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呼び間違えがひどいのは、何かの啓示でしょうか

娘のことを先生と呼び
ネコに娘の名で語りかけ
夫にはネコの名前

昨日、その時家にいる人(ネコ)たちをパーフェクトに呼び間違え続け
自分でも「すごい!」と叫んでしまいました

人の名前を間違えるのはとても失礼なことだ
と言われますが
私は昔から人の名前を覚えるのが苦手で
自分が間違えられるのにはとても寛容です

私の名前は旧姓も現姓もよくある苗字ですが
なんでか知らないのですが(宿命)よく上下をひっくり返されたり
おしいけど違う組み合わせだったり
まあまあ間違えられます
でも、私に話しかけられているのはわかるので
そのままお話をしてしまいます
名前なんてどうでもいい(byミギー)
とまではいいませんが、人の話を止めてまで訂正しなくてもいいかなとは思っています

とはいえ、多くの人は自分の名前を大事にしているので
自分が間違えた時には大変申し訳なく思います
ネコちゃんも、自分の名前を呼ばれると尻尾を振りますが
違う名前だと尻尾を振りません
ちゃんとわかっているんですよね

私は名前だけではなく、行動もまちがえることがあります
「そこの塩を取って」というのを
「そこの砂糖を振って」とまるで違うことを言ってしまいます

それには理由があり
塩をもらったら、自分のお皿のサラダに振りかけたい、と想像しているので
頭に塩を振るイメージができているわけです
砂糖は、砂糖と塩を間違えないでね、と思ったら出てきてしまったんですね

頭の中が整理されていないということなのでしょうか
処理速度が遅いのでしょうか

昔から呼び間違えはする方でしたが
最近は頻度が増しているようです

もう少し落ち着くこと
きちんと言葉を意識すること
ちゃんと今を生きること(たいてい口にしていることと、考えていることが違うので)を気を付けるように、という啓示なのでしょうか

でも、こういう間違いをするときは
自分の気持ちが幸せな時のことが多いんです

緊迫している時や
不安な時などは言い間違いはないんですよね

だから、言い間違いをすると、私 今幸せなんだなと思うのです
(反省しているのか…?)

はい、この連休(さらに昨日まで)、娘が帰ってきてくれて
嬉しかった、という話でした(娘は一人暮らしをしています)

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