNSいじめじゃありません。それじゃあ『あたしはここにはいない』という言葉の意味が分からない。教室でリアルにシカトされてたんなら文字通りって感じだけど。それだと今度はスマホだのガラケーだのが関係なくなる」
「つまり『ここ』がどこを意味するのかが問題というわけだね」
「フツーにこそあど言葉の距離感で考えれば教室、学校あたりだろうけど。むしろ気になるのはリョウコ先輩の言い回しだな。『ここに』って強調になってる。これはさ、別のどこかを暗示してるからだろ」
「へぇ」
 充一は曖昧に微笑んだ。
「日本語のプロフェッショナルを返上したい気分だよ。よくまあ、そんな細かい言葉遣いにまで気が回るね」
「いや。親父の揚げ足取りの癖が遺伝してんだろ」
「性格に関する要因が遺伝子に記憶されるかについては議論を挟みたいところだけど……ここにいないなら、リョウコ先輩はどこにいたっていうんだ?」
「ここ」
 光太はスマホの中、トークアプリを指差した。
「今って、この中のグループだけで完結してたりするんだろ?」
「まあ、僕は断言できないけれど。そういう傾向はあるかもしれないね」
「オレなんかはみんなにガラケーって知られてるし、グループにも最初からいねぇから、連絡事項とかは直接か、メールで来るけどさ。リョウコ先輩みたいに途中からいなくなったとしたら、些細な勘違いで連絡が行かなかったり、無視したようにならねぇかな」
「その可能性は否定できないね」
「厄介なのはさ、どこにも悪意がないってことなんだ。リョウコ先輩は誰も憎むことができなかった。もしかしたら、スマホを使わなくなった自分を呪ったかもしれない。なんにせよ、彼女は気付いたんだ。あたしはここにはいないみたい――」
「教室の、物理的に触れ合える世界だけでは成り立たないことが、悲しくなってしまったのね。そういうことだったのねぇ」
 万理子はため息をつくと、シトラスのボトルを手にした。ミントの中に柑橘の香りが混ざる。涼やかなだけではない、甘くさっぱりとしたフレーバーは、少しだけ元気をくれるようだった。
「あの子の繊細さに気付いてあげられなかったわたしは、教員失格ね」
 力ない言葉に、アルコールランプの炎が揺れる。青とオレンジのグラデーションを前にして、光太と充一は頷き合った。そして、同時に声を張り上げる。
「万理子先生は素敵な先生ですよ!」


【参考サイト】
『ウェザーニュース』芭蕉の「蝉の声」はニイニイゼミ?
https://weathernews.jp/s/topics/201807/120335/
『ウィキペディア フリー百科事典』閑さや岩にしみ入る蝉の声
閑さや岩にしみ入る蝉の声 - Wikipedia
『ねいちゃーはっく。』セミの種類まとめ12選 
https://nature-hack.com/chirp-cicada-417/