見出し画像

秋の色といえば黄色

幼少期に祖母と暮らしていた頃よく行った公民館には、立派なイチョウの木があった。兄や近所の友達とそこの落ち葉に埋もれて遊ぶのがとても好きだった。先週は、久しく父と祖父の眠る墓参りに立ち寄り、帰りにその木を眺めて見るとやっぱり大きい木だなと改めて感じた。

わたしが物書きに目覚めたのは2009年の初め。都内に移住するのに、田舎から出て行くのは中々の勇気が必要だった。気心の知れる身内や地元の友達と離れて暮らすことの寂しさは大きかった。FC2で作ったブログのURLを貼り付けたメールを家族や友人に片っ端に送り、少しでも不安を軽くしようと思い、いつでも安否確認出来るようにと始めたのがきっかけだった。そして、この思い付きで私は命拾いをした。

ある日、わたしは何を思ったのかブログの更新を頻繁に繰り返していた。深夜12時頃、ベッドの枕元に置いたガラケーが長い間鳴っている。手に取って見ると、ひとつ年下の地元の後輩からの着信だった。
「ななちゃん、大丈夫ですか?なんかメールがいっぱい来るから気になって電話しましたー」
と声が震えている。彼女はわたしのブログの読者登録をしてくれていたようで、更新を楽しみにメルマガに登録していたのだ。
ふと我に返ったわたしは涙を流し続けていた。窓の方に眼を向けるとアイロンのコードをベランダの柵に結ぼうとしている最中だった。空いた窓から冷たい空気が部屋に入ってくる。
「いや、ごめん!てか電話ありがとう。まじで危なかった!」
と、無意識的に起きていたビックリするような現状を話すと、後輩は
「いや、それは逆に電話に出てくれてありがとうございました!ななちゃんになんかあったら堪りませんから」
と言ってくれたのだった。学生時代に、精神の病には死神が取り憑くことがあるといつかの外来講師が言っていた。まだ25歳だった私に父との死別の負担は大きく、日常的に続く悲しみで涙に明け暮れ、まさにその状態にあったのだった。これは、いわゆるうつ病のゆり戻し。人生でNo. 1の危なかった出来事だ。29歳の秋だった。それにしても、当時書き綴ったブログはコラムのようで、いま読み返してみると中々面白かったと思う。

先週あった同窓会は、それはそれは楽しくて面白かった。本当に行ってよかった。この同窓会は、実は10年前にも開催されていた。都内から九州までの旅費のことやうつ病の治療中で身体が重く欠席していたのだ。こうしてSNSでしか素性のわからないみんなと会うことが出来て本当によかった。月曜日、いつもの日常へ帰って来ると、ふいに楽しかったひと時を思い返す。友達に逢えた余韻に浸って、何か時空をワープしたみたいに感じた。
同じ学校で過ごした話したことのある人もそうでない人も、それぞれに頑張っている友達との再会は、失いかけていた純情を取り戻しやる気が湧いてきた。そして、私はどうも秋になると、物語を編んでみたいと思うようだ。今回もまた懲りずに新人賞に応募出来るように物語を編んでみようと思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?