見出し画像

88rising「HITCジャカルタ」で感じたアジアの音楽シーンの緊密化

 年末年始をはさんで、だいぶ遅くなってしまいました。2022年12月3日4日に行われたHead In The Clouds Jakartaに行ってきました。このフェスは音楽シーンにとっても、音楽市場にとっても大きな節目になるでしょう。個人的にも、15年くらい前から「ビジネス面でもカルチャーとしても、これからはアジアの時代。中国市場は大きいけれど、カントリーリスクも大きいので、仮にwithout China(=Asean+台湾+α)で考えても、アジアは非常に魅力的だ。」と主張してきた僕にとっては、自分の確信を具体として目にする機会で、感動的でした。


Heads in the Clouds by 88risingとは?

 昨年4月には世界で最も影響力のある音楽フェスであるコーチェラのメインステージで、ショーケース・ライブ「HEAD IN THE CLOUDS FOREVER」が行われました。88rising代表のシェーン・ミヤシロ氏に、脇田敬さんがインタビューした記事がmusicman-netにありますので、読んでみてください。
 コーチェラーのステージをプロデュースしたことで、88risingとHITCの世界の音楽シーンにおける存在感が、また一つステップアップしたと思います。

 YouTubeでも動画で話していますので、こちらもどうぞ。

新たな「レーベル像」を示す88rising

 88risingがやってきたことをチェックし、脇田レポートも読んで感じるのは、新しいタイプのレーベルの姿を88risingが示していることです。最初に出てきた時は新手のプロデュースチームかなと思っていたのですが、その後の経緯を見て、これまでになかった「新しい職種」というのが僕の感覚です。
 ざっくりいうと「キュレーション力とブランド力の高さを武器にアーティストに付加価値を付ける」というのが88risingがやっていることだと思います。従来型のプロデュース力や、狭い意味でのクリエイティブ力ではなく、必要ならクリエイティブもやれるよ的なスタンスで、20世紀型のレーベルとは随分、様相が違います。
 「Rough Trade好きなんだよねー」みたいな音楽ファンから見ると、「88ってレーベルなの?」って感じではないでしょうか?正直僕にもそういう感覚もあります。インディーロックなどのレーベルは、思想性がベースにあって、音楽性も明確な軸があって、そこにファンやアーティストが集ってくるというようなものでした。商業的に成功すると、大手メジャーに買収されるというようなパターンが多かった気がしますし、カッコいいけど経済的になりたたなくなって倒産するという事例も数しれずありますね。

 デジタルサービスが、音楽ビジネスの主戦場になったことを背景にレーベルの役割も変わりました。アーティストは個人でやれないことは特に無いので、その上で自分たちに付加価値をつけてくれる会社を求めます。88risingは、自らのYouTubeチャンネルで紹介したり、コラボレーションやremix相手をマッチングしたりする「キュレーション」でアーティストの価値を上げていくのが得意技です。そこには映像チームなども含まれます。
 従来型のレーベルとの共通点をあえて探すとすると、ブレイク可能性ある才能を見つける審美眼でしょうか。そこも探す場所が、YouTube等のネット上には変わっていますけれど。

ブランディングの巧みさを随所で感じました

フェスティバルライフ津田昌太朗君との示唆に富む会話

 Head In The Cloudsに出演したアーティストは、88risingと関わりがる、あるいは、推薦されたアーティストたちです。仕事柄、国内はもちろん、海外フェスに参加した経験も何度かありますが、仕事関連で行くことが多いこともあって、全ステージを観ることはありませんでした。今回は、自分の中では職業的意識はあっても、自腹で行っているので(入場券はASOBI SYSTEMのゲストチケットで入れていただきました、中川さんありがとう!)ご挨拶みたいな儀礼的な用事はなく、二日間で24組の全アーティストのステージを観ました。こんなの人生初かもしれまん(笑)。88↑とDouble HAPPINESSという2つのステージが運河を挟んであり、交互にステージが行われます。数分で移動も可能でした。音楽のトレンドを文字通り全身で浴びるという貴重な体験になりました
 ステージに関する紹介レポは、フェスティバルライフに素晴らしくわかりやすいレポートがあるので、そちらをご覧ください。今回僕を誘ってくれたのは、フェスティバルライフの津田昌太朗くんでした。彼との出逢いは、僕が主宰のニューミドルマン養成講座を受講してくれたことです。音楽好きの彼は、博報堂を退社して、ロンドンに1年間留学、帰国して「Spotify Japanで働きたいと思ってたのですが、まだ日本でローンチしないんですね、どうすればいいですかね?」と言って講座を受けてきました。フェスティバルジャンキーというサイト名で既にウエブメディアを始めていた彼は、海外フェスとフェスカルチャーを紹介する稀有な存在として活躍を始めます。日本の大型フェスにも公式メディア・スポークスマン的な関わり方をしていますね。彼の著書『THE WORLD FESTIVAL GUIDE』は素晴らしい本なので、是非、読んでみてください。
 音楽シーンとフェスカルチャーに知見と見識のある彼と二人で同じホテルに部屋を取り、一緒に移動しながら、様々な議論をしながら観戦できたのは、僕の思索を深めるために有益でした。誘ってくれてありがとう!

HITC前夜にホテルでインドネシアビールで乾杯!

多様なルーツと多彩な才能を持つ「アジア系アーティスト」たち

 今回出演したアーティストの多様さは、アジアの音楽シーンが持つ潜在力の大きさを示していました。
 インドネシア人のアーティストや、88が得意とするK-Pop関連アーティストだけではなく、複数アイデンティティを持つアーティストが多かったのも特徴です。Stephanie Poetriの母親はインドネシアのシンガーで父親はアメリカ人だそうです。ベトナムと中国をルーツに持つアメリカ人ラッパーのSpence Lee。ガールズグループ(G)I-DLEは、韓国、タイ、中国、台湾のメンバーで構成されたいる、など、この国籍を超えているのが当たり前という感覚になりました。
 数多くはないですが、バンドの出演もありました。バリ島のロックバンドはMANJAはちょっとおしゃれなロックバンドでしたし、黒いヒジャブを着た女の子が爆音でメタルをやるインドネシアのVoice Of Baceprotは、圧巻でした。タイ人のフィメール・ラッパーMILLI、中国男性アイドルグループR1SEのメンバーZhang Yanqi(チャン・イェンチー)など、話し始めると切りが無いので、詳しく知りたい人は、フェスティバルライフのレポートを読んて見ください。

Voice Of Baceprotはインパクトありました!

 個人的には人を食った感じのJojiのステージが、ハレの舞台としてのフェスを感じさせない自然体過ぎて印象に残りました。
 フィナーレは、アーティスト同士のリスペクトとの親近感を持っているのが感じられ、それが客席とも共有されていたと思います。まちがいなく、「アジア音楽史」の新たな1ページでした。その場を体感できてよかったなとしみじみ思いました。
 ちょっと大げさかもしれませんが、音楽に関わる仕事をする上で、僕の人生にも影響がある出来事だったと思います。

Spotify Playlistがありました。

YOASOBI、新しい学校のリーダーズ、日本勢の活躍

 津田君との会話は、様々な意味で示唆に富むものでしたが、一番印象に残っているのは、二組の日本人アーティストが喝采を受けている状況に対して「日本も首の皮一枚繋がりましたね。もし1組もいなかったら、本当にやばかったですよね」との発言でした。今回のHITC JAKARTAを世界の音楽シーンにおけるエポックな出来事と捉えている認識は共通でした。
 88risingの価値も過不足なくクールに認めた上で、ここに日本人がいることの意義を実感した言葉です。今やグローバルトレンドを明確に示しているのは、大型フェスでの状況です。グラミー賞だけみていても、世界の音楽シーンは語れません。世界の音楽フェス状況に最も詳しい彼の言葉ですから、説得力がありました。

 YOASOBIのステージは感動的でした。一曲目「夜に駆ける」のイントロが聞こえると大きな歓声があがりました。日本語歌詞を聴衆たちが一緒に熱唱していました。YouTubeやSpotifyを通じてインドネシア人の心に楽曲が届いていることを実感しました。

英語表記はATARASHII GAKKO!

 新しい学校のリーダーズも素晴らしかったです。日本の制服を着て、「気をつけ、礼、休め」といった日本の慣習をモチーフにしながら、確実に客席の心を掴んでいました。
 ユースカルチャーの中心である、ヒップホップカルチャーとは少し距離がありますが、二組の日本人アーティストが、88risingのトレンドアンテナで認められ、音楽ジャンルの捉え方が欧米よりもごった煮的なアジアの音楽シーンでは、違和感なく受け入れられています。彼女たちが拓いてくれた道に希望は有るし、これから海外で活動したいアーティストへのヒントがたくさんありました。

 そして、彼女たちがここに居るのは素晴らしいことですが、日本の音楽界としては、88risingとは別のベクトルで、日本の音楽をキュレーションできる方法や「場」をもっていなくてはいけないなとも思いました。津田くんとも連携しながら、考えていきたいです。

アジア音楽シーンの緊密化、音楽市場の一体化は進む

 僕自身の体験を少し書きます。2003年に音楽プロデューサー兼事務所社長としてワールドミュージックエッセンスのJ-Popというコンセプトで、東京エスムジカを企画プロデュースした時から、アジアの音楽シーンに触れる機会は積極的に作ってきました。韓国や台湾でもCDリリース、イベント出演などを行い、インドネシア、モンゴルなどで現地の音楽家とのレコーディングも行いました。
 2006年にはタイ・バンコクでオーディションを行い、当時16歳の美少女シンガーを選んで、Sweet Vacationというユニットを作りました。日本とタイでの同時リリースなども行っています。
 AIU RATNAという、Garasiというバンドて活躍したインドネシア人ロックシンガーも日本での活動をプロデュースしました。(彼女とは今でも親しくしています。今回は風邪ひいてて会えませんでしたが)

日本発リリースしたThe_AIUのミニアルバム

 当時の状況だと、様々な理由で「まずは日本で売れないとね」という戦略にならざるを得ませんでしたが(そして残念ながら成功できませんでしたが)アジアのアーティストをプロデュースするためにアジアの各都市を回り、音楽シーンにも触れたことで、肌感を持って、確信したことが有りました。
 それは、共通のセンスが根底にあるので「アジアの音楽シーンは緊密化していくし、音楽市場は一体化していく」という確信です。
 直感的な部分もあるのですが、ロジックで解説すると、ポイントがいくつかあります。

都市生活者の生活感に共通点がある
 ポピュラー音楽文化の消費者的な担い手は経済的中間層になります。アジアが経済成長していく中で、都市に暮らす若者の感覚には共通点が多いなと感じました。タイの女子高生のMayは日本に来ると渋谷のマツキヨや109で化粧品を友人の分まで買い求めます。「タイでは買えないの?」と尋ねると「この色はタイでは買えない」というような答え。「日本人もタイ人も女子高生が好きなリップは一緒かー」と思いました。タイと日本の違いよりも、農村部と都市部の違いの方が文化的には大きいなという気もしました。
 その時に思ったのは、日本の歴史で言えば「渋谷系」みたいな都市型ポップスがアジアで流行る日が遠くないなということです。近年、世界的にヒップホップの影響力が大きくなったので、音楽のジャンル感は若干違ってきていますが、88risingが推しているのは、デジタルサービス/スマホで楽しむことを前提にした都市型ポップスです。

東アジア共通の歌謡センスが存在する 
 少し文化人類学的な話になってしまうのですが、僕ら音楽関係者がしばしば言う「サビはキャッチーで、グッと来る感じが欲しい」みたいなことは、洋楽では通じませんが、アジアでは共通のセンスがあります。韓国人、台湾人や中国人とコーライティングしていても感じることです。インドは別の文化圏なので、おそらくは日本列島からミャンマーくらいまで、モンゴル、中国、ASEANは、日本で言うところの「演歌・歌謡曲」的な素養があります。これは大衆的なヒット曲が生まれるときに無視できないポイントになるでしょう。なぜ、その地域に共通の感性があるのかは、学者の方に見解を伺ってみたいなと思います、稲作文化圏みたいな、アカデミックな根拠がひょっとしたらあるかもしれませんね。

デジタル化とグローバル化で人の移動は頻繁になり近くなる
 リアルな人の移動はコロナ禍で一時的に止まってしまいましたが、物理的な距離は近くなっています。同時に通信環境の向上や技術革新で、デジタルサービス上でのコミュニケーションも濃くなっています。
 これらの理由は相互に影響を及ぼすことも有り、アジアの音楽シーンは近くなり、音楽家同士の交流は深まり、音楽市場もつながって一体化していく流れは進んでいきます。

 そしてもう一つ大切なのは、世界音楽シーン/音楽市場におけるアジアの注目度、重要性も著しく上がっていて、今後も加速していくということです。今は、「アジアで人気」だと世界で注目を得られる状況になっています。日本のチャンスは広がっているのです。

文化的アイデンティティの重要性が上がっている

 これからの音楽の未来はテクノロジーの活用が必須で、テクノロジーをテコに発展していく=MusicTechが肝であることは自明です。テクノロジーが国境を低くするから、いちばん大切なのは、文化的アイデンティティなのだなと、ジャカルタの埋立地会場で改めて実感しました。

文化的アイデンティティという言葉には3つの意味があります。
1)ユーザーにとってのアーティストの魅力の核である
2)音楽家同士も、それを通じて繋がり、絆を深めていく(根っこがないとつながれない)
3)都市や国にとっての価値の源となる(インバウンドの核になる)

 音楽が都市や国に価値を与えるのは、文化的なアイデンティティになり得るからです。日本を好きになり、日本好きであり続ける理由には、自然もあるでしょう、食事もあるでしょう。同様に音楽も好きになるキッカケや、興味を持ち続け、愛着を感じる理由になるはずです。
 それら総合的な文化の豊穣さや奥深さが、これからの国や地域の価値となる時代になりました。これからの日本人にとって最大な価値であり、グローバル市場で戦う武器は、広義の「文化資産」だと思います。

「ポストサブスク」時代は音楽フェスがイノベーションの中心になる

 最後に、音楽フェスの価値について書きたいと思います。 1960年代にアメリカでは野外ロックフェスが歴史を作っていきました。僕はもちろんリアルタイムではありませんが、後世に与えた影響は大きかったなと感じています。
 日本でもFUJI ROCK FESTIVALの隆盛をキッカケに、2000年代に大型フェスが一般的になりました。フェスの存在感は大きくなっています。
 また、SNSで誰もが情報発信できることによって、マスメディアの存在意義は相対的に(そして大幅に)下がりました。消費行動における「体験」の重要性がましたということはあちこちで語られていますが、終日(ときには数日間)を過ごす音楽フェスは、大きな体験行動です。ユーザーが深く強い印象を受け止める場でもあります。会場の熱気やステージでのアーティストのエネルギーがあることで、デジタルサービス上のコンテンツになったと際も影響力が強くなります。
 近年、世界の音楽トレンドを知る方法は、コーチェラ・フェスティバルなどのキャスティングであり、ステージパフォーマンスを観ることになりました。コロナによって実施ができなかったことで、ユーザーの喪失感は大きく、今年からはまた盛り上がっていくでしょう。
 そして、津田昌太朗君も強調していましたが、大型野外フェスについては、アジアの中で日本の優位性が残っている分野です。FUJI ROCKがフィロソフィーをしっかり持ったフェスで、日本中に広まったときにも各地方の主宰者がフェスカルチャーを大切にしたのが良かったのでしょう。日本のフェスに憧れを持つ、アジアの音楽ファンも少なくないと聞きます。このアドバンテージを活かして、日本の音楽界をアジア市場の中で捉えて、活性化させ、日本がアジア音楽シーンに寄与するような活動をやっていきたいねいうのが、ジャカルタにいる間に津田君と熱く語りあったことです。

アジアでの活躍がこれからの日本音楽家の生命線

 日本の音楽業界が内向きに閉じ続けている間に、日本のノウハウと市場から得た資金を起点に韓国が世界を席巻しました。悔しがるべきことですが、同時に日本にとっては大きなメリットもあります。欧米のほとんどの人は日本人と韓国人の区別は付きませんから、K-Popの好ブランドを日本人音楽家も活用することができます。
 韓国はお得意の「選択と集中」で突破しましたが、日本が優れているのは「多様性と歴史」です。YOASOBIとATARASHII GAKKO!からの歩みからも文化的な多様性と蓄積を上手に活かしていることを感じました。文化的洗練という意味では、世界でも稀有、アジアで図抜けた存在ですから、そのことを日本人が自覚してクリエイティビティで活かしていけば、アジアの音楽シーンで活躍できます。市場としては成長が続きます。音楽家自身がその意識を持つことがもっとも大切でしょう。
 アジア市場に日本のコンテンツが稼いでいく状況を作るために、自分が何ができるかも引続き考えていきたいです。

海外コーライティングという小さなソリューション

 日本人音楽家のアジアでの活躍のキッカケを作る一つの方法論として、海外コーライティングキャンプのオーガナイズも微力ながら行っています。
来週は台北に行き、帰国直後に報告会やりますので、興味もある方はご参加ください。オンライン無料のトークイベントです。

<追加告知です!>


モチベーションあがります(^_-)