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人が変わるときって、ほんとに一瞬だ

 人はなかなか変われない。
 変わって欲しいと他人が願ってもどうにもできなかったりするし、本人が変わりたいと思ってもなかなか変われないもので、でも「きっとどこかで!いつか!」と信じながら、心の扉をノックし続けたり、新しい環境に身をおいたりする。

 これまでは、ノックし続ける側にずっといて、それもようやく実ったのだけれど、まずは私自身の話から。

 自分という人間の軸の部分に関わるほどの変化に、まだ自分自身が追い付いていないような気がしていた。そんな中、稽古前の準備中に、シャチョーから所用で電話がかかってくる。何気なく話していたつもりだったのだけれど、その時に、いつもと声が違うな、と言われた。

 あ、やっぱりそうか、と心のなかで思った。
 それはなんとなく自覚があったから。

 以前から、シャチョーのところで仕事をしているときと演劇の仕事をしているときは意識的に切り替えてはいたのだけれど、なんというか、最近はその2場面での私の違いがよりはっきりした気がする。いや、2場面だけじゃない。使っている脳みそや、感じ取ろうとしているその感覚を、場面々々で明確に変えられてる自分がいる。人格が違う、と説明していいぐらいに。

 おそらく、この間の一件がきっかけになったのだと思う。あれ以来、どんな場面でも瞬時に感情を切り離して、その環境やその時のコミュニティに適応できるようになった。主観で動くことが少なくなり、客観的にみて自分の言動が自分や周りにどう影響するのか慎重に考えるようになった。

 その話をすると、シャチョーはハッハッと笑った。ちゃんと吸収していくのは素晴らしいことだね、と褒めてくれた。

「自分は語尾にすぐ出る。今日の声は芯が通ってる感じがする。いつものヨワヨワでわがままな感じがしないなあ」

 人が変わったとき、それは声にでる。
 目にでる。見た目にでてくる。
 芯の通った顔立ちになる。振る舞いが変わる。
 きっと、私はそうだったと思う。
 そして、この電話のあとの稽古場でも、役者たちにそれを感じた。

 おはようございます、と入ってきた役者たちの顔と、お疲れさまでした、と言って帰る役者たちの顔がこの日は明らかに違った。
 嬉しかった。私だけでなく、みんなにも、なにかきっかけがやってきたのだ。私がノックし続けたことがどう影響したかなんてわからないけれど、そんなのは関係ないしどうでもいい。けれど、私自身も変わってなければ、皆のこの変化にも気付けなかったかもしれない。

 人は、変われる。それに遅いことなんてきっとない。きっかけやタイミングなんて、いつ来るかわからないし、その時は一瞬だ。情熱だけではどうにもできないけれど、情熱すら無ければ、永遠に変われることはないだろう。

 情熱、いや、愛かな
 愛、かもしれない
 それは変わって欲しい相手に
 それは、自分自身に

 シャチョーには、とても感謝してる。

 でも、彼のもとで働いてる私が”わがまま”かどうかにおいては意見の相違があるので、このあと問い詰めたいと思います。

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