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カレー

 日曜日の夜のこと。陽介ようすけは、半分残っていた甘口カレーの箱を取り出した。
 家庭的な手軽さをモットーにしている陽介は、カレーを作る時にもさほどこだわりはない。コクを出すための隠し味は、インスタントコーヒーやチョコレートがあれば、気まぐれに使う程度だ。
 カレールーもお決まりのメーカーがあるわけではなく、店頭で最も安い商品を基本的に選んでいる。これは、大学生としての懐事情が大きい。食費はどうしても削りがちだ。陽介の専攻が家庭科教育でなかったら、食生活は今よりずっと悲惨なものになっていただろう。
(明日の夜はカレーうどんにしようかなぁ)
 みじん切りにした玉ねぎを炒めながら、陽介はぼんやりと考える。カレーに対してこだわりはないけれど、玉ねぎはちゃんと飴色にしたいとは思う。それでも手間とガス代を節約するために、一度電子レンジで加熱してあった。
(カレーコロッケもいいかもなぁ)
 うどんもコロッケも、鍋を洗う前の一工夫としての意味合いがある。スープとして溶かしてしまうか、具としてひとまとめにしてしまうか。鍋の中、玉ねぎの色合いを気にしながら、陽介は軽く眉を寄せた。
月也つきや先輩。うどんとコロッケどっちがいいですか?」
 冷蔵庫に寄り掛かり退屈そうにしていた同居人は、陽介の問いに奇妙そうに首を捻る。木べらを動かしていた手を止めて、陽介はべっこう色の眼鏡を押し上げた。
「インスタントラーメンって手もありますよ」
「……今日の晩飯って、カレーライスだよな」
 ますます困惑した様子で、月也は炊飯器に目を向ける。かためになるように、あえて水を加減した米を、今まさに炊飯器は炊いている。陽介は大きく頷くと、玉ねぎと同じく電子レンジにかけておいた、ニンジンとジャガイモを鍋に入れた。
「明日の夜です。朝は、チーズをのせて焼きカレーにしようって思ってるんですけど。それでもまだ、カレーは利用できますからね」
「あー……明日の腹具合は、明日になんなきゃ分かんないからなぁ。何時くらいまでに決めたらいい?」
「そうですね、うどんとラーメンはすぐに作れますけど、コロッケだと少し手間があるので。五時くらいまでには決めてもらえると助かります」
 鍋に鶏むね肉と水を加え、陽介は蓋をする。火加減を調整すると、簡単な洗い物に取り掛かった。炊飯器を見つめていた月也は、ゆっくりと瞬き、冷蔵庫に寄り掛かり直した。
「うどんにしとくかなぁ」
「明日じゃないんですか」
「ラーメンでもいいけどな。コロッケは論外。平日なんだから、学生らしく学業優先しとけ。お前、終わってねぇレポートもあるだろ」
 う、と陽介はまな板をすすぐ手を止める。ケラケラと笑う月也を背中に感じながら、再び泡を落とし始めた。
「いくら僕でも、さすがに夕方までには終わりますから。先輩が食べたいって思ったもので大丈夫ですからね」
「それなら陽介こそ、自分の食いたいもんにしたらいいんじゃねぇの」
 月也は冷蔵庫を離れると、調理台のカレールーを手にする。甘口の文字を強調するように陽介に向けた。
「お前、辛口の方が好きだろ」
「まあ、作ってもらうならそうですね」
 包丁を水切り籠に置くと、陽介は手の水気をタオルで拭った。月也の手からカレーの箱を取り、「甘」の文字を親指の腹で撫でた。
「実家で作る時も辛口でしたから、甘口って、先輩に作るために選んだ味なんです。作り手として、僕として、美味しく食べてもらえることが一番で。そのために考えたり、工夫したりすることは楽しいですから」
「でもさぁ……」
 食べたいもの、から微妙に話題がズレていることを不満そうに、月也は口をへの字に曲げる。陽介は、鶏むね肉の煮え具合を確かめて、短く笑った。
「分かってないですねぇ、先輩は」
 火を止め、甘口のカレールーを割り入れる。
「僕が食べたいのは、喜んでくれる人との食事、ですから。先輩は僕の料理、喜んでくれてますか?」
「……まあ」
「それなら僕は、いつでも食べたいものを食べれてます」
 炊飯器がご飯の炊きあがりを告げる。楕円形の皿にカレーと一緒に盛りつけると、さっさと月也は運んでいった。
 陽介は微笑んで、白と黒のマグカップに牛乳を注いだ。


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