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旅人へ【編集部クジラ『A traveler』感想】

 どうもこんにちは。最近感想文ばかり書いているやまなかです。

 またまた友人らが雑誌(という名の文章のかたまり)を刊行した。

実はこの雑誌を自分は相当気に入っていてここしばらく楽しみにしていた。いつもバカみたいな話をしている友達が少しまともなことを書いているのを見るのは面白い。

 というわけで前回に引き続き勝手に感想を綴っていく次第である。また今回も、真面目なことを書いているやつを面白がっているだけではフェアでないのでこちらも面白がられるために真面目なことを書いておこうと思う。よって閲覧注意である。それではやっていこう。

■いい時代、旅立ち

 まずはkensveltの『そうだ宇宙、いこう。』 
 宇宙旅行。もはや眼前に見えてきたように思えるがその実課題の多い分野である。月に人を送るのすら一苦労なのだから有人太陽系外航行など夢のまた夢。そもそも金にならない…。なるほどこの分野の進展にはもしかすると太陽系の終了を待たねばならないかもしれない。そして、そんなの待てない、というのが正直な心境である。
 多分、人間が自力で太陽系を出る頃には自分は死んでいるだろう。もはや遺伝子のカケラも残っているか怪しい。もしかすると我々人類に儲けられた「グレートフィルター」は、我々自身の限りある命なのかもしれないな、とそんなことを思った。

■きっと旅に出る

 やまなかへのインタビューを挟みまして、teto氏の『地元〜じっさいに もともとある とくべつを〜』である。
 おそらく連載陣の中で日常的に旅をしているのはteto氏だけだろうと思われる。それ故あとの2人はなかなか突飛なお題を選択していたわけだが、なんというかこの記事はほっとするというか、「旅」がテーマならこういうのが読みたいんだよな、というところに刺さった。
 外様から見ないとわからない魅力が土地にはある、という視点は京都在住の自分には特に我が身のことに感じられた。修学旅行の定番スポットが徒歩圏内にあるような土地だから現地人はその魅力を本当には理解しきれていないのだろう。いろんな土地を見て、『ソトモノ』の視点を持ってからまた地元を見つめ直したいと思った。
 もう一つ、後半のトピックにも触れておきたい。コロナ禍において公共交通機関の利用者が減ったのは明らかであるし、それに伴う運賃制度の変更もやむを得ないかもしれない。しかしteto氏の言うように急ぎすぎの感も否めない。要するに自分はそこに対して結論を出せないのであるが、それよりも「多分この人は何があってもどうにかして旅行をするんだろうな」という感じがなんか良かった。旅が好きな人が気ままに旅行がしたいと叫んでいる。ようやく「旅」がテーマの雑誌らしくなってきたなという感じがした。

■ファンサ、あるいは次元の狭間に至る瞑想

 最後にmakiの『Escape scape』。
 まず一言。これ『Hekátē』じゃん!!!!いや、こういう世界観だったとは記憶していないが。あの頃の細川たちはまだ水素エンジンを崇拝していたのに。
 というのも、makiがまだ毎日投稿をしていた頃、酔狂にも小説を書いていたことがあったのだ。現在マガジンとしてまとめられている『ダンス・イン・ザ・キッチン』ではなく(こっちはこっちで続きを書いてくれ)、『Hekátē』という名の宇宙開発青春小説があったのだ。まあ多分飽きたのだろう、数話書いて更新が止まった訳だが、そこに細川という名前の主人公の友人が登場する。それ故makiの古参である私はちょっと興奮してしまったという訳だった。
 とはいえmakiが本当はどれくらい意識して書いたのかは分からないのでこれ以上のHekátēへの言及は避けよう。しかし最後の項で小説で来たのは純粋に驚きがあり、楽しめた。また扱う題材として次元を超越するダイビングという意外性のある設定を選んで来たあたり試行錯誤が垣間見え、編集長としての意地が感じられた。今後とも頑張ってもらいたい。ついでに書きかけの小説を無理矢理にでも終わらせてほしい。


■旅人へ 

 というわけで感想でした。今回も面白い記事ばかりだった。ここからは真面目なことを書くので閲覧注意である。
 表紙絵を描くにあたってmakiから与えられた「旅」というテーマを聞いて、自分は「人生」を連想した。
 「人生とは、旅のようなものである。」言い古された言葉だ。自力で頑張って歩き続け、自分で自由に行き先を決めかつ揺蕩う。人生は実に旅に似ている。しかし、ここのところ人生と旅の共通点はもっとある、と思う。そしてその点において自分はまだ「旅人」ではないのだ、とも。
 小さな頃に家族旅行に行ったことがあるだろうか。普段の日常を離れて見ず知らずの場所を練り歩き様々な体験をする。家族で泊まるホテルはなんとも新鮮で少し居心地が悪かったりする。
 しかし実はこれは「旅」ではない。旅行の行き先は親が決めたのであって幼い私はそれについて行っただけ。旅行先の宿代は親が払ったのであって幼い私はそれに便乗しただけ。もちろん家族旅行の楽しさまで否定するわけではない。そういう旅行はそれはそれで楽しい。しかしそうした時、私はただ親の「旅」に便乗しているだけなのだ。この構図はとても人生に似ている。
 自分はまだ学生だ。学費は親に負担してもらっている。月に10万や20万稼ぐことはどうしても無理だ。だから、自分の旅費が払えていない。
 旅費を親に負担してもらっている以上、旅の行き先は自由とはいかない。自由なように見えても最終的にその旅程の是非を決めているのは旅費を負担してくれている人たちだ。私は彼らが自力で歩いてきた旅路に付随しているのだ。まさかいきなりアメリカに飛ぶわけにはいかない。家を出るにもお金がかかる。自力で頑張って歩き続け、自分で自由に行き先を決めかつ揺蕩うような、そんな旅はまだ私にはできないのだ。
 私は早く「旅人」になりたい。もちろん旅は甘くない。冷たい北風に凍え、熱い日差しに喘ぐこともあるのだろう。それでも私は旅行を続けよう、旅人へと。

 今回もかなりの時間をかけて刊行された『A traveler』。その様子をチラチラと聞いていたからこそ編集部クジラの面々と同じくらい感慨深い気持ちである。次回も相当先になりそうだが気長に待とう。旅はまだまだ続くのだから。







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