いのちを表現できたときは嬉しいんだ
誕生日。
いつもと変わらず、散歩をしたりご飯をつくったり絵を描いたり会話を交わしたり。少し変わったことといえばヒッチハイカーを乗せたことくらい。
「いつも通り」と言えることのありがたさが、旅暮らしとなって身に沁みる。
現在家なしの僕は、ゆっくりできる家があるというくらいの理由で屋久島行きを決めたのだが、想像もしていなかったような素晴らしい日々を過ごさせてもらっている。
言葉にすると平坦になってしまうのだけど、目に見えるものも目に見えないものも全ての存在が生き生きしていて、その中に自分も在れること、ふと手を合わせたくなる心がよく分かり、そのことにも感謝している心。
「いのちのあいだに」という言葉がよく分からないままに浮かぶ。
自分を自分と呼べる今、形ある「いのち」を授かって、両の足で好きな土地へ赴き、片方の手は自分自身を、もう片方の手は他者を助け、そしてその手で絵や言葉も書くことができる。
よく分からないまま、でもこの機会にできるかぎり言葉にしてみようと思う。
実は先日、唄のプレゼントをいただいて、そのことも書きたいんだ。
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洋上のアルプスと言われ、海の上に突然現れる九州最高峰の山々「屋久島」にぶつかる雲は、1ヶ月に35日雨を降らせるとも言われる。
山をくだる恵みの雨はたくさんの沢となって海に流れ込む。
たえず巡る豊かな水とともに、山に海に遊ぶ日々は美しい。
屋久島に住む人々の身体の水の巡りもまた早いように思う。
「自分自身」と捉える枠が大きく、家のそばの川や海、山までも意識に入っている人が多いためだろうか。人と人が出会うスピードも早い。
その中でも大きな出会い、港で雑貨店「日具」を営むトリコさんと、カフェ「雪苔屋」店主の熊ちゃん。
沖縄での展示を終えたまま屋久島に来た車には絵が積んであり、前からあったかのようにすっと1枚は日具さん、1枚は雪苔屋さんに収まった。
雪苔屋さんの四角いクッキーは屋久島の花崗岩を食べているようで、屋久島での暮らしになくてはならない存在になった。
宮之浦岳を4泊5日で縦走しながらスケッチした日々。(詳しくはこちら)
下山してすぐに向かった雪苔屋さんで、スケッチブックをみんなに見てもらった。
後日、渡したいものがあると呼ばれ、てっきり屋久島に関する本かと思い向かうと、唄のプレゼントだった。
「スケッチブック」というタイトルのその唄には、見てもらっていないのにスケッチしている姿、さらには絵や人生に向き合う姿、そして亡き母のことまで歌い込まれていて、驚きとともにぐっと来るものがあった。
僕以上に歌が生まれたことに喜ぶ熊ちゃん。
その心が僕にも分かる。
僕も屋久島の山を描けることが嬉しい。
山や木を描くのは、なんだか恐れ多くてもっと年を重ねてからだと勝手に思っていた。だけどただただ「描きたい、よく見たい」と自然な流れで描かせてくれたのは屋久島だと思っている。
表現させてもらえたことが嬉しい。
表現は絵や歌でなくても、それぞれが好きなことを。
言葉にできることがなくても、泣いたり笑ったり、「生きている」ということこそ一番の表現だと思う。
みんないのちを表現できたときは嬉しいんだ。
先日、これまた屋久島の水の巡りのように美しい流れで行われた
アペルイさんでの「火と唄と絵」の一夜はそんな時間だったと思う。
「いのちのあいだに」
このいのちは誰のものなのか。
僕のものであって僕のものではないし、
今は「私」と呼べても、前は「私」と切り離して呼べない水やなんかであったような氣がする。
巡り巡って形を変えていく「いのちのあいだ」に、今自分が立っているのを感じる。
「スケッチブック」の中の「あなたがみえる」という詞。
母が亡くなってから「見守られているね」という言葉を度々いただくけど、なかなか素直に受け取れなかったことが、この唄ですっと腑に落ちた。
熊ちゃんのいのちの表現が母のいのちの表現を呼んでくれたのだ。
特別な「いつも通り」の1日○