彼は待っていたのだろうか?
敬愛するその人が記した言の葉を
子供が理解するであろうその日を。
今なら分かる。
彼がその日をどんなに待ちわびたか。
ジリジリと?
ワクワクと?
あるいは
微笑みながら?
だったろうか。
彼は私の父で、宮沢賢治がその人である。
生まれて10回目となるクリスマスの朝、私はその人宮沢賢治に出会った。
クリスマスプレゼントが「銀河鉄道の夜」と「やまなし」の2冊だったからね。いわゆる子ども向けの童話全集で漢字にルビがついているタイプの本。
プレゼントの包装紙にはなぜか駅前にある山本書店のロゴが印刷されていた。太っちょのサンタクロースは一体どうやってあの狭い通路を通り抜け、奥まった場所にあるレジへたどり着いたのだろうか?
果たしてサンタクロースは英語で店主と会話したのだろうか?
それとも日本語だったのかしら?
と、大きな疑問符が頭の中に浮かんできたりもした。
サンタクロース=両親という情報はまだ知る由もなかったのである。
が、一度本を開くともうそんな事はどうでもよくなり、すっかり蟹の子供になりきってクラムボンを眺めていつまでも飽きなかった。銀河鉄道の固い座席に座り、鳥を捕る人を眺めていたりもしたっけ。あのお菓子はたしかにほんのり甘かったような気がしている。
10歳で読む賢治は、20歳或いは40歳で出会うのとでは全く異なる体験である。10歳の子は1000%賢治ワールドの住人になりきってしまうからだ。もちろん、長じてから読む場合、年齢相応の洞察なりがあるとは思うが、鮮烈な印象というその一点において10歳のそれには遠く及ばないだろう。
しかしながら、10歳の私にとって賢治のお話は沢山あるお話の中の一つに過ぎなかった。典型的な都会のインドアガールだった私の前には、次から次へと読みたい本が登場し、図書館と家を往復するのに忙しかったからである。だから、本当の意味で私が賢治に出会うのは、それから数十年を待つことになる。
この間
ざっくり
数十年
経過
ってことで
現在、私はモノつくりをしている。
エポキシレジンに植物を封入したアクセサリーを作りハンドメイドサイトで販売しているのだが、中には工房に足を運んでくださる方もある。ある時、そんなお客様の一人から「これって銀河鉄道の夜の中に出てくる竜胆の花みたいですよね?」と言われたのであった。
ああ
そうか
ねえ
父さん
銀河鉄道に
りんだうの花
咲いていたよね?
今
父さんのいる
天上世界にも
咲いているのかな?
りんだうの花
その時、私が作っていたのはフデリンドウを試験管に封入したものだったのだが、以降、試験菅自体を型取って本格的に作るようになった。
賢治ファンにだけウケるニッチなペンダントである(笑)
それを機に、私は再び賢治の本を手に取るようになった。
もっとも今、開いているのは、父の形見となった筑摩書房刊の宮沢賢治全集なのだけれど。
言うまでもなく私の半分は父のDNAでできているが、DNAには生物学的なものとそうでないものがあると思う。賢治の精神的DNAは、探せば世界中に存在していて、呼応し共鳴しあっているかのように思えてならない。
ホンダのイーハトーブは優れたトライアルバイクだし、ポラン広場は有機野菜を中心に幅広いサービスを提供している。また、東京、吉祥寺にはゆりあぺむぺるという喫茶店が、岩手には白鳥の停車場という雑貨店もある。
いずれも一人の作家が抱いたイメージから派生したものだが、ユング的に言うならば、天才賢治が共通無意識にアクセスしたからこそ、時空を超えて人々の心に響き続けているのだろう。
そんなことをつらつら考えていたら、先日、友人からこんな本が届けられた。ガラスペンで賢治の物語をなぞるというコンセプト。こういう切り口も面白いなぁと思う。
ともあれ、クリスマスの朝に始まった私の賢治を巡る旅は未だ続いているし、次の世代へと引き継がれていきつつもある。
誰かのちょっとした行為が、他の誰かの人生を彩ったりすることがある。そんな小さな事柄が少しづつ世界に影響を与えるのではないだろうか?
この文章は父へのささやかな返礼として書いた。だから、最後はこんなふうに締め括りたい。
ねえ
父さん
あなたが愛した世界に
少しは
近づいているのかな?
私があなたからもらったもの
誰かに渡せているのかな?
あなたの愛した賢治ワールドが
少しづつ広がっていく
そんな世界を夢見て
私は生きているよ
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